うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アレクサンダー・テクニークと、ゴッホとゴーギャンと、日本近代を精神分析する――精神分裂病としての日本近代(『ものぐさ精神分析』岸田 秀:著より


 今日は、名古屋でアレクサンダー・テクニークを受けてきました。
 会場に行く途中の栄の教会の敷地内にホトトギス草が咲いていたので、あれ?こんな時期に咲くのかな?とネットで調べたら(笑)9月から11月が開花時期とあり、季語は秋とありました。でも1月も中旬です!この辺りは寒いと言ってもきっと暖かいのですね。

 普段は首と肩の張りが酷く、どうしようもないのですが、やつか先生に見ていただくと本当に楽になります。
降圧剤も去年の5月から服用しなくても良くなっていて、効果が少しずつですが出てきました。
今日は世間話から、自分の現在の状態を話していて、カウンセリング的な時もあってよいのかな?と思い先生にそう話したら、話しながらでもできるとのことで、椅子に座って話しながらご指導いただきました。
 首と肩の張りが楽になっているときは、自分でも体に無駄な力が入っていないのが分かりました。
会場に来るだけでも最近は楽になるような感じがするので、ある面、オペラント化できたのでしょうか?
 先生の姿を見るともっと楽になるので、案外そうかも知れませんね。

 きたやまおさむ先生の講演会で歌を披露してくださった、鈴木重子さんは、やつか先生の知り合いとのことで、やっぱり世間は狭いですね....。悪いことはできません(笑)
 親分が豊橋駅まで迎えに来てくれたのは良かったのですが、親分の用事で浜松までつき合わされ(笑)静岡県内に行くと絶対行く『さわやか』さんでおにぎりハンバーグを頂いてきました。ハンバーグも美味しいのですが、お昼の忙しい時間帯に行っても、お店の方々は落ち着いて、笑顔で仕事されているので、うたたね職員を連れて行って食事を頂きながら、あんな風に仕事しましょう!と言いたいなと行く度に思いますが、逆切れされそうですね(笑)きちんと従業員の教育がなされていて勉強させていただいています。
 移動距離の多い一日でした......。
 

 アレクサンダー・テクニークの会場の前が、愛知県文化芸術センターなので『ゴッホとゴ-ギャン』を見てきました。
どれも凄かったのですが、ゴッホ1888年の作品(例えばアーモンドの花等)作品が色も美しくて凄く惹かれ、しばらく見入ってしまっていました。出口近くにある年表を見るとその年の12月23日に精神病を患っていたのですね。
 自死した母が、ゴッホが大好きで、自宅には何冊かゴッホの画集があり、小さい時からゴッホに触れていましたが、本物はいつ見ても感動します。当たり前と言えばそうなのですが......。



 本のほうは『認知行動療法精神分析が出合ったら』と水島広子先生の『対人関係療法でなおすトラウマ・PTSD』を一気に電車や待ち時間に読みきり、岸田秀先生の『ものぐさ精神分析』に入りました。最初のほうを読ませていただいていると、先日読ませていただいた、大島仁先生の『表層意識の都(パリ)』を思い出したので、個人的な思いで(笑)アップさせていただきましたが、この本からはきっと今回だけだと思われます。

