うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ゆうちゃんの誕生会と、春爛漫と、明星ライブラリーさんと、【カプセル化二次的自閉状態(E.S.A)】


今日は、ゆうちゃんの誕生会が、はま寿司であったようす!
おっちゃんは招待されず.....。残念でした!
 19時にうたたねに寄ったときには、皆さん笑顔でした。


 渥美に行ったついでに、すろーじゃむのイチゴ畑を見てきました。
手入れができていませんでしたが、何株かは大丈夫そうでしたので、来年に向けて、株分けできるように頑張ってみます。

 すろーじゃむの周囲は、春爛漫でした!

 ぶたさんたちが、きりんさんになっていたのには、ビックリしました(笑)




 いつもお世話になっている、石川 理さんの個展が、明星ライブラリーさんでやっているので、見てきました。
13時からと知らずに12時過ぎに言ってしまいましたが、きちんと対応していただき、ありがとうございました!



タスティンの第7章は、全部アップしたいくらいですが、無理なので(笑)割愛させていただいています。


ウィニコットの「ほどよい母親」という言葉は、適切で役立つ言葉である。その子どもにとっての「ほどよい」養育を体験していない子どもは、二次的自閉状態の過程をたどる傾向がある。』
ウィニコットは、一年前に何冊か読ませていただき、非常に参考になっています。
自分の中で思う本を、一通り読ませていただいたら、ウィニコットサリヴァンは是非読み返したいと思っています。


 下記は、何度も読み返してしまいました。
回転行動をされる方全員には当てはまらないとは思いますが、なるほどな!と思いました。その次に続く文章も興味深く読ませて頂きました。

 明日は休みですが、グループホームの休日補助金の季節が来てしまいました......。
明日やらないと、給与計算など、毎月ある事務仕事も待っています......。

『回転は、自己催眠と類似した、解離状態を生み出すために用いられており、恐ろしい「自分でない」対象は、回転によって抹消されるように感じているかもしれないと見ることも可能であろう。未開の部族の儀式的な踊りが引き起こすトランス状態を観察すると、私は、よく自閉症児の回転行動を思い出す。このトランス状態の踊りは、しばしば身体からもしくはまわりの環境から、悪い対象を追い出す目的で行われる。ちょうど同じように、自閉症児の回転行動は、この目的でなされているように思われる。言い換えると、それは意識を抹消する試みなのである。』



第7章 病理的自閉状態のさまざまな形態
2,基本的養育の部分的欠如
 子どもは、人生をそこからスタートするためのしっかりとした足がかりを必要としており、これは、人間的な反応のある、融通のきく養育なのである。子どものパーソナリティは、当然重要であり、ある程度まで、子どもは自分自身で自分の情動傾向を形づくり、自分をとりまく養育的環境の影響から最良のものを引き出すことができる。しかし、この点で、子どもが達成できることには限界があり、母親のある種の特徴が、養育上の基本的な要素における欠陥を強化してしまう可能性がある。
 ある種のタイプの母子は、「まだら」様に互いを部分的にしか区別していないように見える。〜



3,子ども側の阻害要因
〜十分な養育とは、養育する側が過度に子どもに合わせたり言いなりになったりすることを意味しないし、硬直して強迫的になって子どもに合わせることがないことを意味するものでもない。抑うつ的で、自信のない母親は、このどちらかであることが多く、そうでなければ、一貫性のないやり方で、一方からもう一方へ揺れ動いている。阻害要因をもつ子どもたちは、過保護な養育を受けやすい。過度に子どもに合わせる養育や、場合によっては誘惑的な養育は、過度に長い期間、子どもを自閉状態に留まらせてしまうことになるのであるが、有無を言わせない、分離性という事実が子どもに侵襲するとき、それは痛ましいショックな体験としてやってくるであろう。このショックが、第3章で述べたような、二次的自閉状態の過程を引き起こすであろう。このようにして、子どもが、そのために必要な生来的なパーソナリティの強さをもち合わせているならば、異常な一次的自閉症(A.P.A)は、カプセル化二次自閉状態(Encapsulated Secondary Autism:E.S.A)になる可能性がある。
 子どもにあわせることのない硬直した養育を体験した子どもは、身体的な分離性をそれが耐えることができる前に体験し、二次的自閉状態の過程が発達するであろう。一貫しない養育を受けた子どもは、身体的分離性の体験が混乱しており、同一性や一貫性を見出すために、身体中心の機能状態に頼るようになる。
 ウィニコットの「ほどよい母親」という言葉は、適切で役立つ言葉である。その子どもにとっての「ほどよい」養育を体験していない子どもは、二次的自閉状態の過程をたどる傾向がある。その中には、この二次的自閉状態の過程を発達させる前に、異常に長い期間、一次的自閉状態に留まっていた場合もあるかもしれない。



