うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【心理的に無視されるのに抵抗し、彼の世界に私が存在する権利があることを主張しはじめた。すると、彼も私に興味をもちはじめたようだった。】


今日は日中賑やかで、朝から浜松に出かけていました。
本が好きな方が多いので、民主的に取り敢えず本屋さんに行きました。
休憩時の写真ですが、休憩なしで読まれていた方々もいますので、全員写せませんでした(笑)
 


 こんな参考書があるのも時代ですね!
ジュニアが推薦で大丈夫でしょうか(笑)まあ、覚えたもん勝ちですね!



 午後からは、静かにされたい班と、動きたい班に分かれ、おっちゃんは、後者の班に割り当てられました。
滝頭公園を散歩しましたが、ゆうちゃんが真剣に野球を観ていたので、みんなで2回と3回の表裏を観て、散歩を再開しました。本当は、ガーデンパークに行こうと思っていましたが、周辺が渋滞していたので、諦め帰って来ました。ゴールデン・ウィーク前ですが、お天気が良かったので、観光地は凄い車でした......。


 1週間くらい前から、投げ入れようと思っていて、時期が遅くなり大きくなってしまいましたが、芽イチョウ?をもらってきて、投げ入れました。もう少し小さい時の方が勢いがあり、立ち姿も良かったので、来年は、もう少し早く投げ入れようと思いました。


 今日は、早番の7時出勤だったので、6時に家を出て、重度の方がいなかったので6時25分にうたたね横のファミマでコーヒーを頂きながら本を読んでいました。6時45分には出勤しました。 



 本はケースに入ったので、中々ポイントでアップが難しくなっていますが、ポイントだけでも理解しやすい個所を拾っていきたいと思っています。


 下記のように、新しく学習できることも時々出て来るので、そのたびにはっとします。

『メルツァーは、口というものは意味が発達していく劇場であり、その劇場では、口という遊び場での遊びが上に向かうと頭の中で生じるようになり、外に向かうと手の動きになるという発達を遂げると述べた。』

 
 タスティンのいう、カプセル化されたかたと接するのは、多大な時間と労力が必要ですが、諦めずに小さな変化を読み取ろうとすれば、その都度、発見があるように思われます。それがたとえ微量でも、日々溜まるといつかは大海になるのです。


『いつも何かが起こっていたという事実である。たとえ死の海の中の小さな一滴のようであっても、そこにはコミュニケーションが生じていたのである。』


 本当に、諦めず土足ではなく、きちんと道を踏めば、どんな方でもいつかは心に触れられる日がくると思って、毎日支援をさせて頂いていますので、下記は理解できます。

『しかし私は、円滑に処理されるのを拒み、心理的に無視されるのに抵抗し、彼の世界に私が存在する権利があることを主張しはじめた。すると、彼も私に興味をもちはじめたようだった。』




第9章 ショーン
   傷つくことのない孤立から幼児期早期の相互作用の芽生えまで   パメラ・バートラム
〜彼が舌で味わっている感覚はきわめて個人的なものであった。もちろん、舌の探索は正常な発達の一部であるが、ショーンの場合、その段階に固着しているようであった。メルツァーは、口というものは意味が発達していく劇場であり、その劇場では、口という遊び場での遊びが上に向かうと頭の中で生じるようになり、外に向かうと手の動きになるという発達を遂げると述べた。〜





第10章 エドワード
    失ったものと見つかったもの――受動的な引きこもりから象 徴機能獲得まで    
ブランカ・ペコティック
〜セッション中のほとんどの時間、私は退屈と空虚感と生気のなさに苦しんでいた。しばらくすると彼は、私から顔をそむけ、介入を許さない儀式的行為に耽ったので、私は、いらだち、もがいた。この治療と、、その有効性に対する私の望みを支えたのは、各セッションがいかに耐えがたいくらい長いように思えても、いつも何かが起こっていたという事実である。たとえ死の海の中の小さな一滴のようであっても、そこにはコミュニケーションが生じていたのである。関係があたかも死のように切断されることは減少し、コミュニケーションの時間が増えていった。年月がつつにつれて、私はしだいにエドワードの調子に合わせてその場にいられるようになった。私はときどき、彼の内側に誰かがいて、私の声を聞き、私が差し出すものに反応できるという望みをもっているのは、この部屋で自分がたった一人なのだという気がした。私が絶望しそうになったときにはいつでも、エドワードは彼の中で何かがまだ生き残っているという小さな望みを私に与えてくれた。それは彼の中で溺れているが、まだ完全に死んではいない誰かの声のようであった。これが私の望みを膨らませ、わたしは彼に話しかけ、彼と共に治療過程を歩み続けた。ときには、彼とつながるために、タヴィストックの自閉症ワークショップで考案された精神分析的技法も用いねばならなかった。〜




第11章 コナー    
手すりを持って! でないと落ちゃうよ――普通の子になるまでの苦悩
    キャロル・ハンソン
 〜世界には、自分に関心をもってくれ、自分もその人に関心がもてるような、心豊かな人がいるという感覚が、彼には育っていないように見えた。この感覚は、人間の心の発達のために不可欠なものだと考えられている。この基盤のもとに、思考が起こり、経験が記憶され、連結されてゆき、想像力に満ちた人生が展開していくのだ。コナーには、このような包み込んでくれる人という概念が形成されていなかった。彼は、誰も助けの手を差しのべてくれない崩壊状態と、目もくらむような空虚さの両極を揺れ動いていた。しかし私は、円滑に処理されるのを拒み、心理的に無視されるのに抵抗し、彼の世界に私が存在する権利があることを主張しはじめた。すると、彼も私に興味をもちはじめたようだった。〜