うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

村雨

ka-gu2017-02-15


 今日は、遠出しているので、早朝に村雨(設計士さんと大工さんと、駐車場をお借りしたお米屋さんにお礼として、お渡ししたついでに買ってもらいました)を頂きました。
5時間くらい運転して来たので、疲れました……。


 下記は、朝、時間待ちでコンビニでコーヒを飲みながら、打ち込んでいた箇所です。

初めての携帯からアップなので、きちんとできているでしょうか?
 文字を大きくしたりできません(笑)


第6章 自閉症を抱えた子どもとの精神分析心理療法

1, はじめに
 子どもの精神分析心理療法はその発展の歴史の中で、体熱自閉症を抱える子どもにも精神分析心理療法が有効であることを示してきた。特に1990年代のアルヴァレズらによる自閉症を抱えた子どもたちとの仕事によって、心理療法士が従来の精神分析の知見だけではなく、乳児観察を含む発達研究を参照した実践の重要性を認識したことは、精神分析心理療法に大きなパラダイム転換をもあらした。人生早期(生後0ヵ月〜24ヵ月)の乳児観察および乳幼児の発達研究は、人間のこころの成り立ちについて多くの知見をもたらし、それを受けて子どもの精神分析心理療法は従来の他者とのこころのやりとりを前提としたモデルから、他者とのこころのやりとりを可能とする能力の発達のサポートを包含するモデルへと変化を遂げたのである。このもモデルに従えば、自閉症のような情緒的認識力の欠損により他者とのこころのやりとりが成立する以前の発達状態に子どもがある場合、心理療法士はまずこころのやりとりを成立させる能力の発達を人と人との相互交流の中でサポートしていく必要があることになる。
 この心理療法モデルの変化は、心理療法士のあり方に大きな変化をもたらした。従来、心理療法士は子どもが遊び等の相互交流を通して心理療法士のこころの中に投げかけてくるもの(投影同一化)を受け止め、関係の中で理解し、子どものこころが消化できる形にして言葉(解釈)で返していくという、受容あるいは包容的態度をとっていた。しかし、自閉症のようなこころの基盤が未発達な問題を子どもが抱えているとき、そもそも子どもが心理療法士のこころの中に何かを投げかけてくることは生じにくいか、あるいは生じない。関係性の中で"何か"が生じているのは、こころのやりとりが可能となる以前の身体感覚や行動といった領域(非象徴領域)である。目の前で子どもが展開しているのはこころの内容が伝わる遊びではなく同じ動作する反復あるいは感覚刺激的運動であり、それに対峙する心理療法士が経験しているのは、思考、情緒の平板化、注意の散漫あるいは欠如、眠気、退屈さ、麻痺といったものであることが多い。心理療法士は、そういった非象徴領域で展開するものに積極的に注意を払い、子どもとの関係の中で、自らが陥っている状態の意味を考え、そして子どもが陥っている状態の意味を考えて、子どもとの間で生じているその"なにか"を捉え理解していく(平井〈2011〉の「対人相互作用フィールドモデル」参照)。そうして、その理解に基づいて、心理療法士は言葉だけでなく、声のトーンや表情などの非言語メッセージ、時には行動によって、こころというのもが意味をなす関係の世界に子どもの注意を積極的に引きつけていく(アルヴァレズ〈Alvarez, 1992〉の「再生技法」参照)。
 以下、本章では自閉症を抱えた子どもの精神分析心理療法の実際を例示していく。その際、自閉症を抱えた子どもが示す状態には、生きた対象の注意を引きつけられる自己の部分を自分のものとして生きることができていない問題が背景にあり、その自己部分を心理療法士との関わりを通して取り入れていくことが課題となることについても検討していく。