うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

スケッチブックが戻ると、【精神病の子どもにとって最もよく助けになるのは、感受性が優れているだけでなく分別があり率直な人による援助である。そのような人は、変に子どもを操作しないし、また子どもに操作されない。そして彼らは素朴で、気取ったりわざとらしくせず、子どもが自分自身の外界とも&


 ウェブデザイナーさんから、スケッチブックが帰って来ました!
北海道のワイナリーで写生した雑草のスケッチも何枚かある、スケッチブックです。
 シルクスクリーンに起こして、イメージに合う生地を探しに行かなくてはいけません。
 昨日行った喫茶店のご主人に、自分の作品を飾らせて欲しいと、ブログの写真を見て頂きましたが、店の雰囲気に合っていて、展示はいいけれど、これからは湿度が、川の真横なので高く、木で出来たものは直ぐにカビが生えるのでそれでもいいのならって言われていました(笑)悩むところですね.....。何か対策が練れたら、またお願いに上がります!



 下記は、本当に真剣に現場で仕事をしてきた人間だからこそ言えるし、説得力がある言葉ですね。何もしない、何も知らない人に限って、偉そうにしたり、他者の文句ばかり言っています......。


『精神病の子どもにとって最もよく助けになるのは、感受性が優れているだけでなく分別があり率直な人による援助である。そのような人は、変に子どもを操作しないし、また子どもに操作されない。そして彼らは素朴で、気取ったりわざとらしくせず、子どもが自分自身の外界ともっと触れ合うようになれるようになることを望むのである。』



 下記も本当にそうあるべきだと思っています。
『精神病の子どもを治療する仕事をしたことのある専門家は、このような子どもには毅然として対していかねければならないし、また一貫性と自信を持って反応しなければならないことを知っている。このような子どもは自分自身の自閉的手段に固執して世話を回避しようとするが、彼らが最も必要としているのは、自分を世話してくれる人なのである。他方、子どもを動かすために過度に「刺激」するのは、その目的を達成できない可能性が高い様に思われる。このような子どもを世話する人は、「臨機応変に対処」しなければならない。つまり、一方で子どもの「ありのまま」を認め、他方で外界の人間は自閉的システムの一部ではないことを明確にすることで子どもが前進することを手助けしなければならない。およそ養育することすべてに言えることなのであるが、子どもが分離し自立していくことがその目的なのである。』


 知らないことを知らないと言えるには、よっぽど社会勉強ができた人にしか言えない言葉ですね......。
新聞の記事や、ネットのニュースを見て(不特定多数の人間が目にしているにもかかわらず)自分しか知らないように話される方が沢山います....。
 下記には、それがいかにバカげたことだと、やんわりと言っているように感じました。


『私たちは、自分が実は「何も知らない」状態にあるときに、自分自身の中にある感情を通じて患者について何かを知ることができると感じることは抗いがたい魅力があるが、むしろ何も知らないことを認めることの方が治療上役立つであろう。しかしながら、子どもへの私たち自身の反応は、全体状況の重要な部分を構成している。したがって、厳格な個人分析とスーパービジョンの助けを借りて、確信をもって理解できることはほとんどないように思われるこの最初の困難な時期において、それを私たちの助けとなるように用いてもよいだろう。私たちの主要な感情は、もどかしさと退屈感かもしれない。このような感情を担い、それに耐えることそのものが患者にとって助けになっていることを認識することが、大切である。』


 本当にきりがないので(笑)『自閉症と小児精神病』からの引用はこれが最後です(笑)
この本も、後で何度か読み返すと思っています。本当に勉強になりました。
 『自閉症とパーソナリティ』に入ります。

 今日は夜勤なので、自宅で事務仕事をしたり、誘惑に負けてギターを弾いたりして過ごしていました(笑)
雨なので、傘をさして少し早めに出て、マックで親分配給のコーヒーチケットでコーヒーを頂きながら、アン・アルヴァレスに入ります。




