うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お薄と、【エコラリアを呈する子どもは、ある段階(正常発達のある足がかり)に固着するように見える。】


今日は夜勤です。
午前中は、歯医者さんと喘息の治療の病院のはしごで、待っている時間で第10章まで読み終えました。
第18章まであるので、もう一息です。電車では、せっかくなので風景も沢山見ましたので、思ったよりも進みませんでした(笑)
 母親や、弟の彼女から頂いたお菓子があるので、ひとつ頂くためにお薄を点てました。



 第5章はキリがないので、諦め(笑)第6章に入らせて頂きました。

 下記は当てはまる方が沢山おられるように思います。

『エコラリアを呈する子どもは、ある段階(正常発達のある足がかり)に固着するように見える。そのとき、重要な他者の声は表面的に捉えられ、内化が進まず、消化されない。言われていることの意味よりも、声の感覚的性質に関心が向けられる。他者の叱責や励ましの声が、より正常なかたちで同一化されるときには、模倣はより消化されたものに席を譲る。その場合は、子どもの本当の声が聞こえる。「さわるな」という機械的・直接的な命令は、「さわってはいけないんだ」という、より内省的なかたちになるのである。このようにある程度の理解力が発達すると、それが他の状況にも般化されるようになる(ビオンは、これを“経験からの学習”と呼んだ)。』



 下記は、一番大事にしたいことです。
現場の職員でも、自分は経験があるので!と自信満々にアピールしてこられる方がいますが、評価するのは管理者や役員ではなくて、利用者さん達だというのを忘れてはいませんか?いくら経験豊富でも、利用者さんから支持されていないと、ことちらも評価のしようがありません......。

『安定して自分を受け入れてくれる人々が世の中にいるのだという確信が強くなるにつれて、彼のアイデンティティも確立していった。』


 下記は、境界が分かりにくい方々には、どうやって自分(me)と自分でない(not‐me)を分からせるか、分かって頂けるようにできるかが、重要になりますね....。しかし、一度分離に成功したら(フォローが十分された状態で)それを糸口に、その方の世界が拡がって行くのでしょうか?

 『「だめ」と言うことによって、私が分離した人間であることを示したときの彼の反応は、不思議の国への引きこもりと、癇癪を起すことの間を何度も揺れ動いた。』 

 思いやりのある、毅然とした態度というのが、現場では本当に大事だと思っています。
けじめがつけられない支援者は支援出来ていません。慣れだけでやっている方大半なので、調子がいい時はいいのですが(そんな時は誰でも支援できますが....)不調になった時にはなす術を持たないので、その方や、誰かや、薬のせいにしてしまう傾向があります......。それは一番避けたい行為です!

『これら三人の子どもたちの臨床資料は、断固とした態度をとることと相互性を保つことの間で適切なバランスをとりながら、さまざまなやり方で感情的な場面を耐え忍ぶことの重要性を示している。』



 夜勤に行って来ます!



第6章 エコーか答えか
自閉症スペクトラムの三人の子どもたちの言語発達  マリア・ロード

〜エコラリアを呈する子どもは、ある段階(正常発達のある足がかり)に固着するように見える。そのとき、重要な他者の声は表面的に捉えられ、内化が進まず、消化されない。言われていることの意味よりも、声の感覚的性質に関心が向けられる。他者の叱責や励ましの声が、より正常なかたちで同一化されるときには、模倣はより消化されたものに席を譲る。その場合は、子どもの本当の声が聞こえる。「さわるな」という機械的・直接的な命令は、「さわってはいけないんだ」という、より内省的なかたちになるのである。このようにある程度の理解力が発達すると、それが他の状況にも般化されるようになる(ビオンは、これを“経験からの学習”と呼んだ)。
 本章で記述される三人の子どもたちは、特別なとらわれをもっている。それは、被害を受けることに対する不安である。この不安が強いためもあって、子どもたちは生き生きできなかったり、自分の声を見いだせなくなったりするように見える。エコラリックな発話は、日常的に用いられると、しだいに正常発達を阻害する不安を引き起こすきっかけを生みだすようになった。セラピストと子どもが、その不安を理解しはじめるようになるにつれて、エコラリアはより正常なコミュニケーション形態に変わっていった(もちろん、既知のものも未知のものも含めて、数多くの要因がエコラリアの発達に影響していることは明らかである。本章では、この複雑な症状の形成要因を取り上げただけである)。

►幽霊の起源――生と死のライバル関係
 〜タスティンの言葉を用いるなら、「このような子どもたちは乳児の群れの中で競争しているように感じている。乳児たちは彼らを追い出すか、たたきつぶして殺してやると脅している」。対照的にクライン(Klein,M.)は、患者が音楽に喜びを見いだすことについて、音楽における調和は、その母親の子どもたちの間での調和的関係を表しているという考えをもたらすと述べている。


