うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

あいちアールブリュッとのパンフと、【「どのようにして確実に患者がある空想とそれに伴う情緒を自分自身のなかでは否認するために分析家の上に押し付けることをうまくやりとげるのかは、もっとも興味深い問題である……この種のコミュニケーションのひとつの特異さは、一見したところ、それらが患者によってなされたとはまったく見えない事である。その感情を分析家はなにかあることへの自分自身の反応として体験している。求められる努力は、それへの患者の寄与を分析家自身の寄与から識別することにある」(Money - Kyrle,1956


 写真は、昨日来られた、あいちアールブリュットのパンフレットです。
滋賀県のやり方に準じておられますね。親分が今度開催される展示の、実行委員の仲間入りできたり、何よりも、カーグの作家さんたちの作品が、沢山の方々の目に触れるのが、非常に楽しみです!
 明日は、秋にあるアールブリュットの展示の作品を額装する予定になっています。気温だけでなく、こういう作業をしていると、秋を非常に感じてしまいますね。


 今日は、給与計算と入浴介助と、遅番手伝いと、自宅に居たり、渥美に走ったり、うたたねに行ったりと、今日も沢山車で走りました。
今日は、何故かしら疲れませんでした(笑)ショートのまーちゃんが、沢山笑わせてくれたからかも知れませんね(笑)
 すろーじゃむから、うたたねに入った時に、今日も皆さんの笑い声が駐車場まで聞こえていたので、こちらまで幸せな気持ちになることが出来ました!



 本は、バスを待つ間や、ちょっと息抜きした時に、しっかり読ませて頂きました。

 下記を読んでいて、投影同一化と転移・逆転移の関係をもっと勉強しないといけないなと、痛切に感じました......。

『この種のコミュニケーションのひとつの特異さは、一見したところ、それらが患者によってなされたとはまったく見えない事である。その感情を分析家はなにかあることへの自分自身の反応として体験している。求められる努力は、それへの患者の寄与を分析家自身の寄与から識別することにある。』





のちになって、ビオンは患者が攻撃してくるとの恐怖の高まりを彼が感じたある精神病患者とのひとつのセッションの素晴らしい臨床描写を提示しています。ビオンを殺すとの患者の恐怖を患者が彼(ビオン)のなかに押し込んでいる、と彼は解釈しました:そのすぐあとに、その緊張は減っていったが患者がこぶしを握り締めていったとき、ビオンは、患者はその恐怖を自分自身のなかに取り戻したが、それで今では自分が殺人をするのではないかと脅えている、と伝えました(Bion 1955)。

 もちろん、患者に対しての分析家の情緒反応が分析家にそのように使われることは、過ちや誤用を招きやすいものです。この主題の討論は、逆転移という用語は、分析家の患者への精神病理反応に限られるべきか、それとも、ポーラー・ハイマン(1950)が示唆した風に広げておくべきかについての論争と同じ問題を基本的には扱っています。たとえば、とくに患者によって掻き立てられる分析家のなかの反応に、“投影-逆-同一化”projective counter -identification といったグリーンバーグ(Grinberg 1962)によって示唆されたある特別な用語が必要なのでしょうか? どのようにして分析家は患者についての彼の感情が自分自身の精神病理の産物か、それとも、患者の投影の産物か、それとも、その両者の混合物かを知るのでしょうか? モネー・カイルは述べています; 
  「どのようにして確実に患者がある空想とそれに伴う情緒を自分自身のなかでは否認するために分析家の上に押し付けることをうまくやりとげるのかは、もっとも興味深い問題である……この種のコミュニケーションのひとつの特異さは、一見したところ、それらが患者によってなされたとはまったく見えない事である。その感情を分析家はなにかあることへの自分自身の反応として体験している。求められる努力は、それへの患者の寄与を分析家自身の寄与から識別することにある」(Money - Kyrle,1956)

ビオンとモネー・カイルの両者が述べていますが、これは難しい技法上の問題で、その患者と自分自身についてのトータルな体験と知識に拠っているものです。
 クラインは、無意識の空想の身体的な具体性についての見解とともに、投影が成し遂げられる部位を明確にすることにも几帳面でした。オリジナルな定義でおいてさえも、「憎しみをもって排泄されたこれらの有害なふん便といっしょに、自我の排除された部分も母親の上に、いや、言ってみればむしろ、母親のなかに投影される」(Klein,1946)と明確に述べていますし、このように排泄器官がその投影の実行機関であることを明らかにしています。精神病患者についてのいくつかの早期の論文はこのことを引き続き実践しています。たとえば、投影のための目や耳やそのほかの受容器官の使用に注意を向けていました。しかしながら、徐々に、多くの分析家はとくに際立っていない限り、その空想の身体的な基礎を特定せずに、投影者の心によって受け取り手の心のなかになされる投影を考え、語るようになってきています。スィーガルの見解では、投影同一化の身体的具体性の程度は、その患者の障害の程度によっています。すなわち、患者が妄想-分裂態勢に特有な防衛を使用するほど、彼の投影は具体的で身体的になってきます。 
 ここに再掲載している論文は投影同一化についてのクライン派の考えでの歴史的傑作です。『連結することへの攻撃』(1959)でビオンは、投影を修正できる受け取り手/受け皿container へのコミュニケーションとしての投影同一化という彼のモデルを発展させています。そこでは変形された収納物(なかみ)containd は、その不快さをより和らげられた形でその個人に再びとりいれられるのです。このことは、分析のなかでの成長についてと同様に、思考そして考える能力の発達についての彼のモデルの基本でもあります。これが彼ののちのすべての業績の基礎なのです。 〜