第11章 心理療法のための設定
精神病の子どもを世話するための条件
 このような子どもとの治療の仕事は、その世話に献身的に従事しているスタッフに多大の負担を強いる。もし専門家の間で競争心が強すぎれば、このような子どもとの仕事は、不可能ではないにしても、非常に難しくなる。自分自身の傷つきやすさを用いてこのような過度に傷つきやすい子どもを理解しようとする専門家は、自分の関わる集団が過度の野心や政治的な動きに満ちている場合、それによって心理学的に傷ついたように感じるかもしれない。このような集団においては、人間的な弱さや誤りの可能性は、付け込まれる弱点として軽蔑される。そして、いかに洗練された装いをしていようとも、傷つきやすい部分を突くことが日常茶飯事なのである。孤立した一人の人間が、そのパーソナリティが内的に統合され確固としていても、このような子どもによって喚起される強力な憤怒や恐怖や悲嘆にいつでも耐えることができるわけではない。成熟した、まとまりのある専門家集団のサポートが必要としていることを認めることができなければならない。自分自身の自閉的な虚勢は、虚勢として認められなければならない。一言で言えば、精神病の子どもを治療する仕事をする専門家たちは、子どもに役立ち、そして自分自身を損なってしまわないように機能するためには、内的な安定だけでなく外的な安定も非常に必要とする。
 精神病の子どもにとって最もよく助けになるのは、感受性が優れているだけでなく分別があり率直な人による援助である。そのような人は、変に子どもを操作しないし、また子どもに操作されない。そして彼らは素朴で、気取ったりわざとらしくせず、子どもが自分自身の外界ともっと触れ合うようになれるようになることを望むのである。
 精神病の子どもを治療する仕事をしたことのある専門家は、このような子どもには毅然として対していかねければならないし、また一貫性と自信を持って反応しなければならないことを知っている。このような子どもは自分自身の自閉的手段に固執して世話を回避しようとするが、彼らが最も必要としているのは、自分を世話してくれる人なのである。他方、子どもを動かすために過度に「刺激」するのは、その目的を達成できない可能性が高い様に思われる。このような子どもを世話する人は、「臨機応変に対処」しなければならない。つまり、一方で子どもの「ありのまま」を認め、他方で外界の人間は自閉的システムの一部ではないことを明確にすることで子どもが前進することを手助けしなければならない。およそ養育することすべてに言えることなのであるが、子どもが分離し自立していくことがその目的なのである。




第12章 精神病の子どもとの心理療法における諸段階
●――第一段階
〜治療者が子どもの振る舞いの一つひとつを細かに観察することが、治療の構成要素であることがわかるであろう。それは、子どもが知覚するように治療者が世界を知覚することで子どもと触れあおうとするためである。治療者は、子どもの中でいったい何が起こっているのか皆目わからないと感じる。それは、治療の初期に起こりがちであるが、後の段階でも子どもの状態が心配なときに起こる。そのようなとき、治療者が治療の仕事をし続けるには、自分が患者に対してどのような気持ちを持っているかというような不確かな証拠に基づくしかない。これは役に立つが、そのような治療者の反応は注意深く吟味され用心深く用いられる必要がある。
私たちは、自分が実は「何も知らない」状態にあるときに、自分自身の中にある感情を通じて患者について何かを知ることができると感じることは抗いがたい魅力があるが、むしろ何も知らないことを認めることの方が治療上役立つであろう。しかしながら、子どもへの私たち自身の反応は、全体状況の重要な部分を構成している。したがって、厳格な個人分析とスーパービジョンの助けを借りて、確信をもって理解できることはほとんどないように思われるこの最初の困難な時期において、それを私たちの助けとなるように用いてもよいだろう。私たちの主要な感情は、もどかしさと退屈感かもしれない。このような感情を担い、それに耐えることそのものが患者にとって助けになっていることを認識することが、大切である。
 子どもが治療状況に内在する欲求不満(例えば、セッションの終了、治療者の休み、休暇、治療者が自分の体の無生物的な延長物として振る舞ってくれないこと)への気づきにますます耐えることができるようになるにつれ、「穴」タイプの抑うつが、ますます治療の注意の焦点となってくる。これにともなって、セッションの姿と形が明確になっていく。子どもの行動の順序やパターンを見て取ることができるようになり、治療者はその意味が次第にわかるようになり、子どもに前よりも触れあっているように感じる。子どもと治療者との間で共有される領域が発達する。行為や振る舞いによるコミュニケーションが確立されるが、治療者はコメントや解釈を続けることで、話すことが最終的なコミュニケーションの仕方であることを示す。このようなコメント兼解釈は、子どもが何をしているかを簡潔に手短に記述するものである。このような子どもに長く込み入った解釈をしても、その一群の言葉は、自分を包むものとして用いられるかも知れないが、理解はされない。子どもにとって、誰かが自分に触れようとしているという感情をもつことは助けになるかもしれない。