うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

酒瓶とケシの花と、【実際、少なくとも部分的には、これらは生き残るための反応として理解できる。そうすると、当初非常に不可解に見えた子どもの生存意思が肯定的・英雄的に見えてくる。】


今日は、急に夜勤になったので、日中は事務仕事をしていました。
朝、ひーひー王子と散歩中、少し前から咲いているケシが、大阪の街中でも咲いていたのを思い出し、ひとつ頂いてきました。
 花器にしたのは、大阪で母親に持って帰りとくれた高知県の安芸の昔の酒瓶です(笑)
捨てるのがもったいないと、高知からもってきたうちの一つでした。
 異常に重いですが、頑張って持って帰って来ました。


 なんやかんやしていたら、もうこんな時間ですね!
ちょこっとギターでも弾いてから早めに出勤して、本を読みたいと思っています。




 下記は、だから自閉的にならざるをえないのでしょうか?

『こうした解離状態において、自閉症の子どもは外界の刺激に反応せず、変わりに自己の内的な身体感覚に完全に没頭する。自他が十分分化する以前、あるいは、象徴能力が発達する以前の乳幼児期にトラウマを受けると、PTSDの大人や子どものように白昼夢や空想に引きこもることができない。』



 支援する側にも、人生経験が少ないと、きちんとした支援が難しいかもしれませんね.....。
いくら勉強をしても進めても、資質的なところまでは中々改善が難しいですね......。

『成人では普通、トラウマ経験は他の人生経験が背景にあるときに生じるので、そのこと事態が回復を促進する力を持っている。しかしながら、ごく幼い子どもではトラウマの結果が別のようになると空想したり、個人史を“書き換え”たりするような発達課題に至っていない。ただし、幼児には、自動的に起こってくる感覚世界に引きこもることはできる。』 



解離状態
 “凍りついた”状態だと、子どもは一見外的な刺激に無反応となる。自閉症の子どもは、しばしば聴覚障害を疑われるが、通常、検査結果は正常である。同様に痛みに対する適切な反応も欠如しがちだった。一人の自閉症の子どもがこの顕著な例となるだろう。彼は18ヵ月のときに目を怪我して手術で縫合した。このとき麻酔がなされなかったにもかかわらず、彼はまったく身じろぎしなかったという。病院のスタッフは彼のことを“模範患者”と呼んだが、経験豊かな養母によれば、これはこの子の発達が正常でなかったことを示す指標の一つであった。これはやや劇的な症例であるが、こうした子どもが転落したときや怪我をしたときに反応せず、普通のやり方でケアを求めないと指摘する親や教師は多い。同様に、彼らは他者を傷つけるときにも、なんとも感じていないように見える。 
 こうした解離状態において、自閉症の子どもは外界の刺激に反応せず、変わりに自己の内的な身体感覚に完全に没頭する。自他が十分分化する以前、あるいは、象徴能力が発達する以前の乳幼児期にトラウマを受けると、PTSDの大人や子どものように白昼夢や空想に引きこもることができない。PTSDでは、トラウマに対する無力感が中心的問題として認識されている。回復能力にとって最も重要なことは、実際の経験ではまったく無力であった状況に対抗する力(potency)を導入することである。このことは、さまざま治療法によって達成されている。その中では、トラウマティックな状況が“書き換え”られたり、復讐物語が空想されていたりさえする。精神分析的治療では、転移関係を通じて、セラピストが一時的に被害者の立場に立つこともある。そうすることで患者を楽にしたり、自分の無力感や怒りについて新たな視点を得たり、探求したりできるようにするわけである。成人では普通、トラウマ経験は他の人生経験が背景にあるときに生じるので、そのこと事態が回復を促進する力を持っている。しかしながら、ごく幼い子どもではトラウマの結果が別のようになると空想したり、個人史を“書き換え”たりするような発達課題に至っていない。ただし、幼児には、自動的に起こってくる感覚世界に引きこもることはできる。彼らはその感覚の強さや持続時間、頻度やタイプをコントロールし、ある程度、意志の力や有能感を感じるのである。このように考えると、自閉的な人々が身体感覚や特定の対象に引かれ依存することは、さほど“病理的”でもないし、ひどい固執ではないように見える。むしろ、それらは了解可能であり、改善可能性を秘めているのではなかろうか。実際、少なくとも部分的には、これらは生き残るための反応として理解できる。そうすると、当初非常に不可解に見えた子どもの生存意思が肯定的・英雄的に見えてくる。