カプセル化二次的自閉状態(E.S.A)フロイトは、「驚愕」から主体を護る不安についても正確に述べており、驚愕から守るためには、準備が必要であると示唆している。経験を通じて、心の準備ができる。驚愕から子どもを守るためには、まず経験豊かな母親が絶対に必要である。というのは、そのような母親は、恐ろしい状況を避けるために先を見越すことができたり、たとえそういう譲許yが起こったときでも、子どもを安心させる方法を知っているからである。何か他のことに心を没頭させている母親や、不安定な母親は、不安定な状態の子どもを適切に守ってあげることはできない。ある子どもの患者が、次のように表現している。「すごく怖い思いをしないように、生まれたての赤ちゃんは、お母さんの羽毛で守られないといけないんだと思うよ。」比喩的に言えば、この母親の羽毛こそが、子どもが必要としているものである。これは、母親の子宮に戻りたいという欲求ではなく、生き残るために必要な条件なのである。自閉的になる子どもは、いくつかの生来的要因のため、ショックを受けやすく、身体的分離性をあまりに早急で過酷すぎると体験する傾向をもつのかもしれない。
 この背景には、一つの感覚器官が、あるいはいくつかの感覚器官が異常に敏感であったり、異常に高い知能を有していたり、もしくは異常なほど特別な才能に恵まれていたりすることがあるかもしれない。〜

〜子どもは、自信に満ちた母親の手によって育てられると、一番成長する。〜

〜なかには、明確な個人としての自分という感覚を過剰に発達させている親もおり、それによって、子どもは、親が自分から分離していると感じるようになるだろう。夫や妻は、別々の独立した人生を求め、夫婦同士でも、あるいは、子どもたちとも通常の親密なかかわりをもたない、彼らにとってとにかく他者は、外界と自分自身とにうまく対処するために長期間かけて注意深く打ち立ててきたやり方を脅かす存在に思われるようだ。これは、知的職業をもつ親の場合や集中的に突き詰めていく創造的活動に従事する親の場合によく見られる。このような親は、しばしば冷淡なほどの明快な考え方をし、非常に鋭く自分と他者を分ける感覚をもっている。そのために、彼らは、子どもに適切な移行体験をさせてやることが難しくなる。それは、もっと大雑把なやり方で外界に反応するような、普通の母親であれば、当然のごとくやっていることである。そのような普通の母親は、いつ子どもにうまく利用されるべきなのか、いつ母親や他の人との関係でけじめをつけコントロールすべきなのか、を直観的に知っている。このような母親は子どもに多くの可能性に触れさせるので、子どもは自分の感情やエネルギーを表現するさまざまな手段をもてるのである。〜

〜また、回転には、別の役割もあるようだ。つまり、回転にすべての注意を集中させることによって、外界の恐ろしい「自分でない」側面を見ないようにできる。回転は、自己催眠と類似した、解離状態を生み出すために用いられており、恐ろしい「自分でない」対象は、回転によって抹消されるように感じているかもしれないと見ることも可能であろう。未開の部族の儀式的な踊りが引き起こすトランス状態を観察すると、私は、よく自閉症児の回転行動を思い出す。このトランス状態の踊りは、しばしば身体からもしくはまわりの環境から、悪い対象を追い出す目的で行われる。ちょうど同じように、自閉症児の回転行動は、この目的でなされているように思われる。言い換えると、それは意識を抹消する試みなのである。
 アニミズム自閉症は、どちらも原初的な心の働きであるが、正反対の様式のように思われる。アニミズムは、対象に生命を授けることから成り立っている。一方、病理的自閉症は、「死」を扱う過程である。その過程では、さまざまのものの存在をないものにするために、体の中身を使ってそのものを抹消する。また、生きている人を生命のない物の状態へと変える。生きている対象と生きていない対象とを区別することは、子どもの発達上決定的に重要な段階であるようだ(Spitz,1963)。病理的自閉状態においては、この区別は、明瞭になされていなかったり(A.P.A)、ないものにされている(E.S.A)〜