うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

『サンタ・フェ州の青年たち』(精神分析の都より)


精神分析の都』を読み終わり『表層意識の都』に入りましたが、今メインに読ませて頂いているのは『治療の行き詰まりと解釈』『フロイトを読む』で、疲れた時に大嶋仁先生の本に逃げています(笑)。どれも自分には勉強になります。
精神分析の都』も、まだまだアップさせて頂きたい箇所がありますが、最後にします。
長文になってしまったので、どうしても読んで頂きたいところだけを、切り取らせて頂きました。

『はっきり言えば、もっと個人的な目的です。僕らはかつて左翼運動に参加していた。しかし、そこには欺瞞があった。というより、社会的な問題と個人的な問題をすり替えていることに気づかずに、正義とか平等とかの観念にしがみついていたのです。そういうことで、一般市民の共感を得られるわけがなかった。自分自身でさえ半信半疑だったのだから、他人に説得できるはずなかった。そこで、じっくり反省して、出直すことにしました。そしたら、個人と社会との関係は、個人がしっかりしていない限りうまくいかなということが分かった。僕らは、そこで、個人をしっかりさせるための勉強を始めたのです。……』


『僕らの思想といえば、何よりも個人から出発するということだと思う。さっき言ったように、僕らは左翼思想にかぶれていて、精神分析などはブルジョアのやることだと思っていた。だが、いろいろ経験しているうちに、自分の内面をしっかりつかんでおくことが重要だと分かってきた。そこで、精神分析に首を突っ込んだんです。しかい、僕らは精神分析がアルゼンチンの、とくに中流階級を悪くしているということには、目をつぶりません。ブエノス・アイレスが精神分析のメッカであることはご存知でしょうけれど、我々のこんな地方の小都市でさえも、精神分析は猛威をふるっているのです。この現象は、小さな共同体にとっては決して有益なものではない。というのも、精神分析というものは、社会的連帯を認識できなくさせる危険があるし、分析を受けた人と受けていない人とに溝をつくる傾向があるからです。僕らはその欠陥を乗り越えて、ブエノスの病気がここにまで広がらないようにしたいと思った。むろん、僕らは精神分析の有益な面は保存したいと願っている。ただ、精神分析には限界があるのだから、何が何でも精神分析という、そういう傾向には反対なのです』


『彼は恥ずかしそうに笑った。だが、私の方が実はもっと恥じていた。本物の人間に出会った恥ずかしさ。〜』





サンタ・フェ州の青年たち』 精神分析の都より)
 アルゼンチンには、「神様は皆のためにいるにせよ、世話をするのはブエノス・アイレスだけ」という諺がある。誰しも、アルゼンチンといえばブエノス・アイレスと思い込んでしまうのだ。だが、アルゼンチンは広い。豊かな穀倉地帯が無限につづく。そういう穀倉地帯の若者を紹介することで、本章のしめくくりとしたい。
 紹介しようというのは、ブエノス・アイレス北の豊かな穀倉地帯、サンタ・フェスタ州の比較的小さな町、べナード・トゥエルトの青年たちである。この町は小さいながら豊かな経済力に支えられ、生活に必要なものは大体揃っている。欠けていたのは「文化」であったが、町の若者たちは遠路ブエノス・アイレスまで赴いて欲求不満を解消する代わりに、自分たちの町で文化事業を組織することを考えついたのである。
 その事業は、たとえば図書館とラジオ局の拡充。もともと財力のある町なので、寄付金を集めて図書館の充実を図り、放送設備を整えたのである。しかし、本や放送だけで文化が育つというわけではない。地元の人材は限られている。そこで、毎週一人ずつブエノス・アイレスから知識人を呼んで、講演会を開くことにした。様々な分野の一流の知識人が毎週この穀倉地帯を訪れる。土地の若者たちと、親密な交流を図る。それは、単に地方の町の文化の質を高めるという目的だけでなく、首都にいて、ともすれば地方の生活を忘れがちな知識人に、アルゼンチンという国の全体的な認識を促すという目的をも満たそうというものだ。


 私がベナード・トゥエルトの町を訪れたのは、冬のことであった。夜中の一時にバスの乗り、着いたのは朝の八時。途中、暗い闇のなかに見え隠れする草原が、夢か現か分からなかったのを覚えている。
 寒風吹きすさぶ停車場には、二人の若者が出迎えに来ていた。フェルナンドとパブロ。二人はさっそく待ちの真ん中にあるカフェに案内し、コーヒーを喫みながらの意見交換が始まった。

