うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

Kさんとまあちゃんの作品と、カタツムリのあかちゃんと、これは一体.....と、【体のあちこちに触られ、話しかけられ、見つめられている赤ん坊は、自分の外にある人間の世界に気づくように呼びかけらえているだけではなく、自分自身が存在していることに気づくようにも呼びかけられている、と私は考えています。】


 昨日、夜勤で入る前に、うたたねの駐車場で、カタツムリの赤ちゃんが、苔の上を歩いて?いました。
梅雨ですものね....。九州の方では大変な被害が出ています....。まだ降るみたいなので、どうなってしまうのでしょうか......。


 久しぶりにKさんの日に当たりました。
夕食後、皆さん何かをされる時間帯に、久し振りに絵を描かれますか?って聞かせて頂いたら、さっと書いて下さいました!
 素敵です!


 こちらは、まーちゃん!この作品が終わったら、受験勉強をする!と断言されていました!
上品な女子大が似合いそうですね!


 夜勤明け、療育キャンプに行く準備などしていたら、あっという間にこの時間......。
一年なんて、あっという間に過ぎて行きます....。




 親分のお伴で、手芸の材料を売っている店に行きましたが、いきなりぶっ飛びました(笑)
これは何と言うジャンルでしょうか(笑)ここまで遊ばれると、逆に凄いな!と思ってしまいます.....。
ボンボンキューピー? キューピーボンボン? アニマルキューピー? 動物アフロキューピー?(笑)


 これは、万引きは犯罪です!ではなくて、非売品ということでしょうか?





 今日もまとまった読書の時間が取れず、先程、さっと読ませて頂きました。
人間は見られないと、存在がなくなるという言葉を思い出しました。
 サリヴァンの名前が出て来たので、なぜだか?嬉しくなりました(笑)


〜名付け、要求し、挨拶するという母親の機能の理論的問題と、それがロビーの長い命綱とどうつながるかということへと立ち返りましょう。体のあちこちに触られ、話しかけられ、見つめられている赤ん坊は、自分の外にある人間の世界に気づくように呼びかけらえているだけではなく、自分自身が存在していることに気づくようにも呼びかけられている、と私は考えています。発達研究はロビーとの仕事における次のような私の感じと結びつくように思われます。
1)自分の手の届く範囲が長くなければならないという感じ、2)治療の初期に彼の視線上に私の頭を動かす必要性と、しばしば彼の名前を呼ぶ必要性。彼は最初プラスティック粘土を私がとても長く延ばさねばならない要求をしましたが、おそらくそれは、彼自身の注意が短くわずかしか続かないことと、世界が壊れやすく希薄であると感じる彼の感覚と戦うためでした。ロビーの母親は彼が生まれたときひどい抑うつ状態でしたが、生まれつき彼は満足させるのも目覚めさせるのも難しい乳児だったように思われます。生き生きとした反応をする赤ん坊は、しばしば抑うつ状態の母親をそこからひっぱりあげる助けになります。命綱は双方向に働き得ます。すなわち、ひどいひきこもり状態にあるときには、その命綱は人間対象との接触に人を呼び込むだけでなく、自分自身との接触にも人を引き込むように思われます。自閉症の子どもについての衝撃的なことは、彼らは、他者の存在についての感覚と同じように、自己についての感覚と存在についての感覚をぽとんど持っていないということなのです。



SternとBion
Daniel Stern(1985)は、母親が自分の赤ん坊の感情状態に「波長を合わせる(tune in)」方法について研究しました。彼は。英国対象関係論学派(Klein,Winnicott,他)や、アメリカの分析家で精神科医であるHarry Stack Sullivanと、乳児が大変活動的で主観的な生活をしていて刻々と変化する情念と混乱に満ちているという見解を共有しています。彼は、赤ん坊が非常に高度で鋭敏なレベルの社会的能力を持って生まれてくると、強調します。様々な点で、彼の見解は、新生児における萌芽的な自我の存在を信じるKleinの見解に知覚、心的なものと接触を撮りたいという欲望(「K」)の生得性についてのBionの理論に近いものです。Sternは最近発展中の実験研究から莫大な量の引用をしており、それらの証拠は、連合心理学の基本的教義や、刺激―反応モデルや、古典的フロイト派の欲動理論や、Piagetさえにも疑問を提起しています。これらの研究によると、乳児は、生きた人間存在との相互作用を促進する形態や抽象的概念に、特別に方向づけられているだけではなく、それらを探し求めている存在であるように思われます。乳児は生後2,3日のうちに自分の母親のお乳の匂いを認識しますし、人間の顔ばかりではなく表情の変化にも方向づけられており、触っているものが見ているものだということを体験する以前に知っています。Sternは、Bower,Meltzoffといった発達学者を引用していますが、彼らは、乳児は人生の最早期から知覚の性質の抽象的表象を形作りそれにしたがって行動する、と仮定しています。これらの乳児が体験する抽象的表象は、見えるものでも音でも接触でも名前のつけられる対象でもなく、むしろ形や強さや時間上のパターンといったもので、体験のより「全体的な」質といったものです。Sternは次のように書いています。「知覚の一次的性質の抽象的表象を形成し、それに従って行動する欲求と能力は、心的生活の当初から始まっており、それは生後2年目に頂点に達する発達的指標のようなものではありません」(Stern 1985:138)。