うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

あけましておめでとうございます!と、? 精神分析の入り口・【治療


 あけましておめでとうございます!
うたたね6回目のお正月で、初めて元旦だけお休みを頂きました。
明日からは仕事が始まりますので、本年もよろしくお願いいたします!

 自宅の作業部屋の神さんの飾りつけも終えました。
今年は星野真吾賞の年で、エントリー用紙が12月に来ていました! どうしようか?悩んでいます。
今の仕事量では創作活動は無理なので、何か策がないかと思案していますが、中々難しいですね....。


 朝、近くの稲荷山に初詣に行こうと玄関に出たら、玄関の飾りの上に注連縄が丁寧に釘で止められていました!大家さんがつけてくださったのでしょうか?得した感じになりました!


 お稲荷さんに参ってきましたが、うたたねのことばかりお願いし、作品のことをすっかり忘れていたので(笑)明日はうたたねの近くの神社でお願いしようかと(笑)考えています。


 お正月が来ると、関西を思い出し、なぜか今年は敷き松葉を思い出したので少し遊んでみました(笑)
本当は枯れた松葉ですが、どこかの料亭の坪庭で枯れていない敷き松葉を見て、感動したこともおもいだし、ネットで敷き松葉を探し回りましたが、枯れた松葉の画像しか見ることができませんでした。
 苔等の保護(霜からの)が目的で、季語にまでなっているので、冬枯れを表わすのには枯れ松葉のほうが風情がありますね!
 こちらは、松の内までには枯れそうにはありませんね(笑)


 今年初めてのアップは、神田橋先生を選んでしまいました。
 中井久夫先生・木村敏先生も患者さんを中心に考えておられるので、本当に勉強になるし、見習わなければいけないことばかりです。
『何も足さず・何も引かず』は本当に色々なことを思い出したり、考えさせられたりするコトバです。

Ⅱ 精神分析の入り口
【治療や援助】
 精神分析治療の本来の守備範囲は限られている。いのちと身についている文化学習と文化環境状況との三者間のズレが生じていて、しかもそのズレが隠蔽されていて、そのことがいのちの自在性を著しく狭めているとき、新たな折り合いを探す作業、が精神分析治療の本来の守備範囲である。
 本来の守備範囲でないのは、?急性の危機状態で折り合いを探してあげる作業、これは援助であり、足したり引いたりのサービスである。?何かの援助が得られない慢性期、例えば貧困や慢性病、?折り合いの能力すなわち自然治癒力の貧しい個体、そこでは足す援助が必要である。?まったくコトバが関与しえない状況での学習での体験学習の修正。これについては愛着障害のところで詳述する。ただし、いずれのケースでも、精神分析治療の素養が援助活動に寄与しうる。
 精神分析治療の理想形は「治療者は何も足さず・何も引かず」である。むろん理想形で成り立っている治療は存在しないが、理想型に留意しそれを目指し、かつ理想のルートから外れている瞬間にそのことを自覚するように努めるのは、究極の精神分析である。