「君たちは、結局のところ、地方文化の育成が目的なんだ?」と私が尋ねる。すると、色の浅黒い、目の大きな、髭もじゃの青年パブロが答えた。

「はっきり言えば、もっと個人的な目的です。僕らはかつて左翼運動に参加していた。しかし、そこには欺瞞があった。というより、社会的な問題と個人的な問題をすり替えていることに気づかずに、正義とか平等とかの観念にしがみついていたのです。そういうことで、一般市民の共感を得られるわけがなかった。自分自身でさえ半信半疑だったのだから、他人に説得できるはずなかった。そこで、じっくり反省して、出直すことにしました。そしたら、個人と社会との関係は、個人がしっかりしていない限りうまくいかなということが分かった。僕らは、そこで、個人をしっかりさせるための勉強を始めたのです。……その勉強が、段々周囲の人にもアピールするようになったのでしょう。若い連中が次々に集まって来た。それで、図書館の拡充や講演会なども計画するようになったんです。……大体、そんなところが僕らのいきさつだと思うけど、フェルナンド、何か付け足すこと、あるかい」

すると、小柄のフェルナンドが答えた。かれはまだ二十代なのに、図書館長だそうである。

「そうね、付け足すとすれば、僕らは気楽な気持ちでやっているということだろうな。大体、僕らは文化事業をやっているというより、自分が楽しむためにやっていると言っていい。皆、好きでやっているんです。僕らは大体ブエノス・アイレスを知っている。良いところも悪いところも。他方、自分たちのこの町にもそれなりの魅力があると感じている。この町では、文化的なことを無理な背伸びをせずに、楽しみつつ消化できるようにしたいと思った。文化というものが、町の人々にとって『高嶺の花』だと思われては困る。それで、我が図書館専属のサッカーチームを作ったり、ブエノスから歌手や俳優を呼んで、料理を作ってもらって町の人々と一緒に食べるとか、そういうこともやっているんですよ。知的なものだけが文化じゃないし、何よりも楽しむことが大切ですから」

「で、その資金はどこから出るの?」

フェルナンドが答える「この地方はアルゼンチンでも最も豊かな地域で、土地の人は金をもっているが、何に使っていいか分からない。それで、新しく面白い案を出せば、案外簡単に乗ってくれて金は集まるんですよ」

 ここへ来るまで、私はこの青年文化団体のことを話しに聞いていただけであった。それで、頭のなかには「真面目だが素朴過ぎる青年集団」という固定観念が育ち、彼らと会って話すことにあまり期待が持てないでいた。しかし、実際の彼らは率直で元気なばかりではなく、知的にもかなり成熟しているように見えた。私は嬉しくなって、彼らがどんな思想で行動しているのか、もう少し突っ込んで聞いてみることにした。

「いきさつは分かったけど、哲学というとか、そういうものはあるのかな?」

パブロが大きな目をきらりと輝かせて、答えてくれる。
「僕らの思想といえば、何よりも個人から出発するということだと思う。さっき言ったように、僕らは左翼思想にかぶれていて、精神分析などはブルジョアのやることだと思っていた。だが、いろいろ経験しているうちに、自分の内面をしっかりつかんでおくことが重要だと分かってきた。そこで、精神分析に首を突っ込んだんです。しかい、僕らは精神分析がアルゼンチンの、とくに中流階級を悪くしているということには、目をつぶりません。ブエノス・アイレスが精神分析のメッカであることはご存知でしょうけれど、我々のこんな地方の小都市でさえも、精神分析は猛威をふるっているのです。この現象は、小さな共同体にとっては決して有益なものではない。というのも、精神分析というものは、社会的連帯を認識できなくさせる危険があるし、分析を受けた人と受けていない人とに溝をつくる傾向があるからです。僕らはその欠陥を乗り越えて、ブエノスの病気がここにまで広がらないようにしたいと思った。むろん、僕らは精神分析の有益な面は保存したいと願っている。ただ、精神分析には限界があるのだから、何が何でも精神分析という、そういう傾向には反対なのです」

「なるほど、そこまで精神分析が浸透しているとは、予想してなかったよ。……ところで、さっき君が言っていた左翼運動の失敗と、精神分析万能主義への批判と、この二つはどう結びつくのかな?」

