うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

日本語臨床フォーラムと、『法・人権・社交儀礼』(表層意識の都より)

事務仕事の休憩時に、何気に覗いた《日本語臨床フォーラム》なるものに、入会しました。

今年のフォーラムは終わったようですが、来年を楽しみにしています。
 
きたやま先生などのお仕事で、日本神話や民話の精神分析的な解釈があり、いくつか読ませて頂きましたが(フロイトもしていますね)、言語にするのが精神分析の仕事なら、やはり日本語の本当の理解が必要ですね.......。残りの生は少ないですが、頑張って勉強させていただきたいと思っています。

 12月のきたやま先生の講演会も、申し込みが済み、後は日が来るのを楽しみに待つだけです。


 今日は夜勤なので、自宅でゆっくりしたり、気になる事務仕事をしたりしていました。
本も少し読ませていただいたので、気になった箇所をアップさせていただきます。


『「人権」とはへんな言葉だ。権利とか権力とか、明治のはじめに作られた言葉のなのだろうが(明治時代には「国権」とか「民権」とかいう言葉もあった)・西洋における〔right〕とか〔droit〕の意味を表しているつもりであった。しかし、漢字の「権」とは、決して〔droit〕の意味ではなく、むしろ〔power〕すなわち[pouvoir]の意味であって、権力の「権」としてはよくても、決して人権の「権」にはならないのである。 
島崎藤村は、たった一つの語でも、その意味を本当に理解するには一生かかることもあり、それにはそれだけの価値があるのだと言っている。明治時代に翻訳された西洋の諸概念には、そういう一生かかって理解するに値する語が多く、それらを理解することは、それから一世紀を経た今日でも容易ではない。私などは、「人権」と言う語を理解するのにフランスまで来ねばならなかった。 フランスはたしかに人権の国である。人権を尊重しようという姿勢の国である。フランス革命から二世紀、フランス人は人権を守ろうとすることを怠らないできた。と言うより、「人権」と言う概念自体が、彼らによって生み育てられたのである。「人権」は、そもそも彼らの日常に行きわたった思想で、例えば親が子に「……をしてはいけない」と言うとき、〔tu n’as pas droit〕という言い方をする。これは、直訳すれば、「お前は権利を持っていない」ということで、それを聞く我々は、子供にずいぶん難しいことを言うと感じるが、それは「権利」という日本語の訳語が悪いからで、フランス人にとっては普通の表現なのである。「……をしてはいけない」というのは禁止の表現であり、日本では禁止の背後に禁忌が感知される。フランス語の〔droit〕という語には、そうした禁忌的意味合いはなく、あくまで意識的に守るべきもの、根本的な「法」にかなったもの、また言語と理性において問われるべきものとしてあるのである。一方の禁忌というものは、問われない性格のものだ。したがって、禁止されることについて「どうしていけないのか」と問うことは、原則的に許されない。他方、〔droit〕の方は、言語によって問われるものとしてあるから、ロゴスの道につながるのである。』



『「法」と「社交儀礼」。これらは基本的にロゴスの世界に依存する。ロゴスとは、光の下に一切を引き出して、個々の事物の同一性を確認することである。ここには、ギリシャ以来の、さらに詳しく言えばパルメニデス以来の伝統が生きているが、実は今日フランスの哲学者たちによって厳しく問いつめられているのも、この伝統なのである。 
「同一性」と「差延」。「自己同一性」と「他者」。「主体性」と「構造」。これらの対立図式は、哲学の場においては有効である。しかし、実際の政治において、またそれに立脚した生活において、フランスは相変わらず「法」」と「社交儀礼」の国である。』

 


自分も『人権』という語を意識しないといけない立場にありますが、あまりにも軽く『人権』『差別』と言われ過ぎていませんか?
福祉の世界もその言葉に、縛られすぎて、そのうち何も出来なくなり、事業者も継続できなくなっていかないか心配しています。
 下記の文章にある様に、 『例えば、人間の中の自然だよ。皮肉なことに、権利というものは人に自然に備わっているものだという考えが行き渡ると同時に、フランス人から自然さは消えたんだ』みたいなことにならないことを祈って止みません。



