うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグとバンドクラブと、【それは、不安や防衛、すなわちメタ心理学を探知しようとしているのではなく、分解された経験の断片を寄せ集めようとしているにすぎないからである。】


 今日は、カーグとバンドの日!
カーグでは、空き缶を描きました。



 缶を描いた方

 母の日だから、お母さんを描く!と、お母さんを描かれた方

 いつものルーチンをこなされた方がいました。




 バンドは、初めて参加される方もいたり、賑やかでした!

 いつも口笛を吹いてくれている、ちかちゃんにサンバホイッスルを使って、賑やかにして頂きました。
中々良い感じになりそうです!



 早朝に車を置きに行き、マックでコーヒーを飲みながら本を読ませて頂きました。
最初の一節は、重度の方をお預かりして、一回目はそんな風に思ってしまう事が多々ありますが、こんなに凄い方が正直に話されるのは、安心と自信を与えてくれました。

 今日も自閉症の方の絵を見せて頂いていて、他の方の話が気になって集中できていない姿を見ていて、この本に記述されていることのように思いました。

『この意味で、中核的自閉状態への治療者の解釈は、とても精神分析的とは呼べるものではない。というのは、それは、不安や防衛、すなわちメタ心理学を探知しようとしているのではなく、分解された経験の断片を寄せ集めようとしているにすぎないからである。』


 遅番に入る時間が来ました。


第3章 中核的自閉状態―ティミー―
第15セッション―月曜日
私は彼に無視されているとは感じなかった。むしろ、彼にとって私は存在していないようであった。私は、傷つかず、喜びも感じずもただ、彼の理解できない行動のありさまに深い悲しみを感じた。それは私を疲弊させ、私は彼が帰っていくとほっとした。そして、私は記録と苦闘せねばならなかった。もしセッションを思い出して記録することを先延ばししてしまうと、それは私の記憶の隙間から抜け落ちてしまい、何とも言えない悲しみだけが残ってしまうからである。



治療初めの3年間
ティミーの行動と感情は、私たちには、最初、大まかに二つのカテゴリーに分けられるように見えてきた。後には、第三のカテゴリー、そして次第に第四のカテゴリーがあらわれてきた。これら初めの二つのカテゴリー、すなわち対象との官能的な関係、そして空間と身体的関係は、とても原始的で断片的であったので、時間との関係という三番目の次元、対象との空想上の関係という四番目の次元性は非常にゆっくりとしか現れてこなかった。対象への官能的な関係や空間への身体的関係といった、この原始性が、中核的自閉状態の本質的な特性であることを、私たちは徐々に理解していった。後にティミーは、次第にその状態から抜け出して、時間の中に存在し、空想の対象に関係する時間が少しずつ長くなっていくことができた。 
 中核的自閉状態は、それぞれが無秩序に関係する断片の宇宙から構成されているようであった。〜
〜この目が回るような断片的な行動の様子から、中核的自閉状態においては、ある種の無思考状態が存在しており、その中で彼の感覚装置は、結合ないし共感覚的な機能様式から分解されていると私たちは考えるようになった。それぞれの感覚モダリティは、環境の中から接触できる物を各々孤立して探し出し、それと関連した行動は、空想を持たない、大変原始的で機械的な性質を持ち、それまで関わっていた物にもその後に関わる物とも何の関係もない。それらは、空想と対象関係が分解され、のちの残骸と思われるかぎりにおいて、治療者の解釈行為は、考古学者が貝塚の残骸から壺を再構成するのと同じように、断片化したイメージが何かを特定することを目指していた。これはある意味、無意識の空想を、その意識上の派生物から再構成する通常の精神分析実践とはまったく異なっている。これは出土品から文化全般。再構成する考古学者と同じで、解釈をより高い抽出レベルへと飛躍させることを意味している。この意味で、中核的自閉状態への治療者の解釈は、とても精神分析的とは呼べるものではない。というのは、それは、不安や防衛、すなわちメタ心理学を探知しようとしているのではなく、分解された経験の断片を寄せ集めようとしているにすぎないからである。私たちは、最初から治療者がこうしたことを考えていたと言っているわけではない。これらはすべて後智慧で分かったことであり、実際は治療者がいつの間にかそれをせざるを得なくなっていることに気づかされたというのが実情であった。〜