パブロはじっくり考えながら答えた。
「それは、つまり、左翼運動が社会意識のみに集中して、個人の中身を吟味しなかった点で失敗だとすると、精神分析ではその正反対に、個人の中身ばかりを吟味して、一向に社会意識が育たない点で失敗だったということなんです。これら二つにはいわば同根の病気で、僕らが目指すのはこの二つを中和して、個人と社会のバランスを確保することだと言ってよいと思う」

 わたしはそのとき、このサンタ・フェスタ州の青年の見方にはブエノス・アイレスの人にはない新鮮な感覚があり、まるで戸外の空気を吸うような爽快さがあると思った。一言一言に、実感がるのだ。
 すると、童顔のフェルナンドがパブロを補足した。
「僕らが主に勉強したのは、マルクスとフロムを批判的に継承した人々でした。たとえば、フロムとかマルクーゼとか。……日本でも、そうした思想家は知られているのですか?」
「そうね、大分前に青年がよく読んだ思想家にフロムとかマルクーゼとかもあったと思うけど、最近ではその人たちはもう人気がないようだね。西欧の流行を追う今の日本では、ポスト・モダニズムの思想がよく売れているんだよ。……売れているという言い方をしたのは、日本では思想はついに売り物になったのでね」

 そのとき一瞬、人口過密で、一人一人の人間が蟻にしか見えなくなるような東京の雑踏が、現代日本の思想状況の具体的なイメージとして私の脳裏に蘇った。有り余るほど広大で豊かな草原のこの小さな町で、この異様な感慨をどう表現したらよいのだろう。私は何を言ってよいか分からず、ため息をついた。

「思想が売り物に!」パブロが体を乗り出して、もっと知りたそうな顔をした。「うん。モードなんだよ。洋服といっしょさ。モードは心を隠す。その隠すところが現代的でいいという評価なんだ。……分かるかな」

「信じられない、という意味で分かります」フェルナンドは驚嘆と憧れをこめて笑った。

 一方のパブロはますます真剣な表情になって、質問をつづけた。
「そういう倒錯した価値観は抑圧の極致じゃないのかな?性の否定につながるんじゃないですか、そういう発想は」

「……つながるだろうね。しかし、誰も君のようには見ていないんだ。君みたいに見ること自体、流行遅れってことになるんだろうな」

「それは苦しい。……心には誰にも傷があるだろうに、それをもう誰も見たくない、触りたくない、忘れたいってことですか。……どうして、誰も気づきたがらないんだろう。……もしかしたら、みんなの心に空洞があって、もう痛みを感じることすらできないんですか?」
パブロは想像力をはたらかせて考えているようだった。あたかも自分のことで悩んでいるかのようだったので、私の胸までが痛んだ。

「そうかも知れない。……ポスト・モダニズムは脱歴史主義だけど、日本でポスト・モダニズムが受けるのも、もともと歴史を尊重する土壌がないからかも知れない。敗戦のことを終戦と言い換えたり、一事が万事、歴史の否認または忘却なんだ。あたかも何も起こらなかったかのごとく生きよ、然らばずんば死ねってわけさ」

 パブロは驚くどころか、ますます神妙な顔をした。そして、つぶやくようにこう付け加えた。
「なるほど、そうだったのか。そうやって、毎日の生に死を調合しているわけですね。……それも分かる気がするな。僕だって、歴史というものは重荷であるし、一種の虚構だとも思っています。だけど、やっぱり過去を忘却のなかに葬り去るわけにはいかないんだ。したくても、そんなことできませんよ。もしそれが日本人にできるなら、ある意味で幸せじゃありませんか」

 私はパブロの胸のふるえを聞くような気がした。そして、フェルナンドが居たことを、ほとんど忘れてしまっていた。

「聞いてて思ったんですが」と、今まで黙っていたフェルナンドが言葉をはさむ

「日本人が歴史を尊重していないってことは、子供時代が幸福だということを意味するんではないんですか?普通は、子供時代の心の傷が歴史意識の母胎になるわけでしょう?子供時代が幸福だと、いつまでも夢見ることが可能だと、何かで読んだことがある」

