うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

満月と紅茶と【因果図】【葛藤図】【と】(神田橋條治:治療ための精神分析ノートより)


 昨日は満月でしたが、いつも通り綺麗に写せませんでした(笑)


 そういえば、先日岡崎に行った時に、用事の間隔が空いていたので、隙を見て岡崎美術博物館で『長谷川潾二郎』展を見ました。こちらも良かったですが、ゴッホを見てしまうと.....。また違う魅力があるのですが、ゴッホは本当に素晴らしかったです!この椅子の絵も1888年ですね。


 昨日は美味しい紅茶もよばれ、堪能させていただきました。
去年はファーストフラッシュでしたが、昨日は秋摘み(オータム何とかw)で、こちらの方がしっかりした香りと味でした。紅茶は元が(葉が)良くても水が良くないと美味しさが半減してしまいますので、難しいですね。
 次回はいつ行けるのか分かりませんが、何を頂きましょうか?コーヒーの美味しいお店は時々見つかるのですが、紅茶の美味しいお店は中々見つからないので、貴重なお店です。


 今日は夜勤なのでなんやかんやとやっている内に、お昼になっていました。
躁的防衛から抑うつポジションにどうしたら上手く移せるかを考える上で、退行の利用(これしかない?)の仕方のヒントになればと、神田橋先生の本からのアップです。


 こちらは本当にそう思います。
『要するに、退行状態に出入りし、行き来できるしなやかさが治療者に要請される。』
『 その素養を育てるのに、ジョークやパロディに親しむのが役立つ。』

 こちらは、勉強するなということではなくて、禅でいう無学や藤山先生が引用していた『忘れる』ことだと思われます。
『さらにまた、精神分析を含め臨床での理論図はおおむね因果図の形をとっており、スッキリしていればいるほど人を虜にし連想を束縛する。「勉強すると治療が下手になる」である。』




【因果図】
 認識は文字文化由来すなわち視覚由来である。他方、認識の対象たる世界は複雑系である。
 コトバ文化登場以前のいのちは事態の流れを「感じる」ことはできるが、そのままではコトバ文化に映しえない。コトバ文化は時間経過という概念を創作し、次いで因果の図を創作した。これによって世界を視野の中に収めることができた。「どうして」「だから」のコトバを頻発する幼児は、コトバ文化による因果図作成の学習過程にある。
 精神分析の治療作業では、この幼児の水準に退行することが常時必要である。「根源的に問う」である。同時に、世界は立体図の網の目のような複雑系なのだから、複数の因と複数の果の交わる点が「現在」なのだと意識できることが退行水準から脱するのに必要である。
 要するに、退行状態に出入りし、行き来できるしなやかさが治療者に要請される。
 さらにまた、精神分析を含め臨床での理論図はおおむね因果図の形をとっており、スッキリしていればいるほど人を虜にし連想を束縛する。「勉強すると治療が下手になる」である。
 「因」も「果」もそれ自体複雑系をコトバによる概念で括ったものであることを、これは折々に意識する習慣をもつと、妄想体系のごとき因果図の囚われ人になることを免れる。
 その素養を育てるのに、ジョークやパロディに親しむのが役立つ。「風が吹けば桶屋が儲かる」「精神分解学」などを面白がる趣味がそれである。




【葛藤図】
 立体的な雰囲気が実体である複雑系を文字文化にとり込んで平面化する作業のもう一つは、葛藤図である。
 一つの局面ことにいのちの生きる局面には、いろりろな影響力が加わる。それを「促進因子」「阻害因子」に二分して簡略化した平面図が葛藤図である。そして、「正・反・合」を経て乗り越えてゆくというプロセス図が採用されることがあるが、そのとき写し取られたいのちのありよう「雰囲気」はきわめて薄っぺらなものとなってしまう。とうてい、いのちの「いま・ここ」への援助たりえない。
 葛藤図を作成した瞬間にいのちの苦しみの生身の雰囲気はずいぶん薄れる。文字文化へ取り込むことは俯瞰を可能とし、その脱現実化がいのちに余裕をもたらすという「折り合いをつける」操作でもあるからである。
 したがって、精神分析治療の実際では、まず葛藤図作成して束の間の余裕を生み出し。ついで、葛藤図をもう一度文字文化以前の雰囲気の水準に戻し体験・感知し、そこから新たな因果図を作成する作業が始まる。これもまた「退行」である。デジタルからアナログへである。
 畢竟、精神分析治療は文字文化に写し、終局には「個人信仰」ではなく「個人哲学」の育成に至る文化である。その影響が「いのちの水準」にまで到達するか否かは「願いをこめて」「注意深く」見守るだけである。




【と】
 因果図も葛藤図も、本質としての複雑系を単純化し二分して整理する知的作業である。
  二分法あるいは二項対立という  二分法あるいは二項対立というこのこの手技は、混沌を整理することで、連想のひいては実態の、混沌を整理し賦活して焦点づける。この機能を積極的に活用することが精神分析治療の場を活性化する。
 「父と子」「父と母」「母と子ら」「愛と恋」などのおなじみの二項に限らず、「二分法と三分法」「行動と無動」などが連想の活性化を引き起こす場合もある。実りある機能を発揮しうるか否かは「いま・ここ」の状況次第である。
 言い換えると、「と」で結ばれたに甲対立の醸し出す雰囲気が、治療状況に潜在する自由連想のニーズに共振れするか否かである。共振れが起こると自由連想が賦活される。
 要するに、治療状況の要所要所で、連想を刺激しうる「○と○」の二分図を発想するのが技法上のコツである。自身の考察作業においてもこの技法は有用である。