『法・人権・社交儀礼 (表層意識の都より)
「人権」とはへんな言葉だ。権利とか権力とか、明治のはじめに作られた言葉のなのだろうが(明治時代には「国権」とか「民権」とかいう言葉もあった)・西洋における〔right〕とか〔droit〕の意味を表しているつもりであった。しかし、漢字の「権」とは、決して〔droit〕の意味ではなく、むしろ〔power〕すなわち[pouvoir]の意味であって、権力の「権」としてはよくても、決して人権の「権」にはならないのである。
 島崎藤村は、たった一つの語でも、その意味を本当に理解するには一生かかることもあり、それにはそれだけの価値があるのだと言っている。明治時代に翻訳された西洋の諸概念には、そういう一生かかって理解するに値する語が多く、それらを理解することは、それから一世紀を経た今日でも容易ではない。私などは、「人権」と言う語を理解するのにフランスまで来ねばならなかった。 フランスはたしかに人権の国である。人権を尊重しようという姿勢の国である。フランス革命から二世紀、フランス人は人権を守ろうとすることを怠らないできた。と言うより、「人権」と言う概念自体が、彼らによって生み育てられたのである。
「人権」は、そもそも彼らの日常に行きわたった思想で、例えば親が子に「……をしてはいけない」と言うとき、〔tu n’as pas droit〕という言い方をする。これは、直訳すれば、「お前は権利を持っていない」ということで、それを聞く我々は、子供にずいぶん難しいことを言うと感じるが、それは「権利」という日本語の訳語が悪いからで、フランス人にとっては普通の表現なのである。「……をしてはいけない」というのは禁止の表現であり、日本では禁止の背後に禁忌が感知される。フランス語の〔droit〕という語には、そうした禁忌的意味合いはなく、あくまで意識的に守るべきもの、根本的な「法」にかなったもの、また言語と理性において問われるべきものとしてあるのである。一方の禁忌というものは、問われない性格のものだ。したがって、禁止されることについて「どうしていけないのか」と問うことは、原則的に許されない。他方、〔droit〕の方は、言語によって問われるものとしてあるから、ロゴスの道につながるのである。
 言語表現とともにあること、したがって、ロゴスにおいて明示されること。これが、ギリシャ以来の西洋精神であるとすれば、日本にはそれとは別の伝統があり、「表わす」よりは「隠す」ことが尊ばれてきたのである。このような伝統は、禁忌に基づく部族的社会を支えるに適したものであって、社会の全体が個という単位に解体された市民社会とは、全く相いれないものである。だから、そういう日本のような社会に、〔droit〕に相当する概念が形成されなかったのも当然で、この概念が西洋から入ってきた時、「権利」というような拙劣な訳語しか生れ出なかったのも、当然の結果なのである。
 さて、個に基づく市民社会の都たるパリは、その外形においても「法」の精神を明確化している。個に解体された社会が社会として機能するには、各市民の個の精神の中に「法〔droit〕」というものが植え付けられていなければならず、その意味ではパリは統一的な理念の典型を示しているのである。
 むろん、個々の人間に勝手に自己を表現することを許されない「法」によって縛られたフランス人は、誰よりも没個性的たらざるを得ないとも言える。よく、アメリカ人は没個性だというが、フランス人も別の意味でまたそうである。フランスは芸術の国であり、いかにも個性が尊重されているかに見えるが、それは真実に反するのであって、彼らほど個性を「野蛮」の名の下に潰しにかかる民族もいない。確かに個性を礼讃しているのだが、それは自分に欠けているものを礼讃しているのである。
 パリが外形としての「法の精神」の具現であるとは、その都市構造が法の規制によって個々の家屋建造に勝手をさせないところに特にはっきり現われている。この町が無類の調和感を与え、すっきりした印象を誰にも与えるのは、そのような没個性の精神の賜なのであり、例の〔droit〕の精神がここに生きているからである。実際、パリのどの街角も似通って見える。どのカフェも似ている。調和の精神とか美的なセンスとかいうよりも、これは「法」すなわち〔droit〕の精神のあらわれなのであり、それが都市全体の統一的美観を生むのである。
 もっとも、「法」の精神だけでは、パリの街角が持つ洗練や詩的感性は説明できない。そこにはもう一つ原則があり、その原則とは、社交儀礼にも共通する宮廷的規制であると言いたい。つまり、フランス平民は「法」の精神に基づいて貴族を倒した挙句、貴族的な何かを自分のものとして保存しようとしたために、やたらに「社交儀礼」を強調するようになったと同様、建築にも華麗な装飾を施したがるのである。
 もちろん、「法」による統一を乱し、そうした装飾的儀礼に反した建造物もある。エッフェル塔がそうであり、ポンピドゥー・センターやモンパルナス・タワーがそうである。しかしこれらが人目を惹くのも、他のすべてが「法」に服して統一されているからであり、ここにも「例外があってこそ規則は規則たり得る」という言葉が適応できるのである。


