うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

草間彌生展と、【有用な投影同一化のために利用可能な対象は、侵入性の投影同一化とその部分の対象内部への寄生的隠棲に対抗するだけの十分な強さと柔軟性を備えた対象でなければならない】




 草間彌生さんの展示で、撮影OKだった部屋の写真のアップです。
自分が知っている作品群でしたが(自分の中のイメージという意味で)、十日町で見るのと、美術館の中で見るのとはイメージが非常に異なり、びっくりしました。
 高齢になられても凄いエネルギーですね!



 今日は、シフトでは休みでしたが(笑)皆さんとお昼を食べに、豊川まで行きました。
急な事だったので?写真を写すのを忘れてしまいました....。
 夏用の靴を買われたり、ショッピングも楽しまれていました。

 午前中は自宅で明後日の会議の資料を作っていたり、本を読んでいたりで、帰宅してからは、思いっきりギターを弾きました。

 本は、本当に難しいです.....。メルツァーの本をもっと読まないと理解が難しいのかも知れませんね。
下記は( )を外してみました。
『苦しんでいる[自己]部分を受け止めてその苦しみを軽減し、統合のために自己へと戻す、有用な投影同一化のために利用可能な対象は、侵入性の投影同一化とその部分の対象内部への寄生的隠棲に対抗するだけの十分な強さと柔軟性を備えた対象でなければならない。』 

 少しは読み易くなった気がしますが.......。
下記のように時期に分けてきちんと整理していくのも大事だと気付かされました。
症例が順調に前進したからできたことでしょうか?投影同一化から摂取同一化と順調に進んでいるように思いました。



第5章 自閉症における障害された生活空間の地理学
――バリー――
ドリーン・ウェッデル
 自閉状態から抜け出た後に生じた、重篤な精神病性格を持つ思春期少年の精神分析的治療。そこにおいて明らかにされた、摂取同一化を通じた内的な良い対象を戻って内的世界の過程。


 苦しんでいる[自己]部分を受け止めてその苦しみを軽減し、統合のために自己へと戻す、有用な(helpful)投影同一化のために利用可能な対象(ビオン)は、侵入性の投影同一化(ビッグ)とその部分の対象内部への寄生的隠棲(ensconcement)(メルツァー)に対抗するだけの十分な強さと柔軟性を備えた対象でなければならない。この考えを例証する素材は、教育不可能で、学校に行くことが出来ず、まったく社会化が望めないために12歳の時に治療に紹介された青年の分析から得ることができる。情緒的に不安定になると、彼は過程では事実上、手に負えなくなった。幼少期、彼は自閉的であったが、それはハムステッド・クリニックでの治療の後で6歳時には解消されたように思えた。それに続いて、著しい精神病的性格構造が顕れ始めたようだった。バリーの分析は9年後、彼が21歳の時に自らの意思で中断された。この分析の初期の段階からの素材が、どのように空想の発達を許容する機能と役割を持った対照を包容した内的世界をこの子どもが確立することができ始めたかを例証してくれることを期待する。この土台の上に立って、彼は究極的には摂取同一化を通してより健康になることができた。
 これから述べる分析過程は以下のように各時期に分けられる。


 第1期(9ヵ月):攻撃性と怪物のようであること
 クリニック、治療室、分析家は攻撃性の焦点であり、バリーは自らを耐えがたい怪物として提示した。この時期は、バリーが分析家を、毅然とすることができるが、傷つきやすく損傷を受ける可能性はあるものの治療しうる皮膚を持つ(ビッグ)対象として認識したように思えた時に終わりを迎えた。



第2期(10ヵ月〜2年半):侵入性の、暴力的な投影同一化
 治療室の床、壁、家具は患者の内的な心の状態の受け手となった。この状況はバリーが、内的な家族と言えるような対象を包容した内的世界を心に抱き、その絵を描くことができた時に変化し始めた。このような対象は、適切に機能するための空間とプライバシーを必要としていた。



 第3期(2年半〜3年半):役に立つ投影同一化
 この時期において、バリーは分析家を心的痛みと死ぬことの恐怖を和らげうる対象として認識し始めた。攻撃性から愛情への変化があり、協働作業と言語化が増大していった。バリーが母親に向かって「もう何で僕が醜いのか分かるよ」と叫んだ後で、怪物のように振舞うことが少なくなっていった。



第4期(3年半〜5年):夢と摂取同一化
 患者が初めて学校に行くようになった時に、夢を通じて、分析過程でどのようなことが起こってきたか、明確になった。障害された眠りと健康な眠りがどのような意味を持つか明らかになり、健康な摂取同一化が始まっていることの証拠があった。