うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

散歩と、【もし迫害や羨望を感じ過ぎているのでないなら、幼児は考えることができる母親をとり入れ、その母親に同一化するし、幼児自身のいまや和げられた感情もとり入れる。】


今日は、夜勤でしたが、散歩の引継ぎなどがあり、午前中初立池まで行ってきました。
ほぼジョギングだったので(笑)その散歩だけで一日のノルマ(運動量の)達成してしまいました(笑)
 一緒に行った職員さんは、利用者さんの笑顔を見たいので頑張る!と言っていました。現場のこと色々話させて頂き、本当に現場が好きな方だと改めて思いました。
その方は、重度の方の夜勤をしてくれています。好きでないと重度の方の支援は大変でしょうね。

 事務仕事などしていたら、あっという間に夜勤の時間になったので、慌てて自転車で出勤しました。




 本は、早めに出てファミマで読みました。
ビオンの復習になりますが、こちらも非常にわかりやすい文章なので、深く理解できそうな気(あくまで気ですw)がしました。


 〜9歳の女の子が次の活動へとすみやかにかつ整然と移っていったが、ときに私の中に疎外感を投影した。私は自分の中に強い疎外感を感じた。すなわち、私は彼女の投影物を包み込み、それからちょっとの間その投影物に同一化した。私は私の受け取ったもの、考えをめぐらした後、疎外感を彼女が私に知ってもらいたがっているとのことを解釈した。セッションでのこうした出来事は、投影同一化という手段による患者から分析家への原初的な伝達である。母親と赤ん坊との間でのKリンクを作り、思索を発達させようとする母子間の早期の転移版である。 これはとても重要な発見である。ビオンによれば、幼児は、不安を引き起こす知覚、感覚、感情など――今の例では疎外感といったもの――を分割排除し、ビオンが母親の“もの想い”と呼んでいるものの中に母親が包み込むよう、母親の中に投影することによって不快を発散する。“もの想い”とは、赤ん坊のことを愛情を抱きながら考える母親の能力である――赤ん坊に注意を払い、知ろうとする、すなわちKの能力である。母親の思索は幼児の感情を、理解できて耐えられる体験へと変形する。もし迫害や羨望を感じ過ぎているのでないなら、幼児は考えることができる母親をとり入れ、その母親に同一化するし、幼児自身のいまや和げられた感情もとり入れる。 幼児と母親との間でのそのような投影−とり入れサイクルそれぞれは、幼児の心的状況全体を徐々に変容させる重要な過程である。快感自我が不快を排出する構造に変わって、新しい構造がゆっくり築かれる。すなわち、考える能力、つまり、おのれや他者の心の性質を知る能力をもつ対象をその中核として無意識に内在化している現実自我である。そうした自我では意識と無意識が分かれていて、見ること、想像すること、空想すること、夢見ること、目覚めていること、眠っていることを分化する潜在能力もある。これが、母親と幼児の双方による達成物としての正常な心である。 現実自我を発達させることの失敗は、投影同一化という幼児の母親への最初のコミュニケーション方法をKとすることの母親の失敗によっているだろう。もし母親が失敗するなら、自分とは違って不快なものを排出せずに留めてそれについて考えていく対象を求める基本的なニードを、母親は幼児から奪ってしまう。 その失敗はまた、現実に向けた幼児の憎しみとか幼児にはできない母親のもちこたえる能力への幼児の過度な羨望にもよっているだろう。幼児は、母親から戻された、和らげられもちこたえやすくなっている要素や包み込む母親そのものもますます激しく排出し続けるようになる。そして極端な場合には、自分の心的能力に攻撃を向けるようになる。これこそが精神病を引き起こす。