うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターを頂きましたと、【私たちがプレイルームに行くのに時間がかかる原因となるロビーのある種の脅迫的な儀式に、私は以前は「柔らかい」対応をしていたのですが、ロビーが15歳の夏休みの頃に、そういった対応のほとんどをやめました。】


ギターをもらいましたが、残念ながらネックが見事な順反り!みんなで落書きして、アートなギターにしたいと思います!

 今日は、昨日行けなかった自分の受診に行ったら、2kg痩せていました!食事は、野菜をたくさん食べること以外は何もしていませんが(笑)身体を動かすようにはなっています。でも、この1週間くらいですが(笑)
 他人の服薬ばかり気にしていて、試験的に飲み始めた薬が2週間分出されていましたが、なくなったら2週間と思っていたのが、今日行ったら、大事に飲んだんですね(笑)って言われました(笑)まあ、5月・6月は法人の事で多忙過ぎるので仕方がないですね......。今日は喘息の検査を4種類と採血をしました。中性脂肪も2kg減っていればいいですね(笑)夏に向けて(笑)別に脱ぎませんが(笑)

 今日は夜勤でしたが、ケース会議があったり、大雨なので、警報が出た時に備えて6時半に入れるよう、早めに起床して5時半くらいにうたたね横のファミマでコーヒーを飲みながら本を読んでいました。
 アップはその箇所です。(受診の待ち時間はあまりなくて、読めませんでした....)

 下記は、毅然とした態度のとり方の一例のように思えます。

『私たちがプレイルームに行くのに時間がかかる原因となるロビーのある種の脅迫的な儀式に、私は以前は「柔らかい」対応をしていたのですが、ロビーが15歳の夏休みの頃に、そういった対応のほとんどをやめました。これによって彼はイライラしていましたが、私の言ったあることに衝撃を受けたようでした。』


時間の感覚
〜私が腕時計に目をやったときに彼が体験した動揺は、何年もたった後でさえも、言葉にならないものでした。彼が眠そうだった日々においては、時間は全然流れていないように思われました。いまや時間のもつはかない性質は、私にとってかれの「ストロボ」光が苦痛であったのと同じように、彼にとって苦痛なものでした。時間は彼が満たすことのできる何かではなかったし、逆にそれはどんな興味や価値でもってしても彼を満たすことのできるものでもなかったのです。彼は十分長いと体験できるまとまった時間をつかめているようには見えませんでした。彼自身の注意があまりにもつかの間のもので、3秒間しかそこにいませんでした。実質のある信頼できる変わらない対象についての彼の体験は、定義上大変限られていました。徐々に、彼は時間への憎悪と恐怖について話し始めましたし、このことは彼にとって次のような道を開いたように思われました。すなわち、セッションや彼の外の世界での生活から最大限の楽しみと安心を得ることを保障できるように、よりたくさんの積極的な行動に進むという道です。彼は、少しだけ計画することができるようになりました。




動き――前進と後退
 私たちがプレイルームに行くのに時間がかかる原因となるロビーのある種の脅迫的な儀式に、私は以前は「柔らかい」対応をしていたのですが、ロビーが15歳の夏休みの頃に、そういった対応のほとんどをやめました。これによって彼はイライラしていましたが、私の言ったあることに衝撃を受けたようでした。それは、私は階段の一番上で、彼をぶらぶらさせるつもりはないし、彼はセッションの部屋に来るべきであり、そして、「私たちは部屋で一緒にそのことについて話せますよ」と私が言ったことでした。彼はその後数週間にわたってこの提案を、とりわけ「私たち」のところを、私に繰り返させました。初秋のある日、私が断り続けていると、彼は突然ふり遊びの仲間に入るよう私に頼みました。その遊びの中では、私は彼のこれらの儀式を拒絶しなかった上に、それらを全て許し、さらにそれらの儀式に適切な古い解釈を全部行いさえするふりを私たちはしたのです。彼は以前にも想像的な遊びを演じることがありましたが、私がその中にいたことはほとんどなく、今回のように組織だっていることは決してありませんでした。

