うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

とりあえず『帰納的標本』展(笑)と、【R.S.AとE.S.AとA.P.Aの比較】(自閉症と小児精神病より)


取り敢えず(笑)『帰納的標本』展が明日から、神戸館さんで始まります。
取り敢えずというのは、カーグ展をする予定が、間に合わなかったので取り敢えず、おっちゃんの作品を飾らせて頂いています。
 今回は、下絵を持って行ってみました。

 ロード・ローラーは、人目に触れるのは初めてかも?

 この辺は、見られた方も多いですが、まだ未発表のものがありますが、3mあるので、飾れる場所がありません(笑)

 星野眞吾賞の時に選んでいただいた、吉田先生(審査員長であり、豊田市美術館館長)の手紙も宝物にしているので、作品の横に展示させて頂きました。これが一番価値があるかもですね(笑)


 今日は、夜勤ですが、朝から事務仕事や絵の搬入・展示でばたばたしました(笑)予定通りの事務仕事はできたので、ちょっと一息です。
 この打ち込みが済めば、夜勤の入りまで事務仕事やります(笑)

 まだ第7章で留まっています......。きちんと理解できているか?自分の中で確認しながらなので、本当に時間が掛ってしまいます。予定では、『自閉症とパーソナリティ』アン・アルヴァレズ、スーザン・リード共著に入っているはずでしたが、手こずっています。サリヴァンも3冊くらいはめっちゃ時間がかかりました.....。
 どれも大切な言葉に感じて、区切りをつけられません.....。


【R.S.AとE.S.AとA.P.Aの比較】
 退行二次的自閉状態(R.S.A)と関連する顕著な精神病的症候群は、小児統合失調症である。
 一方、カプセル化二次的自閉状態(E.S.A)と関連する顕著な精神病的症候群は、早期幼児自閉症である。
 退行する前のR.S.Aの子どもは、E.S.Aの子どもより長期間、身体的分離性に気づいている。E.S.Aの子どもは、身体的分離性をあまりに苦痛に満ちたものとして体験し、爆発してしまい、二度とその体験をしないように障壁を作ってしまう。一方、A.P.Aの子どもたちは、短い覚醒時に爆発的に反応する以外は、能動的な反応を一切せず、身体的な分離性をほとんど体験していないようである。
 E.S.Aが、未統合状態からの性急な「統合」と関連しているのに対して、R.S.Aは解体(disintegration)と関連している。A.P.Aの子どもたちは、統合されている部分もあるが、大部分は分化が曖昧なままになっている。
 R.S.Aでは、過剰な分裂過程の結果、対象や自我がバラバラになっている。E.S.Aの子どもたちの反応は、概括的である。つまり、快を与える「自分」と、不快な「自分でない」とを単純に二分し、後者の「自分でない」ほうは、消し去られる。A.P.Aでは、この区別が曖昧になっている。
 E.S.Aにおけるカプセル化の過程は、通常の突出的もしくは侵入的な包み込み過程が強化されたものである。
R.S.Aは、クラインが投影同一化(これはクライインが十分気づいていたように時にはあまりよい命名ではないが)と名づけた家庭の過剰な発達と関連している。クラインは、次のように投影同一化を定義している(Klein,1963,p.58)。「投影による同一化は、自己の一部を分裂排除することと、他者に(むしろ他者の中に)その自己の一部を投影することが合わさることを意味している。
 この投影同一化の概念を理解する際に生じる困難は、主体と対象の混乱によるもので、それはこの概念の性質上避けられないものである。この概念は、「一見神秘的」(Rank,1949,p.43)に見えるような、母親と子どもの「対話」(Spitz,1963)を科学的に記述するという点で、役立つものである。この過程は、その健常な側面においては、錯覚にも続いた対話あるいはフィーヂバックのシステムのようであり、そのような錯覚が行きつ戻りつすることを通じて、驚愕と怒りの身体的な爆発は、包容され、耐えうるものにされるように思われる。それは、共感的な相互関係の一種である。声の調子や、筋肉の緊張、表情、姿勢、振る舞いは、このようなコミュニケーションを受け取る際の通路である。これは、非言語的な手段であり、この手段によって、私たちはお互いの立場に立ち、お互いを理解する。自己の部分を微細に断片化(解体)して、たくさんの別々の置き場所を用いて、広範囲にそれらを産卵させる場合にのみ、この過程は病理的なものになる。これら追いやられた自己の部分のまき散らされている程度によって、心理療法の治療効果がどのくらい希望がもてるものになるかが決まってくる。
 投影同一化は、その病理上の発達においては、W.M.ブロディ(Brodey,1965)の述べる「距離化」と「外在化」に共通するものを多く含んでるように思われる。マーラー(Mahler,1952)は、相互利益的な養育状況を言い表わすために、「共生」という言葉を用いている。そして、それが制御を超えたものになり、病的なものになった場合に、「共生精神病」と名づけた。ウィニコット(Winnicott,1958)は、早期乳児期の「二重の依存」状態について言及し、「相互交流の概念は、錯覚に基づいている」という警告を与えている。
 多くのA.P.Aの子どもたちは、健常な分化をしていくことを母親によって妨げられてきているように見える。そして、彼らは、部分的にしか分化を達成していない。この限定的な分化hが、赤ん坊が母親から分離していることを認めることに関する、母親側の強烈な不安によるもののように思われる。子どもは、母親の分離に対する恐怖に「感づき」、その状況に「はまり込んでしまう」。
 E.S.Aの子どもたちは、母親との原初的な一体感を喪失することに関する口唇的な外傷に対処するために、自分自身をきつく包み込んでしまっているようだ。彼らは、外界の対象も自分の身体の一部として体験しているために、「自分自身に包まれている」。
 R.S.Aの子どもたちは、おぼつかない仕方で、母親から分化してきていたところで、身体的な分離性に関する口唇的な外傷が彼らにとってとても対処できないものになり、「母親に包まれた」状態へと退却していったのである。