うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたね外壁工事進捗状況と、【フロイト後】(自閉症スペクトラムの臨床より)と、男性保育士に「女児の着替えさせないで!」


水曜日の朝の、うたたね外壁工事です。
反対側は、物置を作るので、一番に出来ていましたが、その他の箇所は取り付ける物がある部分からしてくれている様で、歯抜けですが大分進んでいました!


 昨日は、夜勤明け豊橋市役所に行ってから帰宅し、朝まで眠っていました(笑)約18時間.....。
2時間くらい夕食で起きましたが、食欲もなく薬を飲むのにバナナを食べて直ぐに寝ました(笑)
 なので今朝はシャッきっと起床しました!
何があるか分からないので、眠れる時には寝て置こうと最近は思います。
 こんなに寝たのは何十年ぶりでしょうか?薬を使わないと眠れませんが(笑)

 昨日、その2時間で打っていた箇所を先程継ぎ足しましたが、何故?この箇所なのか(笑)分からないのですが(笑)
せっかく7割くらい打ち込んでいたのでアップさせて頂きました(笑)
 次回には続く箇所ですが.....。


 この部分は、ケース会議のレジメに引用させて頂いた部分です。
一人で仕事がしたいとか、きちんと勉強しないでも自分は支援出来ているなんて平気で言われる方がいたので、偉そうにも(笑)書かせて頂きました。

精神分析においては、精神分析家もしくは児童心理療法士は、患者が投影してくる感情を受け入れ、それに耐え続けていくことで次第に患者が取り入れ考えることのできる形のコミュニケーションに変えていく。これは簡単な過程ではなく、十分な訓練が必要であるし、またそれを維持するには優れた同僚のサポートが必要である。』



 下記も読みかえしてみると、大事な文章のような気がしてきました(笑)

フロイト後】
 〜主体と類似しているきょうだいは、当初、鏡像的に同一化できる対象として備給され、それは主体を統一し、かつ疎外する。そのようなわけで、同胞は侵入者として経験され、ラカンが一次的マゾヒズムと死の本能に比した原始的攻撃衝動の的になる。

 その類似性が、一次的な役割しか果たさない、つまり表情だけに限定される限り、それは少なくともその時点での心的装置の構造が許す範囲で、主体に同様の情緒と態度を生じさせる。しかし、人がそのような情緒的、もしくは運動性の誘引に左右されている間は、自分の鏡像と実際の自己との区別はできない。実際には、鏡像はこの時期に特徴的な不整合さとともに、異質な傾向の一時的な侵入をさらに増すにすぎない。私はそれを自己愛的な侵入と呼ぼうと思う。なぜなら、それにもかかわらず、それはさまざまな衝動を統一するので、自我のまとまりに貢献するかもしれないからである。ただ、自我がおのれの同一性を主張する前に、おのれを形作り、かつ根本的にはおのれを疎外するイメージと混同されてしまうことになる。[前掲書,p.45]


この論文で、ラカンが原始的競合を強調し、それをエディプス的競合と区別したことは彼の偉大な功績である。ここではエディプス的競合の方が、はるかに暴力的ではなく迫害的でもないとされている。「他方、もしエディプス・コンプレックスの後に侵入者が現われたら、たいてい親との同一化が援用されるが、情緒はより濃密で、構造はより豊かである」(前掲書,p.47)。 
ラカンゲシュタルト理論に言及し、それは50年代に構造主義者たちのモデルになっていったものではあるが、対象関係の力動的側面と情緒的側面を取り除く傾向があるという点では明らかに問題がある。彼のモデルは、新しい赤ん坊の登場によって母親の注意や情愛の中心から多かれ少なかれ締め出されるようになることへの感情ではなく、母親の乳房をめぐる競合のイメージというものに基づいている。こうした側面は、私たちがその同胞のドラマを子どもと母親との間の力動的な関係の枠組み(もしくは、分析の中で自分よりも他の対象に関心を抱いている疑いのある分析家に子どもがもつ原始的転移の力動)の中に位置づけられるようになって初めて理解できるようになる。
 メラニー・クラインは原始的同胞葛藤と嫉妬をとても重要なものと見なしている。彼女にとっては、それはエディプス・コンプレックスの早期段階の一部である、生後1年の間に始まる。子どもは、男の子であれ女の子であれ、乳房によって欲求不満にさらされ、母親の身体はその子が欲しているものを無制限に使うことを阻む妨害物を生み出していると経験されるため、その中身への攻撃に駆り立てられる。標的にされた、母親の身体の中身とは、父親のペニスとそれが母親に授けたと想像されている体内の子どもである。子どもの攻撃は、過度にサディスティックなもので、それによりこれらの中身はひどく恐ろしい迫害的なライバルに変容していく。クラインは、この状況を、彼女の有名なリチャードの分析において記述している。「彼は母親の身体の中の想像上の赤ん坊を攻撃し傷つけ、それらが敵になってしまったと感じた。この過大な不安が現実世界の子どもに転移された」(1945,p.375)。
 母親の乳房によって失望させられ、子どもは、父親のペニスに向きを変え、赤ん坊を授けてもらえるのではとの願望を抱く。同時に子ども自身の口唇的、肛門的、尿道的なサディズムを父親のペニスに投影することで、父親のペニスを、母親の胎内に邪悪でサディスティックで脅威的な赤ん坊をつくる邪悪でサディスティックなものに変容させる。