►〜安定して自分を受け入れてくれる人々が世の中にいるのだという確信が強くなるにつれて、彼のアイデンティティも確立していった。〜


►〜ダニエルとセッション中は話が通じたが、それは私が彼の真意を理解できなかったことを示したからであって、そうしなければ、彼は言いたいことが表現できなかった。会話は彼が私の言葉を奪う恐怖を乗り越えたときに展開した。こうして、クルエラ・デビルについて話し合ったときのように、彼は言葉を自分のものにしていったのである。そういうわけで、セラピストが子守唄や子ども向けの物語やビデオなどをよく知っていると表明することが、技法上、有益である。ただし、自閉的でない子どもの場合は、そういう知識はそれほど必要ない。〜




►癇癪を乗り越える
 〜「だめ」と言うことによって、私が分離した人間であることを示したときの彼の反応は、不思議の国への引きこもりと、癇癪を起すことの間を何度も揺れ動いた。癇癪はしだいにコントロール可能になっていき、ダニエルは養育者に対して攻撃的でない自分に成長できる可能性を思い描けるようになっていった。彼はもはや破いた紙を飲み込んだりしなかった。その代わりに彼はスポンジから水を飲み、スポンジはそうしても壊れないことを私に示した。




►考察
 〜彼らは自然に、しだいに発達していくという概念をもっていない。彼らはただ、侵略するか侵略されるか、無力か万能か、自分の何かが奪われるか、他者の部分を奪い取るかという両極の間を揺れ動くのだ。タスティンの患者のデイビッドとアリアドネのように、彼らは養育者に同一化することによって能力を獲得していくと感じない。その代わり、彼らはそれまで感じていた無力感を逆転させて、その能力を他者から文字通り“奪い取った”と感じるのである。〜

〜アルヴァレズが強調したように、機械的な鏡映は創造的な変容とは異なる。変容のためには、まず、母親と父親と他の子どもたちの間に絆が維持されていると感じることが重要である。この感覚は、ジョナサンが恐れていた一種の共生精神病(folie-a-deux)の発症を防ぎ、しかも、母親の子どもに対する感受性は阻止しない。ハミルトン(Hamilton,V.)は、このバランスが保たれないと、子どもは(不思議の国にいたダニエルのように)自分についてのだれかの考えによって、罠にかけられたかのように感じるだろうという。
 赤ちゃんは、自分が母親の目に好ましく映っている存在であると認知する必要がある。しかし、私がここで記述した三人の子どもたちは、自分と向かい合っている母親と、彼女の行動に反映している好ましい内的対象(それが何であっても)との間に、適切なバランスをとることができていなかった。彼らは二つの感じの間を揺れ動いた。一つは、彼らが母親の目に見たものが自分とはまったく無関係で、単に母親自身の関心事や人間関係の反映にすぎないという感じである。もう一つは、彼らが他者を完全に追放したので、鏡の間にいるのは彼ら自身のエコーだけ、あるいは、復讐心に満ちたシーンが知覚される。そして、その荒廃には彼ら自身に完全な責任があると感じるのだ。
 これら三人の子どもたちの臨床資料は、断固とした態度をとることと相互性を保つことの間で適切なバランスをとりながら、さまざまなやり方で感情的な場面を耐え忍ぶことの重要性を示している。この場面から、新しい能力が発達してくるのだ。忍耐できなかったり、バランスのとれた状況を維持できなかったりすると、自己の異なった側面は適切に統合されないであろし、互いに葛藤するものとして経験されるかもしれない。
 三人の子どもたちの資料は、言葉の繰り返しが、いかに多様な情緒的関係のニュアンスを含んでいるかを示したいる。このスペクトルの一端には、単に他者のアイデンティティによって自己主張する段階(たとえば、「ロード先生にさようならって言いなさい」)がある。それから、“ダブル・ユー”の声になって、「治療室に行きましょう」と言う段階、マッチングによって意図を伝える(「手を合わせましょう」)段階があり、さらに、その子について第三者の声でセラピストに伝える(「会談のところで彼を止めてはいけないよ」)段階がある。そして、最後に感情的経験が純粋に内化されるのだ(「アンソニーとロード先生」)。そのとき概念化も生じうる(「赤はクリニックのある日、緑は休みの日」)。こうした内化の諸段階は、ダニエルの行動の変容にも同じように認められる。彼は、破った紙の断片を飲み込んでいたが、やがて、スポンジを傷つけずに水を飲めるようになった。このように、自閉症の子どもたちは、他者の声を取ってしまうという葛藤状況で行き詰ってしまう状態から、それを自らの内部に取り入れられるように変化していくのだ。