うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

流しでお薄と、【第13章 後で考えたこと―精神分析における理論と技法の変化―】


 今日は夜勤ですが、朝から事務所に行ったり戻ったり。
送迎もあるので今から出勤です!
 昨日の団子が残っているので、流しで慌ててお薄を点て(笑)ばくばく食べました(笑)

『治療の行き詰まりと解釈』は本当に良い本でした。今回で終わりにしようかと思いましたが、あと一回だけアップさせて頂きます。全部見て頂きたいくらいですが、是非、読んで頂きたい箇所だけ抜き出しました。




第13章 後で考えたこと
精神分析における理論と技法の変化―

羨望
〜母親と乳房に対する早期幼児期的な関係における羨望ばかりではなく、男性と女性にそれぞれ特異的に見られる羨望についても述べたい。男性にとって、女性的な機能と子どもを作る能力に対する羨望は重要である。女性にとって重要なのは、ペニスと男性的な力と機能に対する女性の羨望と競争意識である。人間の発達において羨望が生じることを避けることはできないし、子ども、あるいは分析を受けている患者が、ときとして自らを卑小に感じたり、劣等感を抱くことも必然的なことである。私がここで特に思い浮かべる状況は、子ども、あるいは分析を受けている患者が、両親や他の子ふぉもや、分析のなかであれば分析家に、抑え込まれていると感じたり、実際に抑え込まれるかもしれないということである。私の経験では、患者が分析のなかで自分が受け入れられ助けられていると感じ、自分がものを考えたり成長したりする余地がいくらかはあると感じた時に、患者の羨望は徐々に減少していくのである。それゆえ、羨望の解釈はあまり頻繁に繰り返されるべきではない。羨望が引き起こす痛み、不快、恥は、愛する能力を損なうものだから、それらに患者が耐えられるよう助けることの重要性が強調されねばならない。激しい欲求不満の状態は必然的に羨望を賦活する。分析の経過中に起こる問題としては、ときに分析家が患者自身よりもずっと患者を理解しているために、患者が恥をかかされたと感じることがあることが主要なものである。この問題は、分析における進展は患者側と分析家側の協働の努力に依るものであり、特に分析家側のタイミングよく鋭敏な解釈によるということを、患者が理解できるように援助することを通して直面しなければならない。羨望の解釈を強調しすぎることや、患者と比較した場合の分析家の貢献を過大評価することは、しばしば治療の行き詰まりの原因となるのである。


分析家の柔軟性
 〜陰性転移と攻撃性の分析に関する私の理解は大きく変化した。例えば、私の現在の見解は、攻撃性を分析するためには、分析家は患者の傷つきやすさと防衛的な構えの程度をとても注意深く判定せねばならないというものである。特に、患者が拒絶されることをどれだけほどまで恐れているか、それゆえよい雰囲気を作るためにはどれほど分析家を理想化することを必要としているか、ということが吟味されなければならない。仮に分析家がそのような理想化を性急にに崩そうと試みるならば、患者はあわてて譲歩するようなことを言うか、引きこもるか相手に批判的になることによって、破綻から自分を護ろうとするであろう。患者がこのような反応をするときは、分析が歪んでいるか行き詰っていることを意味する。心的外傷を受けた患者の分析においては、陰性感情転移の分析は、こうした反応によって特別に複雑なものとなる。それゆえ、分析家は患者の臨床素材を細心の注意を払って吟味しなければならない。直面化が多すぎることも、主として患者の恐怖のためにであるが、分析内容を挑発的で混乱したものとするために、失敗となるであろう〜

〜患者にとって心を開くためには、彼が何ならば対処できるかを理解し、大きな圧力がかかる状況にあまりにも早く陥ることがないように見守る。〜

〜硬直した分析は行うべきではない、ということである。患者と絡み合っていると感じられること、人為的な距離を取らないことが重要である。距離を取るために、例えば自分の声をコントロールしようと努力するあまり、無表情に聞こえることがあれば、患者に害を及ぼすであろう。私は、ある分析家の感情を切り離された声が、患者に有害な影響を与えた例を、よく覚えている。〜