『ものぐさ精神分析岸田 秀:著
日本近代を精神分析する――精神分裂病としての日本近代 
〜はじめに結論めいたことを言えば、日本国民は精神分裂病的である。しかし、発病の状態にまで至ったのはごく短期間であって、たいていの期間は、発病の手前の状態にとどまっている。だが、つねに分裂病的な内的葛藤の状態にあり、まだそれを決定的に解決しておらず、将来、再度の発病の危険がないとは言えない。現在は一応、寛解期にある。
 日本国民の精神分裂病素質をつくったのは、一八五三年のペリー来航の事件である。鎖国していた徳川時代は、個人で言えば、外的世界を知らないナルチシズムの時期に相当する。日本は、極東の島国という特異な地理条件のため、他の諸民族、とくにヨーロッパの諸民族とくらべると、はるかに長いあいだこのナルチシズムの自閉的状態に安住しつづけることができた。有史以来、一度として外国の侵略や支配を受けたことのない、言わば甘やかされた子どもであった。もちろん、古くは朝鮮、中国と交渉をもち、近くはポルトガル、オランダとわずかながら関係をもったが、それらはあくまで日本側から言えば気ままな関係であった。つまり気に食わなければいつ断交してもたいして日本は困らないのであった。これは、気にいった友だちと遊んでいればすむ幼児期の人間関係であって、気に入らないいやな奴とも何とか妥協点を見いだしてつき合ってゆかねばならないおとなの人間関係ではない。
 そのような甘やかされた気ままな生活に安住しているときに突如やってきたのが、ペリーの率いる東インド艦隊であった。日本は、おとなの人間関係を結べるほど精神的に成熟していなかった。だからと言って、つき合いたくないとペリーを追い返す力はなかった。日本は無理やりに開国を強制された。司馬遼太郎がどこかで日本はアメリカに強姦されたと言っていたが、まさに日本は無理やりに股を(港を)開かせられたのである。別な譬えを用いれば、苦労知らずのぼっちゃんが、いやな他人たちとつき合わなければ生きてゆけない状況に突然投げ込まれたのである。それまでの状況との落差がひど過ぎた。それは日本にとって堪えがたい屈辱であった。このペリー・ショックが日本を精神分裂病質にした病因的精神外傷であった。R・D・レインが『引き裂かれた自己』のなかで述べているように、分裂病質は外的自己と内的自己との分裂を特徴とする。他者との関係、外界への適応はもっぱら外的自己にまかされ、外的自己は、他者の意志に服従し、一応の適応の役目は果たすが、当人の内的な感情、欲求、判断と切り離され、ますます無意味な、生気のないものになってゆく。内的自己は、そのような外的自己を自分の仮の姿、偽りの自己とみなし、外的自己の行なうことに感情的に関与しなくなり、あたかも他者の行動をながめるように距離をおいて冷静に突き放してそれを観察しようとする。内的自己のみが真の自己とされるが、内的自己は、外的現実および他者と切り離され、遊離しているため、ますます非現実的となり、純化され、美化され、妄想的となってゆく。外的自己と内的自己との、あるいは、ビンスワンガーの症例エレン・ウエストで言うなら穴窖の世界と空気の精の世界とのこの分裂と断絶が分裂病ないし分裂病質を形づくる。当人の自己同一性(アイデンティティ)は失われる。不本意につき合っているだけの外的自己にも、現実から遊離した内的自己にも、自己同一性は見出されない。彼は、外的自己に従っては屈辱を感じて後悔し、内的自己に従っては不安にかられ、両者のあいだを絶えずゆれ動く。
 ペリー・ショックによって惹き起こされた外的自己と内的自己への日本国民の分裂は、まず、開国論と尊王攘夷論との対立となって現れた。開国は日本の軍事的無力の自覚、アメリカをはじめとする強大な諸外国への適応の必要性にもとづいていたが、日本人の内的自己から見れば、それは真の自己、真実の伝統的日本を売り渡す裏切りであり、屈辱であった。この裏切りによって、日本は自己同一性の喪失の危険にさらされることになった。この危険から身を守るためには、日本をそこへ引きずりこもうとする外的自己を残余の内的自己から切り離して非自己化し、いいかえれば真の自己とは無関係なものにし、内的自己を純化して、その周りを堅固な砦でかためる必要があった。この砦は、B・ベッテルハイムの言葉を借りれば「うつろな砦」であり、自己同一性を確保し得るものではないのだが、自己喪失の恐怖にかられた者には、そのようなことにかまっていられる心のゆとりはない。そこで、不安定な内的自己を支える砦としてもってこられたのが天皇であった。細々とつづいてはいたが決して一般的ではなかった尊王思想が幕末に至って急に強く打ち出され、明治以降もひきつづいてある程度広範に国民のあいだに浸透し、受け容れられるに至ったのは、ここに理由がある。尊王思想を古代からの日本の伝統とするのはもちろん誤りであるが、その普及のある程度の成功を近代日本の支配者たちの教育と政治的プロパガンダのみのせいにするのも同じく誤りであると思う。ペリー・ショックにひきつづいて、屈辱的開国を不本意ながら強制されたために陣核分裂を起こし、自己喪失の危険にさらされた日本国民は、その恐怖から逃れるためのつっかえ棒を必要としたのであり、天皇制はまさにそのための好都合なつっかえ棒に向いていた、つまり、支配者の側から押しつけられなくても、天皇制を受け容れる真理的基盤は国民の側にもあったと思う。〜