うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ボーリングと、初詣と、【食と性】


今日は、ボーリングと初詣に行きました!
親分とおっちゃんを外したら、一番のハイスコアはまりちゃんでした!
 因みに、第1ゲーム最下位はおっちゃんでした(笑)

 湖西市のさわやかさんに向かいましたが、2時間40分待ちとのことで、近くのガストに変更しました。


 食後近くの神社をググッたら、二宮神社があり、よく見ると敏達天皇2年(573年)建立とありました。
大化の改新が645年!何時代や?と言うことで(笑)皆さんで初詣に行きました!(二回目の方も居ますが)

 お参りしたら、社務所にいたおじさんたちが「※◎γ★⇔▲□.....」と言っていたので、見に行ったら「お洗米」は要らんかね!とのこと。「お洗米」を口に含んだら、今年は良い年になるとのことでしたので、皆さんで頂きました!
 東海道というと、どうしても江戸時代のイメージがあり、東海道沿いにある神社がそんなに古く由緒があるなんて思いもよらなかったので、ビックリしました!
 これで皆さんよい年になりますね!



 関係ないですが(笑)今年の初聴きは、ビリー・ホリデイでした。去年の12月から自分の音楽のルーツに戻ろうと、オーティス・レディングを聞き出していて、年末に図書館に行った時にあったので借りてきました。レイ・チャールズも聴きました。
 初弾きは、エアロスミスのウォーク・ディスウェイでした。一番好きなギターリフです!


認知行動療法精神分析が出会ったら』を帰宅後少し読ませていただき、参考になる個所だらけでしたが、流れ的に(笑)神田橋先生をアップさせてください!
『折り合いをつける』というコトバが段々無意識裏に浸み込んでいっているような感じ?になっています。

【食と性】
 食は個体存続のために、性は主存続のために、それぞれ最重要の営みである。
 ヒトは食物獲得の技術を大幅に発展させることで、食に関して自在性を拡大した。食の対象は他の種でもあるので、資源は無尽蔵であり、さらなる技術の発展だけで自在性は保証された。欲動行動が本来そうである心身不二も保証された。「没頭して食べる」がそれである。自在性の喜びは拡大し「料理」という文化が花開いて今日に至っている。
 動植物の繁殖は気象に左右され食物の過不足に左右される。それに「折り合いをつける」のが発情期である。発情期に従っているとき、生物の性は心身不二を保っており、「没頭」の性質が保たれている。
 食の自在性を保証されたことが、ヒトに発情期の不用をもたらしたのかも知れない。それはともかく、食と異なり性の対象は同種のヒトであるので、通常では自在となるわけにはゆかない。人の文化ことに文字文化は、自然からの制御の外れてしまった性を代わりに制御すべく、倫理・道徳などの制御機能を作って「折り合いをつける」ことになった。
 文字文化はいのちからの制御を脱することで自在性を得ているので、倫理・道徳の作成は原理として恣意的であった。「制御から脱することを至上命題とした文字文化が制御を生み出した」というパラドックスは、文化の権化と化した人間が、これ以後に遭遇するすべてのパラドックスの原型であると仮説すると、精神分析の基本仮説になりそうです。
 ただし、文化の恣意性が辛うじて制御しうるのは繁殖行為である。いのちとの繋がりを失った文字文化からの制御は欲動に届きにくい。そこを何とかしたいとする文字文化と欲動との格闘、お互いに「折り合いをつける」試行錯誤、が病や芸術の基盤のエネルギーであるとは精神分析の基本仮説の一つである。
 食の世界での料理と同じ位置にあるのがさまざまな性活動のバリエーションであり、束の間ではあるが「没頭」という心身不二をもたらす。しかし、倫理・道徳などの文字文化が表の世界に君臨しているので、性の没頭・工夫にはなにか、裏社会のような隠微な雰囲気がまとわりつき、料理の世界のおおらかさはない。
 食の営為が母乳から料理へと段階的に発育すると同様に、同種であるヒトを対象とする性の営為は乳房から異性という個体まるごとへと段階的に発育する。
 動物での性の発育段階の欠損の証拠は、人に育てられたオラウータンの例など、動物園での飼育記録に残されている。精神分析治療は、類似した欠損形を治療標的の一つにしている。したがって、精神分析を汎性欲説とみなす見地は、正しくないこともない。
また、ピカソをはじめ多くの芸術家が原始への回帰を試みる動因は、原始の性のおおらかさへの賛美である。ヌーディスト運動もそうであり、性文芸への検閲との戦いも同じである。しかし、動物の性のおおらかさは天賦のパターンによる束縛と表裏一体である。意識を獲得し自在性を得たヒト、ましてや文字文化を手にして自在性を完成した人にとっては、原始の天賦のパターンの束縛への回帰は不可能であり、辛うじて性行為中の「忘我」の一瞬に実現するだけで、他はすべてas if 性に留まる。進化の流れを事実として遡行することはできない。先に述べた「苦み」の起源である。