うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

来年の手帳と、『硬さと柔軟性のなさ』(治療の行き詰まりと解釈より)


 先日、浜松に行ったときに立ち寄った本屋さんに、京都手帳が売っていました。安くて使いよいので、毎年買わせていただいていますが、京都バージョンと全国バージョン?があり、いつも見てから買わせて頂いていますが、今回は全国バージョンの方が気に入ったので、買ってもらいました。去年まで1,000円だった?のに今年は1,200円でした......。
 11月が終わるまでは2冊かばんに入っています。




 こちらは、先日打ち込んでいたもののアップです。


『実際のところ、分析家が患者の観察を真剣に受け取り、彼自身と患者との双方の内に、さまざまな障害の領域を明らかにできるならば、分析の行き詰まりは払拭される。 患者−分析家の相互関係における最もありふれた障害は、分析家側の無意識的で幼児的な不安に関係している。分析家側が自分の不安を処理する防衛様式のひとつとして、患者の人格のひとつの側面と適度になれあって、招き寄せたくない他の問題を分析から遠ざけておくということがある。もし分析家が患者の早期乳幼児的不安に心を開け、かつそれに対する感受性があれば、通常患者はこれに気づくし、またこの不安が差し迫ったものなら、患者は自分の欲求にしたがって、この不安をコミュニケーションや援助や理解を求める形で分析家に投影できるだろう。患者と分析家との間で議論や争いが起こるのは、一般に分析家が患者の反応の激しさに防衛的となり、圧倒されたときだけである。そのようなときに、長く続く精神病的転移が固定する危険があるのだろう。』

 支援方法にヒントになる箇所ですね。
視点がずれるかもしれませんが、慣れだけで支援されている方が沢山います。本当の支援とは、変に慣れ合わないことだと思うのですが、長年それでいけてるのだから.....との理由だけでは、根本的には改善されないように思われます。


『硬さと柔軟性のなさ』 (治療の行き詰まりと解釈より) 分析家がまずく機能したり、(さきほど呈示した症例で見たように)それがもたらす危険な影響に気づくことなく、ある方向の解釈を硬く柔軟性を欠いたまま押し進めのは、内的、外的葛藤により活性化されたごく一過性の阻害によるのかもしれない。そうした問題が分析作業を阻害するのがわずかの時間にすぎないならば、患者の治療への協力は通常復活する。しかし、もし分析家に、ハイマン(Heimann 1975)が最近大変巧みに表現している「私有地:立ち入り禁止」と記されるような領域がたくさんあれば、分析家と患者は無意識に共謀してこれらの領域を分析作業の外においてしまい、その結果治療の行き詰まりを生み出す。その際、患者は分析家をいろいろな手段で激しく非難することがあったとしても、分析家の行動により拒絶されたと感じる外傷経験が起こる領域や状況は避けるのである。その種の患者による攻撃をしばしば分析家は誤解し、この行動を過去の経験に関連付けようとする。そうすることは急性不安や、分析家への批判的または軽蔑的な攻撃の増大につながり、患者の絶望感は増強される。というのは、自分が理解され、受け入れられる可能性は永久にないという恐れを増大させるからである。もし分析家が患者の行動を読み取ることができ、自分の誤りを失敗の詳しい原因とともに認識できるならば、患者は自分の観察したことを大略分析家に気づかせることができたということになる。実際のところ、分析家が患者の観察を真剣に受け取り、彼自身と患者との双方の内に、さまざまな障害の領域を明らかにできるならば、分析の行き詰まりは払拭される。
 患者−分析家の相互関係における最もありふれた障害は、分析家側の無意識的で幼児的な不安に関係している。分析家側が自分の不安を処理する防衛様式のひとつとして、患者の人格のひとつの側面と適度になれあって、招き寄せたくない他の問題を分析から遠ざけておくということがある。もし分析家が患者の早期乳幼児的不安に心を開け、かつそれに対する感受性があれば、通常患者はこれに気づくし、またこの不安が差し迫ったものなら、患者は自分の欲求にしたがって、この不安をコミュニケーションや援助や理解を求める形で分析家に投影できるだろう。患者と分析家との間で議論や争いが起こるのは、一般に分析家が患者の反応の激しさに防衛的となり、圧倒されたときだけである。そのようなときに、長く続く精神病的転移が固定する危険があるのだろう。
 したがって、もし分析家がその場での最も顕著な不安を理解すると、争いや長く続く精神病的転移反応はしばしば短縮され得る。こういった状態での患者の主な不安はしばしば、自分が分析家を狂気にしてしまうのではないか、あるいは分析家が患者を狂気にしてしまうのではないかといった恐れである(Searles 1959a)。そのような状況で、患者が急性のパニックに陥ったり防衛的になることはだれもが容易に理解できる。分析家が自分の解釈機能を上手に果たし、静かで思慮深い心の状態を保つことにも成功するならば、患者は大変安心するのである。 
 分析におけるすべての行き詰まりや袋小路において、分析家が患者に対する自分自身の感情や振る舞いを注意深く検討することが、何よりもまず重要であると私は思う。また、同じ程度重要なことは、患者が手を組んでいる分析家の像をより明確にする情報や、あるいは患者と分析家とのなれあいについてのヒントを求めて、患者のコミュニケーションや夢を注意深く検討することである。分析家が自分自身の誤りを認識し、患者に対する感情を変えることによってのみ、患者はより自由を感じられるようになる。患者がなれあいの罠から解放されるのはこのときであり、そして行き詰まりはたちまち乗り換えられるのである。〜