(リチャード)子どもへの憎しみと恐怖は、部分的に父親のペニスに対する態度から生じていた。母親を枯渇させ、最終的には破壊してしまう破壊的なペニスと破壊的で強欲な子どもがかれの頭の中で互いに緊密に結びつけられた。彼が無意識のうちに強く維持していたのは、「ペニス=子ども」という等式であった。彼は邪悪なペニスは邪悪な子どもしか作らないとも感じていた。[p.393]





 火曜日に夜勤に入る前に見ていた記事です。
ヤフコメには賛否両論がありましたが、ご本人やご家族の意向をお聞きしてするしかないですね.....。
 しかし、最近の報道のありかたや、コメントのあり方が両極端に感じるのは自分だけでしょうか?
 石さんと黄さんの危惧されていることが、実際に起きている証拠なのでしょうか?
 色々な事が頭に浮かんで来てしまう記事でした。

男性保育士に「女児の着替えさせないで!」 保護者の主張は「男性差別」か
J-CASTニュース 1/24(火) 7:00配信

男性保育士は「差別」を受けているのか
 「男性保育士に娘の着替えや排せつの世話をやって欲しくない」。こんな保護者の意見は、男性保育士に対する「性差別」にあたるのか。千葉市熊谷俊人市長(38)がツイッターで投げかけた問題提起が、いまインターネット上で盛んな議論を呼んでいる。

 千葉市幼保運営課によれば、市内の公立幼稚園・保育園では、男性保育士が幼児のオムツ交換や着替えの業務を「外される」ケースが目立つという。こうした状況について、熊谷市長は「女性なら社会問題になる事案です」と訴えている。

千葉市ツイッターが問題提起
 千葉市は2017年1月18日、「男性保育士活躍推進プラン」を策定した。プランの中では、(1)男女の性別に関わらず同じ業務を行えるようにする、(2)男性用のトイレや更衣室など環境面の整備を計画的に進める――といった目標を掲げている。

 こうしたプランを策定した背景について、千葉市幼保運営課の担当者は23日のJ-CASTニュースの取材に、
「昨今、女性の活躍を推進する施策は盛んに取り組まれています。一方で、女性が多数を占める職場での『男性の活躍推進』という点については、あまり重要視されていない部分がありました」と話す。

 実際、千葉市内の公立保育所に勤務する保育士の男女比は、女性650人(92.9%)に対し男性50人(7.1%)。今回のプラン策定により、男性保育士の労働環境改善のほか、父親の子育て参加の活発化や将来的な保育士応募者数の増加などの効果を見込んでいるという。

 だが、男性保育士の活躍を促すこの施策をめぐり、インターネット上では思わぬ形で議論が起きることになった。そのきっかけは、熊谷市長が1月19日のツイッターで、「(プラン策定について)女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた等の課題が背景にあります。女性なら社会問題になる事案です」などと言及したことだった。
「男性保育士さんに警戒するのは仕方がない」
 熊谷市長が例に挙げた「男性保育士による女児の着替え」をめぐり、ツイッターでは、一部の女性ユーザーから、「男性保育士さんに警戒するのは仕方がないのではと思います」「性犯罪の加害者の九割が男性って事を考えたら、充分考慮する理由になると思うんだけど」「女児の親御さんが同性更衣介添えを望むのは当然の事かと思います」といった反発の声が出ることになった。

 こうした書き込みを受け、熊谷市長は22日のツイッターで、「娘を男性保育士に着替えさせたくないと言う人は、同様に息子を女性保育士に着替えさせるべきではないわけですが、そんな人は見たことがありません。社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です」と訴えた。
 また、男性保育士による小児性愛事件が実際に起きているという指摘に対しては、「全体から見れば極めて小さな確率の事例」によって人権や職業選択を侵害することは、「現代社会では許容されません」と強く指摘。
 こうした反発の声が出てしまうこと自体については、「保育士という職種に対するプロとしての評価・敬意が男女問わずまだまだ十分でないと認識します」と振り返っていた。
男性保育士「専門職として認められていないと感じる」
 実際のところ、熊谷市長の指摘に対するネット上の反発の声が示すように、女児の着替えや排せつの世話を男性保育士が行うことに嫌悪感を示す保護者は多いのだろうか。

 東京男性保育者連絡会のメンバーで、都内の保育園に勤める男性保育士(40)はJ-CASTニュースの取材に対し、「着替えやオムツの交換、プールの引率に身体測定…。保護者の方から、男性の保育士が担当することはやめて欲しいと指摘される業務は数多くあります」とどこか馴れた様子で話す。この男性保育士は、こうした意見が保護者から寄せられていること自体については、「性犯罪やロリータコンプレックスなどの報道もありますし、保護者の方が男性保育士に一抹の不安を感じてしまうのは仕方がないと思います」と理解を示す。だが、保護者の意見に対する職場の対応には「納得がいかない」と感じているという。
「こうした意見が保護者から寄せられると、すぐに男性保育士の持ち場は変わってしまいます。こちらとしては『イヤ、そうじゃない』と否定して欲しいんですよ。これでは、同じ保育士なのに男性だけが『専門職として認められていない』と感じてしまいます」
 そのほか、女性が圧倒的多数を占める職場だけに、孤立した男性保育士に対するいじめや「逆セクハラ」の問題も良く指摘されるという。この男性保育士は、
「男性の保育士は珍しいこともあり、運動会の準備などの力仕事は全て男性に任せるといった風潮がある職場も多いようです。でもこれって、女性に『お茶くみ』の仕事をさせていた一昔前の職場と同じですよね(笑)」とも話していた。


 元記事は下記です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170124-00000000-jct-soci&p=1