うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、自然治癒力


 今日の日中は、学齢児さんもいたので、冬休みの宿題を一緒にさせていただいたり


 ドライブで浜北のプレ葉ウォークまで行き、昼食を摂ってきました!
本当は、志都呂のイオンに行こうと思いましたが、クリスマス・イブで込んでいたので
急遽浜北に向かいました。
 13時までの方がいたので、食後直ぐに戻ってきました。
その後は、入浴等済ませたら、あっという間に帰宅の時間になりました。



 今日のアップも、神田橋先生の本からです。
神田橋先生の優しさが自分には感じられました。



 風が吹くとシャボン玉は壊れる。風が弱いとき球体は歪みながら耐えている。元の球形を取り戻すときもある、しかし遂には壊れる。これは「病」の象徴である。すなわち、半閉鎖体系を壊して元の自然に吸収しようとする親エネルギー体系への、小さな体系側の抗いである。最終的な敗北を宿命づけられている、束の間の抗いである。アナログ界では普通の、当然の結末である。
 すなわち、現象としての病は、壊す力と抗う力のバランスで構成されている。しかも抗う力のエネルギーそれ自体は、もともと、泡を産み出したり壊したりする親エネルギー体系から供与されている。「自立」の意味はこれであり、環界からの離脱を意味しない。
 シャボン玉の球形が歪んで見えるとき、つい「頑張れ」と言いたくなる。これが治療行為の原点である。すなわち、抗う力への肩入れである。自然治癒力への応援・援助である。この気分・雰囲気が瞬時途切れなく基盤にあるとき、治療作業は大道を歩んでいる。


自然治癒力
 「自然治癒力」とは、より良い方向への志向性との語感があるが、実態はそうではない。いのちと環境のズレに「何とか折り合いをつける」志向である。
 対処は原始的なものほど根源的である。例えば外界県境との関係では、ウィルスや植物は専ら己を変化させることで折り合いをつける。そして、種子を大量生産する、すなわち自己複製機能を用いて、現状よりももっと好ましい環境との新たな出会いを画策する。動物は、自ら好ましい環境へ移動する、という優れた対処作業や戦うという防御法や、外界を自身に合うように変化させるという画期的な方策を用いる。
 感覚器や運動機能という新しい能力をも身に着けている。これらの機能を使って、「見よう見まね」で学習・伝達をおこなう「文化」なるものを作り出した。イノシシがヒトを恐れるのは本能ではなく文化である。「進化という自己変容がもたらす能力拡大のプロセス」を経ることなしに、より速やかに能力を広げる手だてが「学習」であり、その性化が文化である。
 この極端な発展形がヒトのありようである。ヒトは鳴き声の発展として語りコトバを見につけた。コトバは見よう見まね学習や体験学習を容易にした。ヒトは人となった。
 そして遂に悪魔の武器「文字言語」を手に入れた。その威力で人は最強の動物となるとともに、自らにとっても有益・有害な文化生物へと変貌・進化した。そして地球環境を変化させ、その結末はヒトの滅亡である。驕れる者久しからずである。しかも急速に強力となったヒト種の繁茂の期間は恐竜のそれに比してはるかに短く、悠久の地球史のなかでは一瞬の光芒に過ぎない。
 ただし滅亡の時に至り、墓の生物はただ虚しくもがくだけであるが、ヒト種は滅亡の時期を見据え、理解し、納得し、覚悟し、受け入れることができる。それが宗教における「あきらめ・受容」のプロセスであり、文字文化を創生したことの最大の成果である。「死の臨床」の基本理念である。精神分析治療のフラクタルでもある。





環世界
出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

環世界(かんせかい、Umwelt)はヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念。環境世界とも訳される。
すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、その主体として行動しているという考え。ユクスキュルによれば、普遍的な時間や空間(Umgebung、「環境」)も、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されている。動物の行動は各動物で異なる知覚と作用の結果であり、それぞれに動物に特有の意味をもってなされる。ユクスキュルは、動物主体と客体との意味を持った相互関係を自然の「生命計画」と名づけて、これらの研究の深化を呼びかけた。


事例
マダニというダニの一種には視覚・聴覚が存在しないが嗅覚、触覚、温度感覚がすぐれている。この生き物は森や茂みで血を吸う相手が通りかかるのを待ち構える。相手の接近は、哺乳動物が発する酪酸の匂いによって感知される。そして鋭敏な温度感覚によって動物の体温を感じ取り、温度の方向に身を投じる。うまく相手の体表に着地できたら手探りで毛の少ない皮膚を探り当て、生き血というごちそうにありつく。この生き物にとっての世界は見えるものでも聞こえるものでもなく、温度と匂いと触った感じでできているわけである。しかし血を提供する動物は、ダニの下をそう頻繁に通りがかるわけではない。マダニは長期にわたって絶食したままエサを待ち続ける必要がある。ある研究所ではダニが18年間絶食しながら生きていたという記録がある。