うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

さよなら、さんちゃんと、【そして考えることのできるため、ほどよく丁度よい距離を置くこととのバランスを取ることにあります。私の知る限り、このバランスをいつでもうまくとれる人はいません。】


 朝、北海道の友人から、さんちゃんが心不全で急に亡くなったと連絡がありました。まだ40代......。
彼と知り合ったのは、北海道ワイン鶴沼ワイナリーでした。
 仕事の事だけではなく、生活のことも気にかけてくれ、色々助けてくれました。仕事は遅く、みんなから急かされていましたが、丁寧で間違いのない仕事は、安心して見ていられました。嘘がない仕事が出来る人は中々いません。自分を大きく見せようとしている奴ばかりの世の中では珍しいピュアなナイスガイでした。
 自分が北海道を離れても、まめにメールをくれて励ましてくれ、こちらのほうも大分助けて頂きましたので、しばらくはショックから立ち直れません.....。
 数年前に、ワイナリーを辞めて、岩見沢にあるラーメン屋さんで修業を始めていたので、独立したら食べに行くつもりでしたが、叶わぬ夢になりました。今晩、葬儀がありますが、夜勤で行けないので、供花だけお願いしました。年賀状も来なくなりますね....。さんちゃんの年賀状は、北海道各地にパジェロ西部警察が好きでした)で走り回って写真を撮って来てそれを年賀状にしていたので、一つ楽しみがなくなりました。
 自分も先は長くないので(笑)そのうちあの世でうまいラーメン食わせろよ!それまで修行だよ、さんちゃん!
 ポストの横の神様がさんちゃんに似ているので(笑)アップしました。

玄関にさんちゃん用に投げ入れました。
さんちゃんも自分も、良い子ども時代を送れなかったので、同じ匂いがお互いにしたのかも知れません。




 今日は夜勤ですが、午前中マックで親分支給のコーヒーチケットでコーヒーを頂きながら、本を少し読んでいましたが、さんちゃんのことなどで、ゆっくりはできず、少しだけになりました。

 下記も、先日読んだ箇所ですが、序章だけ読んでもクライン派の流れが分かるようにきちんとまとめてくれている感がありました。
 バランスと距離感......。非常に難しいですね。同じ方でもその日のうちで変わってしまうこともあるので、本当に日々真剣に向き合わないと、きちんとできないですね。慣れだけで支援が出来ていると勘違いされている方ばかりですが......。

『実際は、大抵私たちの課題は、子どもの患者に抑制や自己制御や思慮深さを学ぶように援助することですし、過去から解き放たれるためいそれを思い出すのではなく、過去から解き放たれるためにそれを忘れるように援助することなのです。心理療法家にとっての問題は、患者との接触を保つために情緒的に十分患者に接近すること(非常に病んだ子どもの場合それには深刻な悩みや心配、激怒や絶望が含まれます)と、そして考えることのできるため、ほどよく丁度よい距離を置くこととのバランスを取ることにあります。私の知る限り、このバランスをいつでもうまくとれる人はいません。』




実践的応用
 精神分析の理論と技法上のこれらの発展は(私が言及したのは多くの独立した発達の流れのごく一部です)、児童心理療法家たちの仕事にとって計り知れないほど有益でした。それによる変化は、治療可能な患者の範囲を拡張しました。理論的構造の破壊と拡張は、ゆっくりとしていながら、しかし概ね持続的にもたらされましたが、当然ながら、それをなしとげたのは本当は患者たち自身ですし、彼らが理論に都合よく当てはまるのを拒否したからなのです。分裂(splitting )と断片化(fragmentation )の過程のよりよい理解によって、心理療法家は自分たちの担当事例に本書の主題である患者たちを含めることができるようになりました。つまり、精神病の子ども、境界性精神病の子ども、さらに精神分析的方法では関われないと以前考えられていた一見非道徳的で良心のないように思える子どもや青年です。神経症者が自分の性質のより不愉快な側面を抑圧または投影するのとまさに同じように、冷たく感情のないように見える精神病質または非行の患者は、とても優しい自己を、自分の良心とともに他の誰かのなかに投影している可能性は十分あります。 他にも発展がありました。その多くは予防精神医学の領域です。偉大な小児科医であり児童分析家であるDonald Winncott の教えに啓発され、すでに乳児観察の訓練を受けた児童心理療法家たちは、乳児クリニックや総合病院の産科や小児科で、授乳や睡眠の問題で苦しむ赤ん坊を持つ母親を援助する仕事を始めました(Daws 1989)。心理療法家の中には、心配なほど引きこもり過ぎているように思える赤ん坊を持つ母親を援助するように依頼されている者がいます。また来て乳幼児ディケア・センターや養護施設や未熟児治療チームへのコンサルテーションをしている者もいます。さらに身体障害者や末期の病気の子どもの情緒的苦しみや彼らを世話する親や看護婦たちの情緒的苦しみを扱う仕事をしている者もいます(Sinason 1989;Judd 1989)。この仕事は、必ずしもどの事例でも純粋な精神分析心理療法というわけではありませんが、それには精神分析心理療法の技量、特に原始的でほとんど耐え難いほど苦痛に満ちた心的状態の感受性や熟知が必要とされます。精神分析家あるいは精神分析心理療法家の通俗的イメージは、暗示にかかりやすい裕福な中産階級神経症患者に、性の手引き本のなかから処方箋を分け与える、自惚れていて感情のない冷たい人というものですが、それは真実からほど遠いものです。私たちの多くは、この仕事を始めたとき、抑うつや抑圧状態にある人たちの、すなわち過去から解き放たれるためにそれを思い出す必要がるとFreudが考えた神経症者たちの、抑制(inhibitions)を解き放つという夢を持っていました。私たちは、それを劇的で刺激的な仕事だと思ったのです。実際は、大抵私たちの課題は、子どもの患者に抑制や自己制御や思慮深さを学ぶように援助することですし、過去から解き放たれるためいそれを思い出すのではなく、過去から解き放たれるためにそれを忘れるように援助することなのです。心理療法家にとっての問題は、患者との接触を保つために情緒的に十分患者に接近すること(非常に病んだ子どもの場合それには深刻な悩みや心配、激怒や絶望が含まれます)と、そして考えることのできるため、ほどよく丁度よい距離を置くこととのバランスを取ることにあります。私の知る限り、このバランスをいつでもうまくとれる人はいません。