うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

久し振りにお薄を点てました!と、『旧来メディアとリベラルの没落』と、『第6章 心的スペースの創出、「赤ん坊たちの巣窟」』


 今日は、夜勤明けでしたが通院介助で、渥美病院に看護師さんと一緒に利用者さんを連れて行きました。
ベテランの看護師さんなので、病院に着いたら周囲の方々と頻繁に挨拶をされていたので大変だなと思いました。
 医療関係も、体育会系のように感じました(笑)
初診・月曜日だけでなく、今日は異常に患者さんが多いと看護師さん同士が話をされていました。インフルエンザや風邪の方は見た感じいないように思いましたが、何故多かったのか?現場の看護師さん達も分からないと言っていました。
 終ったのが14時だったので慌てて昼食を食べて、歩いて帰って来ました。
親分は夜勤前に、親戚の本葬に行っていました。


 うたたねの朝食の一品(ミニオムレツとサトイモの煮物)をレンジで温めたら、おっちゃんのだけ真空パックになってしまいました!(笑)
みんなで眺めてから頂きました!味は同じでした(笑)


 先日読んでいて、本当の民主主義ってなんなのか?ますます分からなくなった文のアップです。
自分は右でも左でもありませんし、クラインとアンナ・フロイトに和解を促す手紙を送った、ウィニコット的な考えがいつもできたらいいなと思い生きています。
石は石平(評論家)さんで、黄は 黄文雄(評論家)です。
引用先は⇒http://ironna.jp/theme/706です。


『旧来メディアとリベラルの没落』

 それにしても、台湾はれっきとした民主主義国家なのに、いざとなると民主主義を標榜するアメリカメディアが、台湾よりも独裁政権の中国に同調するというのは異常です。日本の場合と同様、やはり左翼メディアは偽善だとしか思えません。

 まあ、あれだけトランプ批判を繰り広げても、大統領選挙の勝利を阻止できなかったのですから、影響力はだいぶ低下していると思いますよ。日本の左翼メディアも、たとえばシールズ(SEALDs)のような学生たちによる左翼運動を持ち上げていましたが、総選挙にしても東京都知事選挙にしても、シールズが支持する政党や支持者は勝てなかった。

 若者の代表のように言われていましたが、その若者は自民党に投票する率のほうが大きかったというのですから、左翼メディアも左翼運動もしぼんでいくばかりでしょう。

 何しろ、言うことがコロコロ変わりますからね。安倍・トランプ会談に対して、民進党はなんだかんだとイチャモンばかりつけていました。安住淳代表代行は「朝貢外交」だなどと貶(おと)しめていましたが、これは先ほどの「環球時報」とまったく同じ論調です。

 中国共産党の場合は、安倍首相の対米外交に先を越されたことへの悔しさからの悪態ですが、民進党の場合は結局、首相の外交的得点が気に食わないだけでしょう。国も党も違いますが、根性の卑(いや)しさは同じではないでしょうか。

 蓮舫(れんほう)代表にしても、トランプの大統領選挙中の発言を問題視して、安倍首相に「なぜ信頼できたのか」などと問いただしていましたが、その理論なら、民進党はトランプが発言を撤回しないかぎり、同盟国の大統領との信頼関係をつくらないつもりなのですかね。

 批判のための批判という感じしかしない。もしも安倍首相がトランプに会わずに、他国の首脳に先を越されていたら、「なぜもっと早くアプローチしなかったのか!」と言っていたに違いない。



 帰宅したら15時前! 今更寝る気もせず(笑)横になって少しだけ本を読ませて頂きました。
自分的には復習的ですが、もう一度見直すのも悪くないですね!


第6章 心的スペースの創出、「赤ん坊たちの巣窟」
    空想、エディプスコンプレックスの出現
    ディディエ・ウゼル

 『今日のエディプスコンプレックス』の序文で、ハナ・シーガル(Hanna Segal.1989)は、まず乳房と良い関係を築きあげていることが、赤ん坊がエディプス状況の痛みに取り組める必要条件であるというメラニー・クラインの見解を強調している。シーガルは、ブリトン(Britton,1989,1992,1998)が提起した、心的スペースは、乳児が両親それぞれと異なった関係を維持することができるエディプス三角形の中心に立ち現れるというモデルを採用している。ブリトンは、そのスペースはビオンが記述したコンテイナー―コンテインド関係を拡張したものとして考えている。このスペースにおいて乳児は、両親間の良い関係にも遭遇する。それはコンテイナー―コンテインドの関係なのだが、乳児自身は排除される関係なのであり、もともと乳児の持っていた、母性的な乳房との関係と対照的である。ここから乳児は、自分が両親それぞれと持ってきたつながりと両親間の関係の性質を区別するようになり、抑うつポジションに特徴的な分離と個体化に取り組むようになる。シーガルは、このスペースの出現に新しい赤ん坊のための場所が暗黙のうちに含まれていると、ブリトンのモデルを補足している。 




 私がブリトン博士が記述した考えに一点補足しようと思う。乳児の両親それぞれとの関係と両親間の関係との違いの重要な部分は、後者が相互に性器的な性交が新しい赤ん坊を作るという事実である。これはたとえ実際には新しい同胞はいなかったとしても、いつも空想の中にある。ブリトン博士による三角形が、子どもと2人の親との間でそれぞれ築かれる異なったつながりのあるスペースを明確にするものだと見なすと、私はそのスペースは暗に新しい赤ん坊の場所を含んでいると考える。もしそのようなスペースが確立しておらず、幼い乳児が書か親の体内に戻ろという空想に依然としてひどく依存しているときに、[……]新しい赤ん坊が母親の中に現れると、容易に精神病的な混乱が引き起こされるだろう[一部、筆者による省略]。[Segal,1989,pp.125−138]