うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

久し振りのお薄と、歯医者さんと、◆自閉症の三つの主症状


 今日は夜勤です!何となく何かをやっていると、もうこんな時間.....。
 昨日買った抹茶で、自宅で久し振りにお薄を点てました。
自分の好みの量で点てられるので、自分で点てるのが一番いいですね(笑)


 4か月ぶりに歯科医院に行って来ました!
歯茎がすぐに腫れるので、定期的に見て頂いていましたが、息子さんが戻られるとのことで、リニューアル工事の為、休まれていました。
 残った歯を大事にして下さる先生なので、一時期、自分のことなどどうでもよかった時期に、きちんとした手入れをしていなかったので、歯がボロボロです(笑)なので、残った歯でなんとかやりくりしたいので、本当に助かっています。
 花は、親分が知人のフラワーアレンジメントの先生にお願いして作ってもらったもので、窓の外から見えるように飾って下さっていました。
 以前と違い、最新の設備が導入されていたので、びっくりしたこともありました。
今後とも、宜しくお願い致します。



 歯医者さんから戻ったら、ねこさんが気持ちよさそうに、縁側で寝ていました。
風がなければ、暖かいのですが.......。


 もう少ししたら、夜勤に入る時間が来ます。早めに出て、ファミマかマックで本を読みましょうか?




 受診前、早めに出て、近くのファミマでコーヒーを飲みながら本を読みながら打ち込んでいた箇所です。
次回にアップさせて頂こうと思っている箇所の方が現場で役立ちそうですが、ここは我慢して?(笑)自閉症の三つ組みの復習です。
この三つ組みの説明だったら、すべてがイマジネーションの障がいだとは感じなくて、且つ、分かり易くて嬉しいですね。

 下記は、頭に入れて支援させて頂きたいところです。

『なぜ話をしないのか?誰にあるいは何に対してコミュニケートするのに失敗しているのか?こうした疑問から、セラピストがどの程度の発達レベルのコミュニケーションで関わるとよいかという問題が提起されよう。』





自閉症の三つの主症状
 ウィングとグールド(Gould,J.)は、カンバーウェル(Camberwell)で3万5000人にも及ぶ子どもについて膨大が研究を行いカナーがもともと提唱した三つの自閉症の症状群が現在もそのまま適用できることを確認している。その自閉症の三つの古典的な症状とは以下の通りである。

1.重度の社会性欠如(severe social impairment )が認められること (カナーは“重度の自閉的孤立 [severe autistic aloneness]”という語を用いた)


2.言語的・被言語的コミュニケーションが著しく困難であること


3.(a)ごっこ遊びのような想像力を用いる試み(impairment )が欠如
しており、
(b)その代わりに反復的な行動をすること



これらはすべて、欠如(impairment )の存在を示唆するものである。ラター(Rututer,M.)は、これらの症状はすべて、自閉症の子どもに共通して見られる認知的欠陥として考えることができると示唆している。フリスやバロン-コーエンなど、その後に続く研究者たちは、この認知障害という心理学的な像を説明するために、自閉症の子どもに欠けているのは心の理論(theory of mind)であると強調する、いわば一者半心理学(one‐and-a-halfperson psychology)を提唱している。この考え方は興味深いものであるが、彼らのいささか認知的すぎる理論において欠けていると思われるこの半人分は、他者の心の状態についての認知や合理的な推論という対人県警に影響する以外の側面に関するものである。ホプソンは“人”という概念は、“身体”や“心”というよりも、より根源的であると指摘し、自閉症の核心は、他者と間主観的で個人的なつががりをもつことにおける重篤な混乱であるという、説得力のある議論を展開している。このように認知の中心に(その構造の一部として)感情を位置づけるのが、もはや精神分析家だけではないというのは興味深い。感情、特に他者に対する感情は、発達学者や現代の脳研究者によると、認知に付随あるいは付加するもぬではなく、そのまさに中心にあるものと考えられている。我々あもホプソンの考えに沿って、自閉症の子どもに欠けているものは、心の理論ではなく。人についての理論(theory of person)、すなわち、世界の中に興味深い他者が存在するという感覚である、と捉えたほうがよいのかもしれない

〜この第一の症状、社会性欠如は、それゆえ、まず、その子どもの自己感覚の障害と社会性の欠如の両面から検討していく必要があるだろう。しかし次に、内的対象、内的人物像、人々の内的表象、あるいは心の理論の社会性欠如を考えに入れておく必要があるだろう。このような子どもは、他者にはまったく興味がないように見えるかも知れないが、自分の関心が引かれ(interesting)、また自分に関心を示してくれる(interested)他者という内的イメージを形成することに失敗したのかもしれない。第二の症状であるコミュニケーションの困難さについては、その子どもがどのような内的聞き手(internal listener)や応答者に対し関わろうとしているのか、あるいは関わるのに失敗しているのかという記述を含めた定義づけが必要であろう。なぜ話をしないのか?誰にあるいは何に対してコミュニケートするのに失敗しているのか?こうした疑問から、セラピストがどの程度の発達レベルのコミュニケーションで関わるとよいかという問題が提起されよう。第三の症状は遊びの問題であるが、これは以下の二つの要素を含むため、より複雑である。まず、想像力を用いることとごっこ遊びの欠如については、第一と第二の症状と同様に欠陥を含むため、一緒に遊べる対象、あるいは、遊びの対象(playful object)の欠如について考えることができる。しかし第二の要素である、想像力を駆使した遊びに取って代わる、反復的でステレオタイプな常同行為という深刻な症状については、欠陥とともに障害や逸脱ととの関連が大きいので、次章で再び取り扱うことにしたい。