うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

絵に描いたような風景と、本が来たと、【いくつもの真珠を一本の糸で通すようにそれらの要素を繋げたところ、連続性のある一つの流れを(時には複数にわたるセッションにまたがって)構成することができたのだった。】自閉症世界の探求より

 夜勤明け、給与計算の続きをと思いましたが、ゴールデンウィークなので(笑)思いっきりギターを弾きました!そして、少しだけ本を読ませて頂きました(笑)
 明日はまた、沢山歩ける日なので、今から楽しみです!記録更新なるか?まあ、無理はしませんが....。




 ひーひー王子と散歩していたら、誰かの絵の様な風景があり、しばらく見てしまっていました(笑)
先日、ヘビを見たので、草が生えている所には、暫くは行けません.......。

 昨日、本が3冊来ました。
この二冊は、偶然、ご夫婦でした!


 探していた、アルヴァレズも来たのですが、大学の除籍本でした。こんないい本が除籍されるなんて......。って思いましたが(笑)カバーもなく、この状態で15,000円.......。元は4,980円くらいですが、こんな値打ちのある本ですらって、少し淋しくなりました。
 しかし、放出されないと出会わない本でもあるのですね!

 悩んだ挙句、『自閉症の探究』から読む事にしました。
タスティン⇒アルヴァレズ⇒メルツァーが、やはり順当ですね!

 選んだのは良いのですが、これまた難しい.....。しかし、初めの方をしっかり読まないと、後の方で苦労しそうな感じですので、しっかりと読み始めました。

 下記は、他の本で引用されていた文章です。おそらく、この本のキーワードの一つと思われます。

『いくつもの真珠を一本の糸で通すようにそれらの要素を繋げたところ、連続性のある一つの流れを(時には複数にわたるセッションにまたがって)構成することができたのだった。』


 下記を見て、フロイトを読んでいて良かったと思いました。

精神分析的にきちんと整理しておくために、経済論、構造論、力動論、発生論のもと、これらの要因について論じていきたい。』




自閉症世界の探求 精神分析的研究より)ドナルド・メルツァー他著
セクションA・理論
第2章 自閉状態およびポスト自閉心性の心理学・ドナルド・メルツァー 
 この章では、それぞれの治療者がこの後の章で詳細に述べていく知見からどのような定式が得られるのか、その概要を述べておきたい。一緒に仕事をしてきた数年間というのも、私たちの間で徐々に発展してきた概念の複雑さに、皆、かなり驚かされてきた。もちろんこんなに複雑になってしまったことに弁解の余地はない。しかしながら、それが、単純で、もっとも分かりやすく、もっと正確な定式や表現手段に到達できない私たちの無能さの表れなのか、あるいは本当にそれが自閉症の子どもの性質そのものだからなのか、という問いには答えることができないままなのである。
 この複雑さの主要な面は、中核的自閉状態[autism proper]を、自閉症の子どもの発達過程に一般的に見られる心的特性(それはある意味で中核的自閉状態の外部にあり、残遺物と私たちはみている)から区別しようとする見方である。この見方自体はそれほど複雑な概念にはみえないし、疾病と転帰という概念に基づく、医学から引き継いだ、かなりありきたりな概念である。複雑さはむしろ、一人の子どもの任意の観察期間の中に、その二つが実際には織り交ざっているというところにある。このことは、ティミー(ジョン・ブレンナー、第3章)の素材の中ではっきりと例証されるだろう。彼の観察は、こうした事態に対して非常に説得力のある研究に役立ったのである。数ヵ月の期間、頻繁に現れた、ある種の行動様式が、ティミーの自閉症現象を構成していることが明瞭になった。セッションの記録から、明らかにこのカテゴリーにはいらないように思われる要素を抜粋し、いくつもの真珠を一本の糸で通すようにそれらの要素を繋げたところ、連続性のある一つの流れを(時には複数にわたるセッションにまたがって)構成することができたのだった。結果的にこれは、数分間に一コマずつ撮影することで、花が咲いていく様子を撮った映画のようであり、そのバレエのような展開や成長は、普通の目には見えないパターンを描いていたのである。



心の自閉状態
 さて、ホワイトヘッド(Whitehead,1933)が示唆するように、過去と未来とを、(たとえば)0.2秒の感覚で拡がっている直接的イメージで考えてみよう。つまり、現在、0.1秒前の過去、0.1秒先の未来というように思い浮かべてみるのである。生命はこの波を前方に進んでいくサーファーに見立てることができよう。現在の瞬間は記憶の彼方へと過ぎ去る一方、予期された瞬間がやって来てこの現在の瞬間とは、存在しないものであるし、過去と未来との間で破砕され、記憶のまとまりの中で不安定な心的現実を持つだけのものだろう。実際のところ、現在の瞬間というものは、たとえ0.1秒前といえども、振り返った過去にすぐないだろう。
 この時間の糸がこれまで述べてきた記憶の真珠群を貫いていくと考えるなら、心の生活というものは、脳の中の神経生理学的事象との間に有する論理的な関係は、モデルとしては、周波数変調が搬送波帯域との間に有する関係に似ているといえよう。このようなモデルは、中核的な自閉過程を本質的にはこころの生活の一時停止としてとらえようとする際に、極めて重要になる。このように見ていくことによって、集積されてやがて整理される記憶の流れの外部に、自閉過程の事象を位置づけるのである。〜

つまり、中核的自閉状態の外部にある、子どもたちの状態や固有ないくつかの心の特性を理解することで、ばらばらに配置しているそれらの特性を理解することで、ばらばらに配置しているそれらのつくかが、合わさって遂行されると自閉状態をつくり出すことが分かったのである。 
 それでは、病理状態としての自閉状態[すなわち自閉症]に特徴的であり、その意味でその出現の前提条件になると考えられる心的傾向はどのようなものであろうか?しかしながら、このような記述的な企ては、何とかメタ心理学の範囲にとどまろうと頑張っても、やがて専門用語が底をつき、沼地の中に立ち往生することになり、詩的な叙述と哲学的な抽象性の混ざり合った代物へと逆戻りすることが明らかである。そういった中で努力するべきことは、新語の使用や偽りの正確さを避けることである。精神分析的にきちんと整理しておくために、経済論、構造論、力動論、発生論のもと、これらの要因について論じていきたい。