うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日のホタルの写真と、第10回特定非営利活動法人 うたた 通常総会と、【ボクにとっての中井久夫先生:神田橋條治】


 今日は調子よく、写真がアップできましたので、昨日のホタルの写真をアップさせて頂きます。自分の携帯ではピントが合わないとぼけて写らないので、蜘蛛の巣に掛っていたホタルさんを救出し(笑)掌に置いて、それにピントを合わせたら、他のホタルも少しだけですが写せました。ボケていますが......。何かまとまりのない文章になっていますね(笑)いつものことでしょうか?(笑)



 昨日は、煎茶で気を引き締めました(笑)
本当は、日曜日の帰宅途中にリンゴと一緒に買ったのですが、直ぐに現場から呼び出しがあったので、頂いたのが月曜日になってしまいました。78円だったような.....。(笑)


 今日は総会があり、色々な行事や通院などで都合がつかない方が多く、少し淋しい総会になりましたが、きちんとできたので一安心です。が、これから愛知県に出す事業報告をやって、本当に一息できます。
 が、(笑)親分が、来年の総会に北海道の加藤さんと会ってコンタクトを取ってこいと、総会後に言ってきましたが(笑)少し疲れているので、6月は止めて欲しいとお願いしました。(笑) 6月は、北海道が百花繚乱の時期で、一番良い時期ですが......。
 総会では、率直な意見や疑問等も出て、それなりの回答も出来たり、職員の対応を褒めて頂いたりして、職員にとっても日々の努力が報われたと思います。能力が高い方もいれば、低い方もいて、不平不満も出ていますが、それは仕方がないことですし、出来る職員がそれをカバーすれば良いだけだと思い、自分は時間外でも、休日でも連絡が入ればいつでも現場に入らせて頂いていますし、責任のある職員も同じようにしてくれています。
 施設運営上の書類は、責任のある職員達がやってくれるようになっていますし、本当に皆様のご理解・ご協力を頂けたので、総会も第10回を迎える事ができました。今後とも、ご指導のほどよろしくお願い致します。





 朝からバタバタしていましたが、何とか中井久夫先生の?新刊を読みました。
神田橋先生の文章が素敵だったので、抜粋させて頂きました。かたかなが時々出て来るのが神田橋先生の特徴なので、いつも誤字脱字が多いですが(笑)下記のカタカナはそのままです。

中井久夫――精神科のことばと作法』 (文藝別冊・KAWADE夢ムック)ボクにとっての中井久夫先生
神田橋條治
 あまりの難解さゆえに、多くの人が敬遠せざるを得なかったH・S・サリヴァンの世界が、中井久夫先生の訳と解説で次々に紹介されました。その嚆矢となった『現代精神医学の概念(中井久夫山口隆訳、みすず書房、一九七六年)の書評(「精神分析研究」一九七七年、『発想の軌跡』岩崎学術出版社、一九八八年に再録)をお引き受けした縁で先生とのお付き合いが生まれました。そして、「中井久夫著作集 第Ⅱ期 精神医学の経験」(岩崎学術出版社、一九九一年)のパンフレットに「すみませんの言葉」を寄稿しました。〜


〜優れた人に出会うたびに、同じようになりたいと真似しては挫折するのが、幼いときからの繰り返しで、人生は失意の山でした。なのに、中井先生とお会いすると、真似したいなど毛ほども思い浮かばず、ひたすら驚嘆するばかりでした。異次元の脳に出会った感触でした。失意の日々を慰めるための、それまでの標語「天才に勝る努力なし」は自嘲・自虐の味の濃いものでしたが、それが後退し、いまでも愛用している「鵜は鵜のように、カラスはカラスのように」に取って代わりました。穏やかな諦めの味になり、日々の臨床で使えるものになりました。励ましの標語として「コレデイイノダ」もときおり使うようになりましたが、負け惜しみ・居直りの味があるので、補助として「居直り能力」というさらなる居直りを考案しました。これは臨床でのヒントとして有用です。
 神戸大学を定年になられた先生からのお手紙に、暇でショウガナイノデ出版するあてもなしにやっている、翻訳済みの原稿が溜まって困っている……..とありました。これも愚痴の一種なのだと気づいて「モウびっくり」そこから、愚痴は普遍的健康法であり、自身の能力を発揮するのが独自の健康法だとの、いまも治療の場で毎日使っているアイディアが得られました。
田舎の古い温泉宿に先生をお招きしたことがありました。就寝前に布団を並べて、めいめい小さなスタンドで本を読みました。真似したのではない長年の習慣が、先生と同じであるのが無性に嬉しくて、ボクが日本語のページをめくるよりも先生が外国語の本をめくられるのが速いのに気づいても、チョットびっくりしただけでした。
「すみませんの言葉」の中心に「仁」と「義」を置いたのは、先生の身の処し方に、高倉健が演じる仁侠映画の匂いを嗅ぎ取ったからです。
数年前、阪神・淡路大震災の回想を書かれているのを読みました。先生は当時、関東大震災の際に流言飛語に煽られて起こった朝鮮人虐殺の歴史を想起されて、今度も同じことが起こったら、「私には覚悟がある、と思っていた」と書いていらっしゃいました。そのコトバに出会って、からだの芯が震えました。しばらくして気がつきました、先生は硬派ボクは軟派、月とスッポンの差はあれど、大勢(体制)に与することのできない、不潔恐怖症のような、不自由・窮屈な自己愛という資質を生きているのだと。標語は「コレガイイノダ」になりました。一字違うだけですが、挫折も失意も肯定・受容する味になりました。いまでは、幼児のヨチヨチ歩きを含め、真似しては努めている若い人たちを、ニコニコしながら見守るようになっています。
 中井久夫先生と同じ時代を生きることのできた幸せを、誰に感謝したらいいのだろう。
(かんだばし・じょうじ=精神科医