うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこに抹茶と、【書店の倒産が前年の1.5倍に。街角の本屋さんはもういらないのか?】と、【患者は、我々への関心をおおっぴらに見せたりはしないが、我々の興味や注意を引くために、自分たち独自のやり方を見いだすのである】


今日は、自分の受診で豊橋まで出ました。
病院の近くにお茶屋さんがあるので、なくなっていた抹茶を買ってきました。
 仕事は山積していますが、今日は何もしないことに(笑)しました。
本を読んだり(病院の待合で大分読みましたが)、ギターを弾いたりでのんびりしていたらあっという間にこんな時間.......。
 少しは勉強とギターの練習をしたということで、自分を慰めることにしましょうか(笑)
メールのチェックをしていたら、まぐまぐさんからのメルマガに下記のニュースがありました。
 去年神田に行った時、みすず書房さんの専門店みたいな本屋さんに行きましたが、本当に欲しい本がなくて、がっかりして(何軒も回りましたが)帰ってきたのを思い出しました。
 悔しさを、ギブソンの特約店なのに、フェンダーテレキャスターを店員が弾いていた店に入り(笑)弾かせて欲しいと言って、思いっきり弾いたら、若い店員が悔しそうにしていたので(笑)ちょっとがっかりを解消してきたのも思い出しました(笑)いいテレキャスターでしたが......。関係なかったですね(笑)

欲しい本がAmazonでないと、中々入手できないので、自分としては本屋さん大好きですが........。

【書店の倒産が前年の1.5倍に。街角の本屋さんはもういらないのか?】
ビジネス 2017.04.07 1170
by 佐藤昌司『店舗経営者の繁盛店講座|小売業・飲食店・サービス業』
http://www.mag2.com/p/news/245305?utm_medium=email&utm_source=mag_W000000015_thu&utm_campaign=mag_9999_0413&l=ohk05efb82


 下記は、本当に勉強をして、現場で知恵を絞りだした結果の言葉のように感じます。
逆転移を直ぐに出さない訓練は、下記のようなときに必要ですね。自分たちは、そういった訓練は受けれないのでせめて理念として持ち続けたいと思っています。

『もしこれを忘れたなら、自閉症の患者はそれを我々に思い起こさせるすべをもっている。たとえば、私の自閉症の患者の幾人かは、十分関心を向けているときには決してしないようなことを、私の関心が一瞬どこかよそへ漂ったときでけにするのだ。そこで、我々は患者の反応と同様、自分自身の反応もモニターし、たった今自分が何をして何を感じていたのか、あるいは何を感じず何をして何を感じていたのか、ということに心をとどめておかねばならない。患者は、我々への関心をおおっぴらに見せたりはしないが、我々の興味や注意を引くために、自分たち独自のやり方を見いだすのである。』



第4章 欠陥に挑む
受身的で“他者に関心を引かれない”子どもたちに対する発達研究に裏打ちされた心理療法
 アン・アルヴァレズ
◆はじめに
最近、いわゆる遷延性植物状態(PVS:Persistent Vegetative State )に関する新しい見解が新聞で取り上げられた。介護者の細やかなアプローチによって、PVSと診断された患者の約半数において、コミュニケーションや自己意識に改善が認められ、生きている喜びが強くなったというのである。〜
〜ロシアの偉大な神経学者であるアレクサンダー・ルリア(Alexander Luria)は、科学者による観察とは、単にばらばらの事実を記述するのではなく、その主目的は、ある事象を可能な限り多くの観点から見ようとすることだという。本章ではない以下の三つの観点から自閉症の悲劇的“事象(event)”について検討する。

1.長期にわたる治療の中で、セラピストと患者の間に起こる相互作用から臨床的に見いだされること。 子どもの反応をセラピストが観察し、続いて、それに対するセラピスト自身の感情や反応を観察する(観察する被観察者になる)。そしてまたそのセラピストの反応に対する子どもの反応を観察する……といった具合に観察をを続けていく。

2.近年、発展してきた精神分析理論と技法。抑圧された素材を明らかにすることよりも、パーソナリティの失われた部分を(今ここでの相互作用において)包み込むことに、より重点を置く。

3.乳児の発達研究から得られた知見。つまり正常な社会的・情緒的・認知的発達の萌芽、あるいは、その萌芽の萌芽に関する知見。


 これら三つの観点には、すべて、二者心理学(two -person psychology )の知見が用いられている。このようにして得られた情報は治療に不可欠であり、また、単に症状を並べ立てる一者心理学(one -person psychology )がもらたすものよりも、自閉症の心理学をより豊かに記述するものであるといえよう。〜
〜本章では、自閉症の子どもの中でも、特にある一つのサブグループの子どもたちの治療について検討する。彼らは“引きこもっている(withdrawn )”というよりは“他者に関心を引かれない(undrawn)”。すなわち、その社会的反応の欠如が、超然とした疎遠さや積極的な回避ではなく、欠陥による冷淡な無関心という特徴をもつ子どもたちである。〜

〜疎遠タイプの子どもたちについては、まったく別の技術的問題があり、それはタスティンが殻タイプとして考察する中で見事に探求しているが、それについてはここでは触れない。
ただ、ここで重要なこととして付け加えたいのは、無関心な子どもたちの中にさえ、欠陥という要素が存在するかもしれないということである。多くの症例では、これらが混在している。たとえば、ある子どもの無関心が長期にわたていたり、かなり早期から起こっているとすれば、その他の機能においてもかなりの発達遅滞や欠陥を生じさせることになるだろう。重度の自閉症の子どもたちの多くは、言葉がまったくないかもしれない。また、より重度になると、遊びの要素を含んだ喃語さえ出てこないこともある。話さない子どもが心理療法の中で音を使って遊んだり、より輪郭をもった音を作ったり、トレヴァーセンが“前-音楽(pre-music )”とか“前-発話(pre - speech)”と呼んだ活動を始めたとしたら、これはまさにある達成だといえよう。ここで、セラピストにとって技術的な問題が重要になる。言葉を持たない子どもたちに対して、どのようにしてこれらの気持ちを届かせられるのだろう。このような子どもたちに対して、どのように話しかければよいのだろう。〜



►観察の方法
 私は、自閉症の子どもとセラピストの間の対人関係の側面を無視して自閉症の子どもについて研究するのは、音痴の人が音楽を聴くようなもの、あるいは嗅覚なしに2本のバラの香りを嗅ぎ分けるようなものではないか、と論じたことがある。新しいチェロを入手しようとする音楽家は、買う前にまず一度弾いてみて音色や共鳴度を調べるという。ハムレットは、ギルデンスターンがハムレットのことをまるで楽器のように操れると考えていることをからかって「この小さなオルガンの中にはたくさんの音楽、すばらしい歌声が秘められている。けれど、このオルガンに話しをさせることはできない」と言う。ここでの研究対象は生きて変化する関係であり、歌であり、無生物ではない。デュエットであってソロではない。もしこれを忘れたなら、自閉症の患者はそれを我々に思い起こさせるすべをもっている。たとえば、私の自閉症の患者の幾人かは、十分関心を向けているときには決してしないようなことを、私の関心が一瞬どこかよそへ漂ったときでけにするのだ。そこで、我々は患者の反応と同様、自分自身の反応もモニターし、たった今自分が何をして何を感じていたのか、あるいは何を感じず何をして何を感じていたのか、ということに心をとどめておかねばならない。患者は、我々への関心をおおっぴらに見せたりはしないが、我々の興味や注意を引くために、自分たち独自のやり方を見いだすのである。〜