うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日のうたたねと、花火業界、存続の危機 新型コロナで大会中止―伝統継承にも黄信号と、【 感情を引き起こすあらゆる場面で繰り返し包み込まれ、理解され、断ち切ったを繰り返すことを通じて、この対象は子ども自身の自我の一部となる。それは次には、子どもが内的世界と同様に、外界でもコミュニケートできる能力を高める。】


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 最近、まりちゃんが積極的に料理を手伝ってくれています。あとチキンナゲットでこの器は完成とのことでした!

 

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 今日はすろーじゃむの換気がてら、いちごも摘んできました!

二人でちょこっと味見(笑)。おいしかったです!

 

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  まあちゃんは、受験のための勉強とのこと!自分も講義の教科書を読むので、精いっぱい(笑)。

 

 田原の花火は、今年は中止とのこと。この状況だと致し方ないですね......。

他の国を見ていると、2波が来ていて大変なことになっていますが、19日から県を跨いでの移動は解除されるとのこと。余計に色々と気を付けないといけないことが増えますね.......。


 色々調べていたら、以前にアップしたものが出てきて、読み返したらその時よりも、今の方が役立つので、再アップさせて頂きました。見事にまとまっていますね!

5,子どもの分析でのコミュニケーションとコンテイニング 終結可能性を目指して 

ターク・エスカリネン・デ・フォルフ

 『終わりある分析と終わりなき分析』のなかでフロイト(1937)は自我と欲動のバランスに思索thinkingに焦点をあて、分析過程で起こる変化に対して生じてくる種々の障害物を論じている。彼は自我を弱体化させる様々な自我の改変、そしてその結果として生じる内界および外界の危険や問題点を取り扱うことの困難さについて述べている。そして、自我の防衛機制が損なわれていく過程を鋭く描写している(p,237):「自我の防衛機制は、内的な知覚を改竄し、われわれにただ欠陥だらけの、歪曲されたイド像をもたらすにすぎないと責められる。そうであるのでまた自我はイドとの関係においては、それが持つ種々の制約によって、麻痺させられ、その過ちによって見えなくさせられているわけである。このような自我の麻痺や欺瞞が精神現象に及ぼす影響というものは、あたかも、せっかくハイキングに行きながらその地方のことを知らなかったり、歩く元気がないというものにならざるを得ない」。 

 析での私たちの仕事は、自我が知覚して考え、語るのを助けるよう、そうすることで外界と内界ともにコミュニケーションが再確立するよう、「自我機能が最も円滑に営まれやすいような心理的諸条件を確保する(p,250)」ことである。それが自我を強化し、人生で通常に出会う逆境に対処できるようにする。

  私たちが、強い自我、そして成功のうちに分析を終了する可能性について考える際、その個人的に自我の一部となり続ける自身の足で立ち、自分の問題を包み込み、取り扱えるようになるような信頼感できる対象の内在化によってなされる内的な安全さという点からそれを考えていく。〜

  〜ビオンはクラインの考えから、投影同一化を通してのコミュニケーションの早期の蒼古型について述べた。彼は、子どもが苦しい未知の感情を母親やそれが乳房の中に投影する過程を描いた。子どもから投影された感情を母親がもっとなじみのある、既知の耐えることのできる型に変えて子どもに戻すなら、それがうまく処理されたということになる」(Klein 1946 :Bion 1962)。 どんなに理由にせよ母親が子どもの感情を包み込み、変えることができない場合、子どもはその感情をよりいっそう耐え難く恐ろしいものとして体験する。その感情に直面できないと感じ、再び投影することで一切で接触を断とうと懸命になる。そうすることで個人は内省できない能力や他者を知覚する能力をともに破壊してしまう。その他者はこれらは投影によって汚され、歪曲されている。言い換えれば、フロイトが不適切な自我の機能を、知らない場所――自分自身が心――を歩いていることに例えたものにあたるだろう。 この論文で私はコミュニケーションの質とコンテイニングとの関係、そしてこれらがさらなる統合の方向に向かうか、あるいは分割や退行が増す防衛に向かうか、という変化が引き起こされる過程を描いてみたい。

 どもの患者は、自分のコミュニケーションを分析家が理解したと感じた場合、その最も耐えがたい感情を持ちこたえ、見つめ、考え、それについて語る分析家をとり入れる。反対の状況では、子どもは自分の不安を理解されなかったと感じたとき、その結果として、理解し、コミュニケートし、感じる自分の能力を断ち切り、破壊してしまう。

要約  筆者は分析関係の中でのある種のコミュニケーションとコンテイニングとの関係、そして子どもの患者の自我がより統合される方向に向かうあるいは分割や退行が増す方向へと向かう変化をそれらがどのようにしてもたらすのかについて検討した、これらの推移を、7歳の少女アンの分析からの素材を通して描いてみた。

  析家がアンの不安を理解しなかったとき、彼女は彼女の知覚し、感じ、コミュニケートする能力を断ち切った。それとは対照的に、彼女が分析家を自分のニードや怒りに耐え、それを理解し、自分に伝えてくれるアイテムであると体験したとき、それが彼女に包み込まれた感覚を与える。分析家の解釈だけでなく、その知覚し、直感しない考える機能、いわばそういった機能を備えた対象を統合入れることを可能にした。

 情を引き起こすあらゆる場面で繰り返し包み込まれ、理解され、断ち切ったを繰り返すことを通じて、この対象は子ども自身の自我の一部となる。それは次には、子どもが内的世界と同様に、外界でもコミュニケートできる能力を高める。