うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ストレッチと、舌とことばtongue and lang(『からだを読む』より)


 夜勤明け、用事を済ませて帰宅したら、ねこさんが、。気持ちよさそうに寝ていました。一日の大半は寝ています.....。羨ましいですが、自分は若い時から眠りが浅く、休日でも普段通り起床していました(笑)。どうしたらあんなに眠れるのでしょうか?


 今日は、大家さんに、ストレッチの指導をお願いしました!
最初は皆さん緊張されていましたが。

 段々普段通り、味が出て来ました!

 おっちゃんも最初の方は、一緒にやらせて頂きましたが、背中が張っているのが感じられたり、足がつったり(笑)静かな動きなのに、芯には効いていました。

 30分間お疲れ様でした!
毎週水曜日にストレッチをお願いしたいと、親分が言っていましたので、宜しくお願い致します!次回はおっちゃんも頑張りたいと思います。


 『からだを読む』は一気に読ませて頂きました。
自分が引っかかった箇所だけアップさせて頂きますが、やはり自分は右脳人間では?と確信しかけました(笑)
『われわれの脳は、しばしばこうした、必然でない機能を持つらしいのである。』余裕に繋がるのでしょうか?余裕がない人はこの辺が少ないのでしょうか?最後に深い言葉がありました。
 次回からは『フロイトを読む』になります(笑)

舌とことばtongue and lang
ことば
 舌の大切なはたらきは、食べるほかにもうひとつある。それはおしゃべりである。いくつかの言語では、舌と言語は同じ単語だという。「舌切り雀」は、残酷だというので、近ごろは子ども用には、はやらないらしい。ともあれ、「舌を切る」ことは、「しゃべらさない」ことを意味している。

口をきくときに、われわれはしばしば舌を動かす。もちろん舌だけではない。まず第1に、声帯がはたらかなくてはならない。左右の声帯のあいだを空気が通るわけだから、息を吐く必要もある。これももちろん、筋肉の作用である。ことばによっては、そのほかに、頬や唇、舌や喉頭のさまざまな筋肉が動員される。それを秩序立てて考えようとすると頭が痛くなる。なまじどんな筋肉があるか、それを私はいくらか知っているから、話がかえって面倒になる。知らなければ、毎日平気でおしゃべりをしている。どの筋肉をどう動かすのか、しゃべりながらうっかりそんなことを考えたら、とたんに舌がもつれる。
 舌であれ、どこであれ、日常的な運動は、そういう具合に「自動化」されている。そのプロセスをいちいち意識的に考えていたら、うまく動けない。自転車に乗るのだって泳ぐのだって、いったんできるようになれば、あとは考えてやっているわけではない。スキーもそうだが、子どもが楽々と滑っている。こういうことは考える必要はない。やって、「身につければ」いいのである。
 だから逆に運動の解析はむずかしい。ふだん何気なくやっていることを、理屈に変える。考えてみれば、本当にムダな作業である。しかし理屈に変えないと、変なことが起こっているらしいときに、その変なことのどこが変か、それが理解できない。だから医者は、正常の身体のはたらきを理屈にしようとする。そうすれば異常の説明ができる。そう考えるわけである。


ことば・音楽・脳
 ことばはふつうの人では、左の脳で処理される。それに対して、音楽は右の脳だと言われる。しかし、右の脳も、左の脳も、本質的には類似しているはずである。
 わらわれの身体は、本来は左右対称にできているからである。それなら、ことばをしゃべるために、左脳に特定の場所があるとすれば、右脳の同じ場所は、いったいなにをしているのか。
 それは音楽だ、というのが、一つの答えである。すでに述べたように、しゃべることと、音楽の演奏は、主観的にはきわめて違うものであっても、客観的にはよく似ている。両者ともに、きわめて微妙な筋肉運動を駆使して、正しい音を出すものなのである。それなら、そうした筋肉運動を司る部分は、よく似た部分であってもよい。だから、左脳にある、ことばという「運動」を司る部分は、右脳で言えば音楽の演奏を司る部分である。そういう示唆ができる。
 左脳にある、ことばという運動を司る部分を、ブローカーの運動性言語中枢という。右脳の対応する部分には、名前がついていない。それは当然のことで、人類の大部分は、楽器の演奏家ではないからである。しかし、ともかく右脳のその部分は、音楽を演奏するのに必要な部分らしいのである。
 でも、言葉が使えても音楽の演奏が、かならずできるというわけではない。それなら、左脳は右脳よりも偉いのか。偉いかどうかはともかくとしても、ことばは必要だが、音楽の演奏は、必要ではないようなきがするのだが。
 そういう疑問が生じないだろうか。そこが脳の興味深いところである。もし動物が、疑問を発すことができたとすれば、なぜヒトはことばを発するか、と尋ねるかもしれない。動物が生きていくためには、ことばは必然ではない。一部の人にとって、音楽は同じく必然ではないであろう。われわれの脳は、しばしばこうした、必然でない機能を持つらしいのである。