うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お正月の準備?と、『神田橋條治・治療のための精神分析ノート』より


今日は、夜勤の予定でしたが、変更になり、外回りや事務仕事をしていまそいたが、外回りしているとクリスマスより、お正月の準備をしないといけない気がして、夕方豊橋に行く前に近くの山に行って、正月飾りの材料を集めてきましたが、千両だけ頂いてきました。
 林道が舗装工事していたので深くは入れなかったので、時間を見つけてまた材料を探しに行かせて頂きます。

 こぼれ落ちた千両の実は、蓮の実と一緒にお地蔵さんにあげました(笑)


 こちらは、門松を作るのに伐ったと思われる竹の葉が枯れていて、格好が良かったので少しだけ頂き、投げ入れてみました。
 先日、京都の知人と15年ぶりくらいに電話で話が出来、京都時代のこと沢山思い出しました。
良かったことも、悪かったことも......。しかし、自分を育ててくれたのは、大阪ではなく、京都だと思っていて、知人の励ましに力を頂きましたので、来年はもっと頑張らないといけないなと思いました。
 今年を振り返るのはまだ早い(笑)

 早朝に神戸館さんにお邪魔させていただき、チャリティーの報告を受けましたが、去年よりも金額が多いとのことでした。長澤様ご夫婦を始め、ご協力いただきました皆様には本当に感謝しています。
 新聞の取材が26日にあるので、親分に行っていただきます。
去年は約208,000円もあったので、本当にありがとうございます。小さな法人には本当に力強い見方です!

 今日も時間を見つけて『クラインーラカン ダイアローグ』を読ませて頂きましたが、先ほどほっとした時に、図書館で借りた『神田橋條治・治療のための精神分析ノート』を少し読ませて頂きましたが、一つの章が連綿とリズムがあるように続いているので、章が終わるまで目が離せません(笑)
 少し考えさせられました。

 Ⅰ 精神分析の周辺
 自然は折り合う
 報道によると、福島原発事故で人が住めなくなっている地域に、急速に植物が繁茂し野生動物が群生しているらしい。自然の猛威とみなしてもいいが、人が去って自然が復旧しただけである。それほどまでに自然を歪め制圧しつづけていた人の猛威を察してもいい。
 しかも言葉通りの「復旧」ではない。群れをなすイノシシの身体には数万ベクレルもの放射性物質が溜まっているらしい。他の動植物もそうであろう。自然は汚染を受け入れ、自ら変化する形で新たな調和した複雑系へと変化する。おそらく、動植物の変異が頻出するであろう。それが「自然治癒力」の原型すなわち「折り合いをつける」対処機能である。アナログ同士の相互干渉の結末である。放射性物質も住処を得た。
 さほど昔ではない時代に猛烈におこなわれた水爆実験で生み出された放射性ストロンチウムは拡散が進んで、いまではビキニ環礁での濃度とわれわれの周辺環境の濃度とが等しくなっていると聞く。福島原発事故が生み出した汚染物質もほどなく地球上に満遍なく広がるはずである。
 放射能に限らず、ヒト類が有史以来創出した数万種類の化学物質も同じ拡散の流れの末、地球環境総体を変化させている。われわれが原初の地球環境の名残とみなして憧れる、アフリカのサバンナとて同じ汚染を受けている。後戻りはありえない。
 すべての生物はその汚染に適応すべく自らを変質させる。種としての自然治癒力である。ただし、自然は複雑系であり、自然総体としても「折り合いをつける」ので、その一環として、排除されて消滅する種もある。
 遺伝子の変質という自己改革を用いて、排除を免れる種もある。その方策で生き延びた種は、極論すると別の亜種に変質したことになる。幸せの徴と見なされた四つ葉のクローバーが珍しくなくなり、五つ葉のクローバーさえ出現しているのはその例証である。ヒト種とて例外ではない。



 文化汚染
 サバンナの汚染は放射能や汚染物質だけではない。絶滅防止の意図で人が介入し、観光地として人が侵入する。それらは環境を変化させすべての生物はそれらの変化に「折り合いをつける」べく、遺伝子に付与されている許容範囲内で、自己変革を試みる。それは「学習」と呼ばれる。
 必要不可欠な学習が遺伝子の許容範囲を超えると、学習不能すなわち不適応となり絶滅危惧種となる。文化汚染の果てである。保護活動などの弥縫策は一時しのぎに終わるはずである。
 放射能汚染地域に繁殖したイノシシは人を恐れないらしい。子のイノシシでは学習がなされていないから当然であるが、親イノシシでは学習の成果が消えたのだろう。だがそれは消滅したのではなく、記憶痕跡として保持され、人が帰ってきたら数回の体験で学習記憶は復活するであろう。われわれが久しぶりにスケート場に行ったときと同じである。
また、学習体験のなかった子イノシシは親を見習って遁走行動を学習するだろう。「見よう・見まね」による文化の伝承である。これは多くの動物で観察される。資質として付与された許容範囲の狭い、あるいは偏りのある固体はその学び学習ができず、独自の「個性的な」「折り合いをつける」工夫を創案して生き延びるしかない。ウィルスの変形はそれである。
 ヒトはイノシシと同等の物質汚染に晒され、かつイノシシなどはるかに及ばぬ膨大な文化汚染に晒され、かつ自ら文化を創案し、自然を汚染する存在として宿命づけられている。ヒトはホモ・サピエンス(知性ある人)であるがゆえにホモ・ポルート(汚す人)となった。
 それに「折り合いをつけるべく」地球は自らを変化させる。ボトムアップの自然治癒作業である。その動きが微かに露呈しているのが「地球温暖化」をめぐる事態であるが、僅かな断片、巨大なうねりの先駆け、に過ぎない。