うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

歌舞伎町と、児童分析から精神分析へ ウィニコット臨床論文集2



 年末年始に、お休みを頂くのは、何年ぶりでしょうか?
 思いきって、東京に来ました。
こんなことができるのも、本当に皆様のご理解・ご協力があってのこととなので、感謝しかありません。

 



 取り敢えず、一年間の労を労いながらビールと餃子で締めます。(笑)



 本は、少し調べたくて、ウィニコットを開いて見たら、読み込んでいまいました。

 まあ、年末ということで、お手柔らかにしました。(  ̄ー ̄)ノ(笑)
 





児童分析から精神分析 
ウィニコット臨床論文集2
D.W.ウィニコット著 北山修監訳

 監訳者まえがき
 〜さらに、「現実感がない」「自分がない」という主体の存在に関わる体験にすでに40年も前から目を向けていた、という彼の視線の現代臨床に通じる確かさを挙げねばならない。今や脱工業化、そして情報化社会となり、けだるい雰囲気のなかで遊びと余裕という文字が撒き散らされる一方、それを楽しむための主体の存在感と現実感のほうが希薄になりつつあるという事実を、彼は優しく先取りしていたのである。また、この時期のウィニコットは、常に論文を通してメラニー・クラインと対話しており、その対話のなかから現在見られるような場所、つまり皆と関わりながらも孤立しているというような場所を発見するまでの移行の過程を、本論文集では観察できる。その意味で、本書の「躁的防衛」(第1章)「正常、情緒発達における抑うつポジション」(第8章)は、慎重さと大胆さを合わせ持つウィニコットの言葉はさらに一層光を放ち始めた。「本当の自己」が「発達促進的環境」のなかで「遊ぶこと」を論じて、今も地上に多くの花や草木を育てつつある。しかし、その流れのなかのさまざまな事象の有機的連関をしらないまま、ウィニコットの著作に本書を通して初めて接するような人には、言葉の連なりをただ見上げるしかなくはかなり難解な内容と映るであろう。
 当時ウィニコットの考えに接触した人は、多くがこの論文集のものからウィニコット世界に入っていったのあるから、読者がこの論文集でウィニコットに入門書することは理にかなっている。そして、彼の逆説に満ちた言い回しは、錯覚に満ちた創造的な誤読によって「秒単位から駒」のような発想を、読者に可能にするかもしれない。〜

〜このような用語と読み方の問題以外に、ウィニコットを解く鍵はもう一つある。環境により主体の存立が決定される、と彼が言うように、彼自身がおかれていた環境こそが、ここに書かれていることを大いに決定していたという側面がある。実は、本論文集に掲載された論文が執筆された時期、彼を取り囲む環境はけっして安定していたとは言えないし、何重にも「反応」を要求するものだったのである。第1に、第二次世界大戦をはさんで、彼の臨床現場には環境の変動に振りまわされる子どもたちがあふれていた。さらに、英国精神異常学会を二分したクラインのアンナ・フロイトとの論争は、1942年から1944年にかけてピークに達していた。そして私的には、オペラ歌手で精神科できるな病を患った夫人と1949年に離婚し、1951年にクレアフロイトと再婚している。
 これらの環境因子と人間環境を抜きにして、ウィニコット的なウィニコット理解はありえないだろう。〜

〜推測にしかすぎないが、スーパーバイザーであるクラインが一時期うつ病に悩まされていたこと、ウィニコットが飲用する患者の症例で患児の母親がうつ病を患っていることが多いという可能性(たとえば本臨床論文集1第7章)は環境いつも独自の世界を生きる彼と字画しようとスーパー大丈夫関係を示唆している。さらに、母性の可能性について賛歌と言えるくらいまで重視する彼が発達理論的と、これに並行する父性の不在は環境精神分析理論の深まりを示しておりましたさらには時代を色濃く反映しながらも、フロイト精神分析に対する彼のエディプス・コンプレックスの現れであろう。〜