これらの遊びはまさに、私が思うに、彼にとって大変重要なもの、すなわち時間、変化、成長、外的対象や内的対象との分離、さらに彼自身の過去の自己との分離といったものを扱う純粋な努力を含んでいるのです。それらは彼にとってたいそう楽しいものでしたし、すべての想像的な遊びがそうであるように、彼の内界を拡大する手助けになったと私は確信しています。彼はしばしば、生まれてこのかた全身麻痺で自分が持っているとは知らなかった、ほとんど萎縮してしまった筋肉を使う人のことを、私に思い起こさせました。彼は長いリストに付け加えるのが大好きで、次の日には、私がリスト全部、付け加えた最新のところまでを覚えていたかどうかをチェックしました。私が覚えていると彼は喜び、もし私が項目ひとつ忘れていたら彼はそれに気づかないふりをいつもするのでした。(その時私は、彼が実際には私の失敗に気づいていたことを彼に示すことと、彼が創造することに固執した理想の世界に入っている日々について示すことが、どれだけ重要であるかをまだ理解していませんでした。)しかしながら、この心の筋肉を使うことや知的な戯れでの彼の喜びは、十分リアルでした。それはまるで、彼は自分の想像力を使い、心で物事をなすことができるのを今まで実感していなかったかのようでした。  これらの長いリストは、長いストッキングとは違って、彼の創造物でした。
 それらの遊びは、私が思うに、外面的でくっつける方法をロビーが放棄して、むしろ、こういう方向で遊びは始まったといった方がいいでしょう。それぞれの遊びが始まったときには何らかの意味と機能をもっていました。それはたいてい、過去や現在の何らかの不安を扱うものでした。数日の間それを繰り返した後には、私たちが遊んでいる時に彼はずっと心配ではなくなったように見え、少し前までは恐れていた自分に向かって微笑むことさえするようになりました。しかし、他の子どもであれば新しい遊びへと移行すると思われる時期に来たときに、その過程は3番目の段階、すなわち氷結し、生命力をそそぎ、儀式的で、恐ろしく退屈な硬直性を持つ段階に入りました。もし私が、私の役割を演ずるのを拒否し始めなかったならば、ずっとこの不変の形で残っていたことでしょう。彼は、単に私だけではなく、彼の古い自己と何かをするための古い方法にもくっついて停滞しました。(彼は何年かかけて考えることを避けるための今までになく微妙な方法を見いだしています。例えば、私から解釈を聞くより古いものを聞けるようにするためには、彼はどんなことでもすりうでしょう。)私は、柔らかで適合する対象になれという圧力に抵抗することを学ばねばなりませんでした。そういった対象は彼自身の延長として感じられ、また快適だけれども眠気を誘う不活発な状態に引きずり込むものなのです。私がどんなに記憶力の良い母親的人物であるかを、私のリストや私のせりふを列挙することによって忠実に証明している間、彼がまさにそのときに本当に感じていることが何であろうとも、それについて私は考えることや理解することを妨げられ、そして彼も発達を妨げられていました。
 ここでの困難さは、次のようなものでした。彼がこれをあるレベルで理解し、彼の想像的遊びの中の友好的な人物が、前進し変化し新しい状況に出会うことは安全だとか、「失敗しても大丈夫」とか「自分で自分を支えなさい」とか「深い凍結から出てきて、歩くことを学びなさい」などといったことについて、彼を安心させ始めていた一方で、彼はまた別の、今や人間の形をしているけれども飛び抜けて邪悪な、脅迫する人物イメージに対峙しており、その像は彼に、成長へ向けてのどんな歩み――観察し、聞き、話し、抗議する――も莫大な危険をもたらすものだと、警告しているのでした。