うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ぎょぎょランドと、ねこさんと、【第8章 治療の基盤としての分類 ●――治療の見通し】


 今日は、女子と男子組に分かれて、おっちゃんは男子組で、ぎょぎょランドに行って来ました!
月曜日している施設で、無料と検索したら、ぎょぎょランドさんが真っ先に出て来ました(笑)
 春休みのせいか?沢山の子どもたちがいました。
おっちゃんは、初ぎょぎょランドでしたが、無料なのに十分楽しめます!


 ぎょぎょと言う名前なのに(笑)動物もいました!
みなさん、平気で触っていました。ポニーさんの所には行列ができていましたので、今回はパスさせて頂きました。
 次回は女子組で来たいですね!
おっちゃんは呼ばれないかも(笑)



 桜を入れているお皿の水が直ぐになくなるので、乾燥しているのかな?と思っていましたが、原因が分かりました(笑)

 一回で結構なくなります.....。
桜の味がするのでしょうか?


 今日は休みで、事務仕事三昧の予定でしたが(笑)朝から現場に入りました。
早めに出勤し、今日はファミマでコーヒーを頂きながら『自閉症と小児精神病』を読んでいました。
第10章に入りましたが、アップは第8章です。A.P.AとE.S.Aの一部だけになってしまいましたが、R.S.Aは次回にアップの予定です。
 事務仕事も、優秀な職員さん達が大部分をしてくれるようになってきて、本当に助かっています。

 下記の箇所は、ある入所施設で、最近続いて突然死される人が続いていると、理事さんから聞いたことを思い浮かべてしまいました.....。
 うたたねは、 『人は見られていないと、存在がなくなる。見られることによって、人として存在できる』という思いがあるので敢て、小舎制を取らせて頂いています。経営的には大変ですが、それが一番大事なことだと思っていますので、これからも変える気はありません。


『A.P.Aを明白に示す、乳児院の乳児たちは、「欠乏」による非常に早期のダメージを被った可能性があるが、それはあまりに早期のことであるのでほとんど器質的なものになっている。これらの子どもたちの情緒生活は、ほとんど分化していないことが予期されよう。これらの子どもたちを援助するために多くのことをなすことは難しい。実際、スピッツの子どもたちに見られたように、著しい早期の「欠乏」と刺激の欠如は、しばしば2歳以前に死をもたらす。これらの子どもたちは、身体的発達にさえダメージを受けてきたようだ。』




第8章 治療の基盤としての分類
●――治療の見通し
 異常な一次的自閉状態(A.P.A)
A.P.Aを明白に示す、乳児院の乳児たちは、「欠乏」による非常に早期のダメージを被った可能性があるが、それはあまりに早期のことであるのでほとんど器質的なものになっている。これらの子どもたちの情緒生活は、ほとんど分化していないことが予期されよう。これらの子どもたちを援助するために多くのことをなすことは難しい。実際、スピッツの子どもたちに見られたように、著しい早期の「欠乏」と刺激の欠如は、しばしば2歳以前に死をもたらす。これらの子どもたちは、身体的発達にさえダメージを受けてきたようだ。〜

〜すべての子どもたちではないが、知的障害をもつ子どもの中には、与えられた刺激を用いることが妨げられているために、過度に長い間一次的自閉状態に居続ける傾向がある子どもがいる。もし、それに加えて始終一人で置いておかれていたとか過度に好きなようにさせられていたなら、これは子どもの自閉状態を助長する。その子ども自身の性質もまた重要である。例えば、ダウン症の子どもは愛情深く反応がよく、めったに自閉特徴を示さない。これらの子どもは、視覚障害聴覚障害の子どものように、本書の主題には含まれない特殊教育の技術を必要とする。治療の可能性を査定することの難しさは、自閉状態が生来的な知的障害の程度に起因するものなのか、あるいは比較的十分な知的能力の可能性を秘めているのか、ということを見分けることにある。〜



カプセル化二次的自閉状態(E.S.A)
一次的自閉状態をあまりにも長く居続ける子どもたちの中には、一次的自閉状態の異常な延期によって内的な体験の発達が相当妨げられたため、身体的な異常な分離性を外傷的に体験する子どももいる。その場合、これらの子どもはE.S.Aのカテゴリーに入るようになる。
 他方、すべての欲求があまりにもすぐ満たされるために、異常な一次的自閉状態(A.P.A)に長く居続けてしまう子どももいる。そのような子どもは、いつも「よい赤ん坊」だったと報告され、成長すると、素直すぎるようになる。そのような子どもは、ちょうど彼らの母親(あるいは両親)が彼らに対してそうであるように、従順で人の言いなりになることで欲求不満の気づきを無視してきたように思われる。欲求不満の気づきがもはや避けられなくなったときに、それに耐えるための内的な準備が欠けているために、それは外傷的になるようだ。〜



◆舌
 E.S.Aの子どもたちとの仕事は、舌が早期乳児期の発達において重要な役割を担っていることを示唆するようだ。これは、精神分析の著作の中ではほとんど議論されてこなかった身体器官である。オーガスタ・ボナード(Augusta Bonnard 1960)は、その興味深い論文の中で、舌を吸う子どもについて述べている。彼女によれば、そのような子どもと舌の重要性について話し合うと、さまざまな領域で顕著な改善が見られる。子どもたちは、知的発達と情緒発達において長足の進歩を遂げた。彼女は私たちに、舌は人間の最初の「主要な探査機」であることを思い起こさせる(Bonnard,1960,p.304)。口の中の(スピッツの言葉では「原初の腔」)舌の感覚が、子どもに最初の空間の体験をもたらすということは、もっともらしいことであるように見える。この段階では、舌は乳児の「存在(being)」体験全体であって、身体の一部としては体験されないであろう。舌は、乳首のあかげで母親の身体と連続しているという慰めの感覚をもつ。早期の口愛的な外傷は、突然そのような感覚なしに舌が「空中」にあるという感覚と、結びついてきたかもしれない。多くのE.S.Aの子どもたちは、絵を描きはじめたとき、この時期の他の子どもたちにはあまり見られないほど、あるいは強迫といえるほどに、遠近法の問題や空間の3次元の対象を描くことに没頭する。分離性の気づきは空間の気づきと不可分であり、それともに外部と内部の気づきがもたらされる。口の内部が身体の内部の最初の体験であるということは、もっともなことであるように思われる。「内部」の気づきが達成されるまで、内的生活はありえない。E.S.Aの子どもたちは、分離性の気づき、そして空間の気づきと内界と外界の気づきを抹消してきたが、それによって彼らは、ほとんどあるいは全く内的生活をもたない。そのため、彼らは、空虚で虚ろであるという印象を与えるのである。