うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

絵が戻ると、イラストのパターン化と、【自閉過程の進行・自閉対象・異常な一次的自閉状態(A.P.A)】


 絵が戻りました。
差し上げたつもりでしたが、ご迷惑かな?と思い、もらいに行って来ました。
 人権ファンクションさんの小冊子の表紙にしていただいたのは、もう6年前にもなるのですね....。


 自分が暇に任せて、北海道時代に描いた、落書きを、ウェブデザイナーさんがパターンにしてくれました。
スルクスクリーンにして、生地に刷ってみたいと思っています。


自閉症と小児精神病』フランセス・タスティン著 も、非常に良い本です、一気に第7章まで読んでいました。
第7章は、大事な個所が沢山あるので、次回もアップさせて頂こうと思っています。
第3章・第6章はその前に読んでおいて欲しい個所だったので、アップさせていただきました。


 同じような文章が続いていますが、下記は現場での支援にもそのまま適用できます。
精神分析的な思いといえばそれまでですが....。

『ボウルビィ(Bowlby,1969)が強調したように、子どもは単に食べ物が与えられる以上のことを必要とする。養育において欠けてはいけない二つの要素は、外界からの耐えられる程度の感覚的な刺激を子どもに与えることと、内外からの刺激によって生じる興奮を子どもから取りのぞくことである。また外界から自分自身を分化する際に、そして精神内界上の分化を進行させていく際に、必然的に伴う欲求不満と困難に耐えることができるようになっている両親、特に母親を必要とする。あまりに柔らかすぎて言いなりになってしまう親は、これらの過程がうまく起こることを妨げる。』




自閉症と小児精神病』フランセス・タスティン著第3章 自閉過程の進行
全般的考察
〜理屈をもたない子どもがある仕方で振る舞うのは、そうすることが子どもの生来的なものの中にあるからである。子どもの側に、意識的な意図はまったくない。この水準での投影(おそらく、より正確には「爆発(eruption)」
は、唾を吐く、排便する、嘔吐する、咳をする、くしゃみをするなどのような反射的な身体的行為に則っているように思われる。それは、それによって、イライラさせられるとともに興奮させられるものが、排出されるような行為である。何か不快なものを外に出すことは、子どもの生来的な性質の中にあり、そしてそうすることで子どもは「臭いもの」を作り出す。「献身的な普通の母親」は、このことを、乳児が注意を払われること必要としているという信号であると見なし、受容的にそして適切にこの状況に対処する、すなわち、母親は「投影」を受け入れる。これは、しばしば癇癪を起こしたり泣き続けることであるかもしれない。もしこのような「投影」をしなくなったら、子どもは本当にひどい状態にある。生育史の中で、早期に泣き叫んだり癇癪を起こしたりすることがあるのは、治療が可能であることを示す希望のもてるサインであることを私は見出してきた。〜

〜この保護的「殻」が、もう元には戻れない点を越えて子どもに影響を与えるようになっていないならば、そのような子どもを援助するのは可能である。私は、アメーバよりも「甲殻類」のほうがより援助の可能性があることを見出した。後者のアメーバは受容的でぐにゃりとした気力のない子どもである。その振る舞いはすべて、震えやくしゃみやあくびや咳などのような、反射的な生理学上の反応のパターンにのみ、すなわち痙攣状の即時の排出というかたちのみ基づいている。「甲殻類」には、刺激とそれに対する反応の間に、一定の発達を経た行動が介入している。舌を吸ったり、唾を泡立てたり、興奮して飛んだり、指をぱたぱたしたり、筋肉を硬くしたりすることは、よりぐにゃぐにゃの子であればさらされてしまうショックの気づきを消し去る試みである。甲殻類は、カプセル化によって精神病的うつに対処しようとしてきている。悲劇は、結果として彼らが、普通の内的なおっぱいのかわりに、普通の人生や人々から永久に切り離されるかもしれないことである。




第6章 自閉対象
〜自閉対象としての乳首を放棄することができるために、子どもはそれが自分の口を万能感的に拡張したものであり、「口の中に銀のスプーンを持って生まれた」と感じるだけ、十分な時間をもつ必要がある。本書でここまで見てきたように、原初的錯覚があまりにも早く中断されるなら、不十分にしか得られてこなかったと感じられる自閉対象に留まるならば、それをあきらめるのは恐ろしいものである。両方の場合とも、異常な自閉対象に固執するようになり、それはえてして表には出てこないかたちをとる。例えば、舌や頬の内側の柔ら部分を密かに吸ったり、代弁を肛門に保持したり、口の中で唾をぶくぶくしたりする。あるいは、自分が選んだ対象に執拗にしがみつくが、それが口(手、あるいは口として体験される他の開口部)の特別な(extra-special)な部分であるかのようにしむける以外の用い方はしない。〜





第7章 病理的自閉状態のさまざまな形態
異常な一次的自閉状態(A.P.A)
〜ボウルビィ(Bowlby,1969)が強調したように、子どもは単に食べ物が与えられる以上のことを必要とする。養育において欠けてはいけない二つの要素は、外界からの耐えられる程度の感覚的な刺激を子どもに与えることと、内外からの刺激によって生じる興奮を子どもから取りのぞくことである。また外界から自分自身を分化する際に、そして精神内界上の分化を進行させていく際に、必然的に伴う欲求不満と困難に耐えることができるようになっている両親、特に母親を必要とする。あまりに柔らかすぎて言いなりになってしまう親は、これらの過程がうまく起こることを妨げる。〜


1.基本的養育の全般的欠如
〜シェヴリントゥッシェン(Shevrin & Toussieng,1965)は、施設で生活する子どもが、触覚刺激の不足によって有害な影響を被ることに関する、多くの証拠をあげた。また、過剰な触覚刺激の悪影響に関する証拠もあげている。どちらの場合も子どもは自閉的な反応を示した。それは、不足状況の場合では、苛立ちが誰かにあやされることによって緩和されないことに対処するためであり、他方、過剰状況の場合では、過度な刺激に対処するためであった。〜

〜癇癪やパニックといった爆発的な感情が無視されると、内的な緊張が強まるということは確かなようである。こうした子どもは皆、イライラがやわらげられない結果生じる発熱性腸炎で苦しんだ。これらの子どもの誰もが、第3章で述べた、鎧をかぶったデービッドのように、二次的自閉状態の過程を辿るとは考えられない。彼らは、外界への気づきを増すように促すには不十分な刺激しか受けていないので、一次的自閉状態に留まる。同様のことが、生きた人間とほとんど接触せずに、多くの時間をベッドやベビーサークルに放って置かれたまま過ごす。家庭の子どもにも当てはまる。
 ウィニコットは、彼らは「剥奪」よりもむしろ「欠如」で苦しんでいると述べた。彼は、最早期の養育的欠如を表わすために「欠如(privation)」という言葉を用いている。それは、「子どもに基本的に与えられるべきものが、そのときの子どもの知覚でき理解できる範囲の中にない」(Winnicott,1958,p226)ときに生じるものである。彼は、『簡易版オックスフォード辞典』に載っているバークの「欠如」についての言葉を引用している(Winnicott,1958,p.6)。「全般的な欠如はすべて、恐ろしいという点で、際立っている。すなわち、空虚、暗黒、孤独、沈黙なのである。」このような「欠如」は大変早期に起こるので、その帰結はほとんど器質的に思われるのである。