 パリに隣接する新開発地域に、ラ・デファンスがある。晴れた朝、まだ人がいないときに行ってみると、それは巨大な未来の空間で、狭くて古いパリの街並みに馴れ過ぎた目に爽快である。
 ラ・デファンスはパリの新名所で、新凱旋門を中心に現代建築の粋を結集した高層建築が居並ぶ。それらの群れは、どれ一つとっても同じ形や大きさのものはなく、いずれもアルミとガラスに輝いている。それでいて、現代建築にありがちな冷たさもなければ、オフィス街にありがちな機能主義の呪縛もない。パリ市街の建造物のような法的規制も装飾性もなく、あらゆる点でパリそのものと対照的なのである。
 だが、対照的だからといって、それが成るにまかせて出来た、成り行きの産物だということではない。そこには、また一つの幾何学が成立するのであって、エトワール広場の凱旋門と向かい合う新凱旋門が、パリ市の中心にあるルーブル宮と地理的に左右対称でありつつ、建築面では全くの非対称を形づくっているいるという、そういう幾何学的関係が成り立つのである。個というものは全体における個であるという認識が、この新開発都市にも隅々まで行き渡っている。その意味では、この現代的な都市空間もまた、伝統に忠実なのである。
 つい先日も、私は日本から来た友人を連れて、この新名所に行ってみた。新凱旋門の巨大な美に圧倒されてしばらく開いた口のふさがらなかった彼が、ついにこんなことを言う。

「いやあ、参ったな。これは、ヨーロッパの建築文明の、というより古代エジプト以来の建築文明の具現だね。パリ人というのは、いまだにこういう文明の建設を続けているんだとは、ちっとも知らなかったよ」

「国の事業か。なるほどな。しかし、民間はよく国についていくね。経済は度外視ってわけだ」

「そうフランスは経済の立て直しを民間に頼るぐらいなら、ECに力を集約させる方を選ぶだろうな。イギリス人と違って、みんな勝手だから、フランス人は」

「なるほど、上から縛らないと、何するか分からないってわけだ」

「そう。……だが、上から強制しているというわけではないんだ。君は、ルソーが『全体意志(volonté générale)』ということを言ったのを覚えているかい。つまり、個々の人間の意志を集めて、一種の総意というものが出来る。この総意こそは『法』なのであって、この『法』に対して、みんなですすんで服従するんだ」

「そりゃ、すごいな。民主主義を地でいっているじゃないか」

「いや、フランスが民主主義ってもののモデルを作ったんだよ。フランス革命ってのは一人一人の国民に権力が委譲され、国民が国家となり、個々の人が法となることを意味したんだ」

