うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

キリンの子と、これは?と、『自閉症児は、苦痛に満ちた体験の繰り返しを避けたいと思っているのだ。』(自閉症と小児精神病より)


 先日、図書券を頂く機会があり(本当にありがとうございました!)、歌人・鳥居の『キリンの子』を買わせて頂きました。借りるのもいいのですが、同じ思いを感じる事しかできず、せめて一冊買わせて頂きたいと思っていたので、勝手ですが心の荷物を一つ置けたような気持ちになりました。
 一気に読ませて頂きましたが、やはりなんとコメントしたら良いのかが分かりません。
しないほうが良いような気持ちもあります。



 気の早い親分が、先日何かを作っていました(笑)
正月飾りで、年末にバザーで売るそうです(笑)そういえば沢山の大きな松ぼっくりが玄関にあります。
 まだ完成ではないそうで、飾りを沢山つける様ですが、良い感じな物が出来そうですね!
 でも、もう3月も明日で終わるので、早くもないのかな?とも今日は思ってしまいました。
一年の4分の1が終わろうとしています。


自閉症と小児精神病』の第7章を何回も読み返していて、中々進まなくなってしまっていますが、何回読んでも良い気もしています。凄く基本的なことを書いていますが、それが一番大事なことですね。

 明日は夜勤ですが、朝から書類です.......。

カプセル化二次的自閉状態】
 〜臨床素材から、(母親と子ども両方の阻害要因による)不安定な養育状況では、乳首―舌関係が、過度な重要性をもつことが示されている。健常な発達では、乳首―舌関係は、母親と子どもの間の隙間の橋渡しをする橋の役割を担っていると考えてもよいように思われる。もし、不在の対象を内的に表象する能力が発達する以前に、乳首を喪失したことへの気づきを体験すると、この橋は壊れたと感じられる。これが、自閉症児に起こっていることのようである。自閉症児は、苦痛に満ちた体験の繰り返しを避けたいと思っているのだ。多くのE.S.Aの子どもたちは、自分の舌や頬の柔らかい内側部分をしゃぶる。また、肛門の中にある大量のウンチを感じることで、慰めを見出す子どももいる。このようにして彼らは、穴のような抑うつを慰めてくれる、具象的に感じることのできる形での母親の喪失を再び体験することから、自分自身を守っているのである 自閉対象は、過度に用いられたり、必要以上に長期間使用されたりしない限り、子どもが母親の喪失に関する感情に対処する際に、重要な役割を担う。A.P.Aの子どもたちは、通常、放棄される時期をずっと過ぎても、原初的な対象を用いている。このような口を慰める活動は、原初的で生来的な傾向に基づいているようである。それは、子宮の中の胎児が口に指を吸っている写真が撮られていることからもわかる。E.S.Aの子どもの舌や頬の吸う活動は、その逸脱したかたちのように思われる。
また、臨床素材からは、子どもが孤独で、脅えているときに、その子ども自身の心臓の鼓動が重要であることが示されている。それは、口の中で乳首を吸うリズムが、心臓の鼓動と関係しているからかもしれない。あるいは、乳児が母親の心臓の鼓動に対して、生まれもって敏感であり、母親がそこにいると感じるように、自分の心臓の鼓動に頼るからかもしれない。それは、母親がいなくなっているかもしれないが、子どもにとって自分の心臓の鼓動と吸うリズムはいつもそばにいることが可能だからである。これらは、突然、予想外にいなくなることによって、恐怖に突き落としかねない母親とは違って、機械的であり予測できるものである。レインは、成人の統合失調症患者が、その存在の中心に張り裂けた心(heart‐break)を抱えていると書いている。精神病的な子どもとの仕事を通じて、私たちは、そのような傷心を生じさせるような、口に生じた原初的な破局に触れることができるように思われる。舌、頬、うんち、心臓といった、これらすべての身体の部分は、慰めを得るためには空間を動く必要がある手よりも、子ども自身により近い器官である。これは、身体的な分離性のいかなる体験に対しても過度な防衛をする子どもが、これらの身体部分を異常に用いることと関係しているのかもしれない。