うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこさん........と、『コミュニケーションの障害における治療的含み――的確な発達的波長に合わせること』


 今日は夜勤なので、昼間に事務仕事をしようと思いましたが、色んな用事で出来ず(笑)諦めました....。
夜勤前に日課のギターを弾こうと、ギターの前に行ったら、ねこさんがギターの前で便をしていました......。
 ねこさんに反省を促しましたが、われ関せず.....。親分が服を出した時にちゃんとドアがしまっていなかったのでしょうね.....。



 今読ませて頂いている本も、勉強になります!
うたたねに鍵が出来る書庫が来たので、朝に本を持って行きました。ご興味のある方は是非読んでください!

 サリヴァンも、障がいが無かったらこの方はどんな人格だったのだろうと、まず考えると言っていました。
非障がいの部分をまず見させて頂くのが、最初の仕事のように感じています。
 自閉症の3つ組より先に!ですね!

 今から夜勤に行って来ます!



《第3章 波長を見つけ出すこと》
コミュニケーションの障害における治療的含み――的確な発達的波長に合わせること
 自閉症を持つ子どもの精神分析治療という問題には、論争がつきものであった。精神分析家や心理療法士の中には(Meltzer,1995:Tustin,1981:Alvarrez,1992&Reid,1995)、こうした子供たちには技法を変えていくことが必要だと述べる者もいる。こうした子どもたちは、象徴能力、遊び、そして言語の障害があるので、通常の説明的解釈を理解するのが極めて困難である。自閉症症状がとても重く、他者の存在感だけでなく自己感も弱い場合に、転移と逆転移という概念は高度すぎるように思われるかもしれない。転移は、存在しないように見えるかもしれないし、治療者に起こる欲求不満や絶望という逆転移は無関心につながるかもしれない。しかしながら、詳細に観察していくと、かすかな関係性の兆しが見え始めてくるかもしれず、さらにはそれを拡充していくことは可能なのである。
 ダヴィストック・クリニックの自閉症ワークショップの見解は、病因が何であれ、社会的相互作用の能力の障害には社会的相互作用過程そのものを通じて機能する治療が役に立つだろうというものである。もっともその場合、治療は精神病理の性質と重篤度だけでなく、その子どもが機能している特定の発達レベルも考慮したものである必要がある。治療的アプローチは3方向に向けられる。すなわち、子どものパーソナリティ、自閉症症状(障害、そして時に逸脱[deviance])、そしてどれほど発達的に遅れていようとも障害を受けず無傷に残っている「非自閉症」部分の3つに向けられるのである(Alvarez & Reid,1999)。したがって、このような子どもへの心理療法は、精神分析精神病理学と発達研究に裏打ちされたものである。 
 第1に、精神分析的視点は、転移と逆転移の詳細な観察を提供してくれる。これによって、治療者は、自閉症に付随する(そしてそれを悪化させたり緩和したりするかもしれない)子どものパーソナリティ特徴に注意を向けることができる。(自閉症を持つ子どもの中には、かなり逸脱したパーソナリティを発達させる子どもがいる。それは、自閉症そのものの本質的特徴ではない。)健常な子どもは皆、両親に濃密にまず関わり、そして同一化する必要があり、またそうした能力があるという精神分析理論は、子どもの定型発達の理解に大いに役立っている。同じように、健常な子どもは、自分と独立して存在する、両親カップルの関係の諸側面に強い関心をもち刺激を受けると同時に混乱させられるという理解、すなわちエディプス・コンプレックスの理論も役に立つ(Houzel,2001:Rhode,2001)。
 第2に、精神病理学的視点は、治療者が、自閉症の反復的行動が持つ力や吸引力を理解し、(精神分析家も示唆してきたように)嗜癖的で具象的な非象徴的な行動は単純な神経症的機制や防衛とは全く異なること(Kanner,1944:Joseph,1982:Tustin,1981)を理解する手助けとなる。
 最後に、自然主義的観察方法(Miller et al.,1989)や発達研究による乳児の研究は、臨床的直感を確証し補足しうる。治療者は、社会的関わりの萌芽を同定し促進しようと試みる。その際の技法は、母親が赤ん坊とコミュニケートするやり方やそれによっていかに乳児のコミュニケーションや関わる能力を促進するかについての発達研究の知見に基づいている。発達研究は、多くの要因を強調している。それらは、健常な赤ん坊は刺激や喚起の水準を注意深く調整してもらう必要があること(Dawson,1989;Brazelton,1974)と注意が水路づけでもらう必要があること、「母親語・マザーリーズ」(前言語的ないし前音楽的対話の時期にみられる、ゆっくりしたテンポの、より優しく、高音の話し方[Snow,1972:Trevarthen,2001」]、年齢に応じて、視線が合うように顔の近づけ方を変えること(Papusek & Papousek,1975)、そして発達レベルに応じて、一時的間主観性(2者関係状況で対面のコミュニケーションと遊び)と二次的間主観性(たとえば玩具に共同注視を向けて欲しくて養育者の方を見るような、一緒に物と遊ぶこと[Trevarthen,1987])の相違がある。などである。
 しかしながら、多くの重篤自閉症の子どもは遊んだことがないし、また共同注視の能力を発達させたことがない。(Baron-Cohen et al,1992)。またコトバが全く出ていないかもしれない。さらに、喃語も出たことがないかもしれない。言葉を話さない子どもが、声で遊び始め、依然よりはっきりとした音を出し始めるのは大きな達成かもしれない。心理療法士にとっての技法的問題は困難なものである。どのようにして言葉をまったく話さないかほとんど話さない子どもと心を通わせることができるのだろうか?ここで私は、ある子どもとの治療について述べていきたい。この事例では「母親語」と、「父親語」と呼べるものとが組み合わされて、子どもと私との間のコミュニケーションが促進され、子どものコミュニケーション能力が育っていくのに役立った。どちらの「言葉」を用いるときも、私は、ジョセフにとって馴染みがないか対処できない感情をコンテインし、劇化しなければならないことに気づいた。しれにもかかわらず。彼は私の反応に次第に関心をもっていっているのが見て取れた。