うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お正月飾りと【臨界期】(『治療のための精神分析ノート』神田橋條治著より)


 今日は、夜勤なのですろーじゃむに行き、簡単に掃除をしてきました。
すろーじゃむもお正月の飾り!挿しただけで、うたたねの門松用に持って帰って来ました。
 草刈は先日させていただいたので、草のほうは大丈夫でした。


自宅の方は質素に(笑)
 今日夜勤に入って、明日明けで渥美への送迎で今年の自分の仕事は終わりです。
前半は、みーちゃんのことで走り回っていましたが、今となれば、今年だったんだ.....。とも思ってしまいます。
 重度の方々には本当に沢山の学びを頂き、自分も職員たちも少しずつですが、成長していくことができています。
とは言ってもまだまだなので、来年も頑張って沢山勉強させていただきたいと思っています。
 

 

 今日と明日は、神田橋先生の本からのアップにさせて頂こうと思っています。
下記を読ませていただいて、林竹ニ先生のこと思い出しました。



『治療のための精神分析ノート』神田橋條治・著より
【臨界期】
遺伝か環境か、すなわち天賦か学習かの論争は、臨界期の発見によって一応の決着をみた。生まれたばかりの子猫を一定期間光のない環境で育てると視力が育たず、後で明るみに出しても盲目のままであるという。遺伝子の開花には環境の刺激が必要であり、しかも適切な時節が必須であり、それを逃すと取り返しがつかない。幼児期を外国で過ごした人の外国語の発音は見事であり、成人がいかに訓練しても音声分析器で測定すると異質な発音であることが歴然としているらしい。
 おそらくすべての遺伝子は進化の歴史の成果あるいは痕跡を保持しており、開花の機会を待っているのだろう。そのことをヒントに、早期幼児教育なるものがおこなわれている。悲惨である。個々の遺伝子の開花の臨界期は異なっているだろうし、開花を待っている遺伝子群は数えきれないだろう。そのなかの幾つかだけを取り上げて機会を与えることに専心すると、凸凹に歪んだ環境を与えることになり、他の遺伝子は盲目のままに置かれることになる。結果はサイボーグ化である。将来の環界変化への備えの貧素化である。
 開花を待っている遺伝子は受け身で待っているのではなく、チャンスを窺っているはずである。暗闇に置かれている子猫も僅かな光を与えると光の方向へ眼球を向けるはずである。多くの遺伝子に開花の機会を与えるには、刺激の質の多種多彩な環境すなわち原子環境に近い自然環境、言い換えれば、いまだ文字文化というデジタルに汚染されていないアナログ環境、を付置することによって個々の遺伝子が自らに必要な臨界期を選択できるようにするのが、遺伝子にとっての最高の教育であろう。
 さまざまな電子機器は文字文化の生み出した俊才であることに思いを致すと、幼児教育に導入することの功罪は明白となろう。
 いま一つ、遺伝子の積極性を仮説するならば、適合する臨界期ではいのちの全体が輝くはずである。ある年齢での幼児の水遊びでの高揚はその例であり、あの高揚の雰囲気が数多く出現するような子育てをしたいし、治療にもこの雰囲気を持ち込みたい。宮崎県の都井岬の野生の子馬が母馬の乳を探って甘える様子は生き生きと愛らしい。他方、北海道の日高;牧場のサラブレッドの子馬は生後すぐに飛び跳ねる。「栴檀は双葉より芳し」である。ともに遺伝子に適合した環境を与えられている。それぞれバランス良い「資質」の蓄積が出来上がる。
 遺伝子と環境との相互関係は、その後の学習のモデルである。資質と学習との相互関係は、遺伝子と環境との相互関係のフラクタルの構造であるからである。臨界期を彷彿とさせる瞬間も見られる。そのとき、いのちの高揚が見られる。俗に「出会い」と呼ばれるものがそれである。
 逆に、適合する学習環境が得られないせいで資質の可能性が開花できない場合はとても多い。不登校の多くはその例である。不適合の結果であり次の病因ともなる。盲目の子猫のフラクタルである。ただし、成獣の場合は後になってもある程度取り返しがつく。それが「自己実現」と呼ばれる現象の本質である。開花の機会を与えられなかった資質が実現するだけである。
 これらを要するに、豊かな多彩な幼児期、自覚的には幸せな・懐かしい幼児期、多種多様な「出会い」体験、を持つ個体は、以後の自己実現の基礎材料を豊かに用意できていることになり、特殊な幼児教育訓練教育の成果は一部分だけのキラメキに偏った貧しい資質、当人のいのちにとっては貧しい人生資源を準備することになる。
 ただし、此処での「貧しさ・豊かさ」はヒトにとってのそれであり、文字文化が支配している現代社会にあっては、異なる尺度が用いられる。しばしば、「人生の成功者」がヒトとしては、いのちとしては貧しいのはその例である。いずれが正しい・好ましいとは言いえない。「治療目標」の論議に連なるテーマである。。
 ともあれ、精神分析に限らずすべての治療は、あらかじめ準備されている資質に添うときに効果が上がる。「人を見て法を説く」はそれである。「無い袖を振らせる」のは早期幼児教育不成功のフラクタルである。