「そりゃ、偉い。なかなか出来ないよ、そんなこと」

「そう。だけど、そのために払った犠牲も大きいし、失ったものも多いと思う」

「例えば?」

「例えば、人間の中の自然だよ。皮肉なことに、権利というものは人に自然に備わっているものだという考えが行き渡ると同時に、フランス人から自然さは消えたんだ」

「ああ、だから、フランス人って、頭は良さそうだけど、感情的には冷淡に見えるんだね」

「そうだろう。自然は感情に結びつき、理性は法に結びつくからね」

「だけど、ルソーは感情を強調し、自然に帰れって言ったんだろう?」

「そこが、彼の矛盾なのさ。最大の矛盾であり、近代そのものの矛盾だろうね。近代はルソーを受け継いだ。その精神は、フランス革命を纏め上げたナポレオンに具現され、ここにおいて、法の精神に貫かれたフランス小市民なるものが誕生したんだ。彼らは、言わばナポレオンに押し潰されたとも言える。法則によってね」

「ナポレオンは、そんなに偉かったの?」

「うん。彼は独裁者であって、どうじに国民の総意(全体意志)を汲んだと考えられるんだ。つまり、絶対君主にして、同時に旧制度から人々を解放した人なんだね」

「……ところで、もしフランス人一人一人が法というものを背負っているとすれば、法がなかったら、彼らは全く孤独で、お互いの関係がなくなってしまう、ということにならないかね」

「そうとも。法は、昔の言葉では神様だよ。神様が理性になり、法になる。これが近代であり、それとともに、人間を超えた存在がなくなってしまい、人間がそれぞれ超越者にならざるを得なくなったんだ」

「なるほど。その大変さが、例えばこの新凱旋門になるわけだ。だって、どことなく、この建物、形而上的じゃないか」

「フランス人は、形而上的であるには、あまりにも民主的なんだよ。ドイツ人なら、神が死んだとなれば、超人思考に取り憑かれるだろうが……」

 友人はいつまでも新凱旋門を見上げていた。「不思議な感動があるね」と、いつまでもつぶやいていた。
 ところで、フランス人は冷たい、とよく聞く。また、フランス人は計算高いとも言われる。すると、「田舎ではそんなことはない、パリだけだよ」とフランス人の答えが返ってくる。「冷たい」という語にはネガティブな意味があるから、「クール」という言葉に置き換えたりする人もいる。知性に感情が従属し、行動が思想に服従する。それがフランス人の特色らしい。
 この彼らの特性は、例の「法」の精神の賜である。そして、「法」だけではギスギスするから、そこに「社交儀礼」をアマルガムのように填め込む。そこで、あの歯の浮くような社交辞令、しかし、それがないと、人間関係がスムーズにならないのである。
 
 そんな欺瞞的な人間関係は堪えられない、と或るブルガリアから亡命してきた学生が言っていた。「フランス人は何をそんなに恐れているのか。自分をさらけ出し、人と肌でつき合うことが、どうしてそんなに嫌なのか。何も失うものなどないくせに……」

 南欧から来た別の友人も、ほど同じことを言う。
「フランス人は全く他者というものを無視している。彼らの社交儀礼は万人向けのもので、したがって、誰に向けられたものでもない。こんなに人を馬鹿にしたものもない」

 だが、こういう意味が本当であるにしろ、フランスには別の美徳があると言っておかねばなるまい。それは、おそらくフランスだけにしかない美徳であって、彼らは他者を無視することはあっても、決して抹殺はしないということなのである。ドイツ人は、他者を無視しないかも知れないが、抹殺する危険性がある。フランス人は、その点、「法」と「社交儀礼」さえ守る限りにおいて、他者を容認するのである。
「法」と「社交儀礼」。これらは基本的にロゴスの世界に依存する。ロゴスとは、光の下に一切を引き出して、個々の事物の同一性を確認することである。ここには、ギリシャ以来の、さらに詳しく言えばパルメニデス以来の伝統が生きているが、実は今日フランスの哲学者たちによって厳しく問いつめられているのも、この伝統なのである。
「同一性」と「差延」。「自己同一性」と「他者」。「主体性」と「構造」。これらの対立図式は、哲学の場においては有効である。しかし、実際の政治において、またそれに立脚した生活において、フランスは相変わらず「法」」と「社交儀礼」の国である。