 私は、また考えさせられた。のんびりした気分で、地方都市を見て回ろうと思って来たのに、最初から大変な議論になってしまったものだと思った。だが、こういう議論、自分の経験とか生き方とかを全部賭けなくてはできないような議論は、漠然ながら私が求めているものでもあったのだ。
「フェルナンド、君の言っていることは分かるけれど、問題は、幸福な子供時代が幸福な大人の生活を保障しないことだよ。とくに、現代の世界では、それが不可能に近いんだ。僕だって、歴史は近代西欧の神話に違いないと思うし、それぞれの民族は歴史について独自の程度決定をする権利があると思っている。でも、現実には世界の大勢というものがあって、それに対応しなくてはならないんだ。いつまでも、子供のように夢を見ては居られないんだよ」
 
 すると、パブロが反対意見を表明した。
「それはきついな、思想がモードとか商品になってしまうことは今の自分には堪えられないけど、歴史のイデオロギーは嘘ばかりで、これはもっと堪えられない。今あなたは世界の大勢と言ったけど、その大勢は誰がつくってるんですか?アメリカとか、先進国とか、ソビエトでないのですか?……僕は、人間は大人にならなくちゃいけないという考え自体に疑問を感ずる……」

 パブロの言う立場と私の立場は、見かけほど正反対ではないように思った。というより私自身が、時にパブロ的な立場に傾くことがあるのだ。それで、やっと次のように釈明した。
「この問題について、僕自身分からないんだ。今聞きながら思ったんだけど、僕は歴史とか近代化ということについて、アンビヴァレントな感情を持っているんだよ。

 今度はフェルナンドからため息が漏れた。
「それにしても、何という違いだろう。思想を生活のなかでどう表現しようかと僕らは考えているのに、思想がモードとなって売れるなんて……。後進国の特権かな、僕らがいろいろなことをやってられるのは」

私はうなずきながら、日本のいそがし過ぎる現状を思い起こした。フェルナンドがつづけた。

「でも、日本は本当に先進国なのかな。アルゼンチンは後進国とは違う。学校時代に地理で習ったんだけど、世界には先進国と後進国、それにアルゼンチンと日本があるって。どう思いますか?」

 この質問は予想外だった。自分のいつの間にか、アルゼンチンを後進国、日本を先進国というふうに図式的に見ていたからだ。考えてみれば、アルゼンチンと日本は地球の上で対極をなしていて、どちらも規格はずれの国である。アルゼンチンは後進国と呼ばれるには、あまりにも西洋である。日本は先進国と呼ばれるにはあまりに非西洋である。両者には、自己の地位を規定できないもどかしさというものが、共通項としてあった。
私がフェルナンドの質問に答えようとして考えていると、パブロがじっと私の顔をのぞき込みながら、声の調子を落として、しかし、きっぱり言った。

「先進国とか後進国とか、どうでもいいことです。僕に関心があるのはあなたという人であって、日本でもアルゼンチンでもない」

 私はこの言葉に、一瞬たじろいだ。だが、ここでたじろぐ自体が、パブロに対する背信ではないかとすぐに感じた。それで、こちらも彼をじっと見据えて、答えた。
「パブロ、君という人はずいぶん人を大切にするんだね。君は人間に渇いているみたいだ」

パブロはじっとこちらを見つめたまま、
「僕にとっては、人間以外のものは価値がない。そんなに草原が美しくても、どんなに孤独でいたいときでも、僕には人間という存在が必要だ。僕は、きっとたいていの人より、他人に求めることが多いんだろうと思う。ただの付き合いや、ただの話し合いは、僕にはなじめないんです。僕は、人と出会ったら、その人の芯に触れなくちゃいられない性格なんです。もちろん、自分のも触れさせる。触れてもらいたいと思う」

 そのとき、急に私は、このパブロが大草原のなかで孤独に立ちすくむ姿を想像した。なにかに裏切られたやさしい感情、荒々しい力で真実をもぎ取ってやろうという逞しい意志、……そうしたものがこの青年全身に感じられ、大草原(パンパ)の伝説的牛追い男(ガウチョ)を連想させた。

「パブロ、君はどんな仕事をしてるの?」

「農具の販売です。一週間も十日も家を空けて、車で町から町を回る。つらい仕事だ。てのは、僕は自分の町、自分の土地、自分の家族がすきだから……。でも、たった一人でパンパを歩くのも、それも悪くないけど……」

私は彼が独りでパンパを横断する姿を思い浮かべ、それが彼にふさわしく思われた。

「人間に渇いている……。その通りですよ」

彼は恥ずかしそうに笑った。だが、私の方が実はもっと恥じていた。本物の人間に出会った恥ずかしさ。〜







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