うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ブリキの金魚と、【私の印象では、Jung 派が地に足をつけるようになのに対して、Klein 派は天に昇ろうとしており、したがって二つの学派は最近途中からどこかですれ違っているのです。】


 親分が、カーグの画題を買っていました。
ブリキの金魚でした!懐かしいですね!
 8月のカーグとバンドクラブの日は27日です!
7月は、愛知県育成会の療育キャンプとバッティングしてしまって、なかったので大分間が空いた感じがしています。

 今日は夜勤明け、本を読んでから体を追い込みに行ってから、豊橋に行って先程、戻りました。
アップは、昨日読んだ箇所です。

 今回、一番強調したいのは下記です。
岡倉天心先生は、生活をアート(術)と呼んでいました。ここでの遊びは生活と言っても良い感じがしますが、間違いでしょうか?
次回、アップ予定の箇所は、もっと分かり易く記述しています。長くなるので、割愛させて頂きました。

『しかしながら、全ての分析的方向づけに共通しているのは、遊びには意味があるという信念、最も無意味な遊びにさえ意味があるという信念なのです。』



私は本書の別のところで、口愛的意味や性的意味の初期が発見を越えてより心的な現象の探究へと移行してきた現代精神分析理論について述べました。私はます、新生児が生まれたときから抽象化ができパターン知覚ができることを示唆する研究の知見についても述べてきました。Jung の理論を乳児や幼児の世界に持ち込んで地に足のついたものにするのに多大の貢献をした、Michael Fordham (1976)は、Bion の着想によって影響を受けた現代Klein 派の一部の人たちよりも、身体的体験をさらにもっと強調しているようです。私の印象では、Jung 派が地に足をつけるようになのに対して、Klein 派は天に昇ろうとしており、したがって二つの学派は最近途中からどこかですれ違っているのです。しかしながら、全ての分析的方向づけに共通しているのは、遊びには意味があるという信念、最も無意味な遊びにさえ意味があるという信念なのです。





Freud は、糸巻きが戻ってくる喜びがその遊びの主要部分であると考えようとしても無駄であると指摘しました。なぜなら、糸巻きを投げる最初の行為がそれ自体一つの遊びとして行われることが一連の遊び全部を行うよりもはるかに頻繁であったからです。彼が強調したのは、遊びで表現されていたのは母親が出ていくという不快な体験であること、そして受動的体験が能動的体験に変えられているので快感原則がなお一役買っていることでした。注意を促したいのは、快の要素がこの初期の精神分析理論に確かに含み込まれていますが、対象が戻ってくる喜びという快と対象が出ていくことをコントロールすることの快は、主に不快に対する防衛として見られていることです。Freud は、いつもの知的に正直で徹底したやりますで、戻ってくる喜びと遊びの主要な部分のように思われるかもしれないという問題を取り上げますが、彼はそうではないと主張しました。おそらく彼は、ある点でそれをあまり重要でない部分と見ざるをえないところがあったのかもしれません。というのは、彼は「現実」を根本的に欲求不満や苦痛や失望を引き起こすものとして見ていましたし、それゆえそれは「直面」されて折り合いをつけるようになる必要のあるものとして考えていたからです。このことを強調して理論化することが役に立つのは、比較的良好なレベルか神経症レベルで機能している子どもを理解するときです。このような子どもたちは、対象の接近可能性への信頼をもっており、この安全感の裂け目や隙間について分析の仕事をしたり遊びで表現する必要があるのです。しかしながら、希望や安全感や快さえ含むような「現実」を欠いており、それに向かって分析の仕事をする必要のあるようなタイプの子どもとの分析の仕事においては、このような強調や理論を補足する必要があります。 Susan Isaacs (1952)もまた糸巻きの遊びについて論じていますが、対象関係論が基づいた幾分異なった言葉でそれを行っています。Isaacs は、子どもの「喪失の感情をコントロールすることにある勝利感」について述べていますが、彼女はまた、子どもは母親がいないことに対してその遊びによって「慰められた」と言っています(Isaacs 1952:73)。しかしそれにもかかわらず彼女の記述には欠けているものがあります。それは、Klein 派にとって重要であるものの、当時はまだ十分浸透していなかった区別です。すなわち、痛みや抑うつに対して防衛として働く過程と、それを克服し成長を育むように方向づけられている過程との区別です。このため、その子どもが糸巻きの遊びをするときの内的な対象関係の状態に多くのことがかかっています。つまり、その子どもは主に母親の不在を、そして(これはもっと重要ですが)母親の重要性を否認するためにその遊びをしていたのか(すなわちSegal が象徴的等価視と呼んだもののレベルでの遊び)、あるいはその子どもはいくらかのコントロールを獲得して母親の不在をより耐えうるものにするためにその遊びをしていたのか(すなわち、Winncott が移行対象と呼んだもののレベルでの遊び)、あるいはその子どもは母親の重要性や不在には何の疑いも持たないが、不在になりうる対象の特性をそれ自体としてもっと探索して学ぼうとしていたのか(すなわち、Segal が真の象徴形成として述べたもののレベルでの遊び)、ということです。私が示唆したように、これら三つの可能性は、Hanna Segal (1957)とWinncott (1958)によって考える価値があるかもしれません。