うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

狙われたギター(笑)と、エディプス・コンプレックスの復習


 文化祭の打ち合わせの電話で、フィンランド製のギターを譲って欲しいと言われました(笑)ブランド品ではないので、楽器屋さんも破格値で売っていたのでしょうね。
 4万円にしたら本当にいい買い物でした。ほぼ毎日触っているんでとお断りさせて頂きましたが、飽きたらとのこと.......。楽器を手放したのは、京都を出て病気になり、手術するお金がなかったので、オールドのES-335とギブソンのJ-45のf穴の二つを売った(二台で30万円ほどでした)だけなので、余程困窮しないと一度買った楽器は売りたくないですね。
 

 夜勤前、事務仕事や自分の勉強をしていました。
うたたねに書類を取りに行ったら、ちょうど大工さんがスロープが破損した箇所を見に来て下さっていて、寸法を測ってくれていました。直ぐに動いて下さるので本当に助かります。


 エディプス・コンプレックスに入ったので、またもや自分の復習の為にアップしました。


『性理論のための三篇』
フロイトの概念の継時的発展》
エディプス・コンプレックス:発見の連続的諸段階
 エディプス・コンプレックスという観念は、1905年の「性理論のための三篇」の初版では、まだそのものとしては現れず、後の付加でのみみられるとはいえ、その主要な段階をここで辿ってみたい。但しこの着想は、彼の全仕事を通して徐々に形成されてきたものであり、エディプス・コンプレックスのみを扱ったフロイトの論文はない。
 フロイトの大きな発見であるエディプス・コンプレックスは、子どもの発達の中で現われ、心的生活を組織化する中心となり、その周りに個人の性的同一性が構造化される。フロイトにとってこのコンプレックスは、『三篇』の中で明言しているように、普遍的なものである。「人間として新たに生まれてきた者は誰であれ、エディプス・コンプレックスを克服しなければならないという課題をもつ」(1905d:226、岩波6:291,1920年付加の脚注14)。しかもエディプス・コンプレックスが関わるのは正常な発達のみでなく、それは精神病理の核心にも存在し、「神経症の核コンプレックス」を形成している。

単純な(または陽性の)形のコンプレックス
 フロイトが、幼児期に経験した母親に対する愛と父親への嫉妬心を認識して、この感情の葛藤をエディプス神話に結びつけるようになったのは、自己分析の間である。「私は自分自身の場合でも、自分の母親に向かう情愛感情と父親に向かう嫉妬心がある[という現象]に、気がついた。私は、今、それが早期幼児期に普遍的なできごとであると考える[……]もし、このとおりであれば、『エディプス王』の物語が、人をひきつける力のある理由が、理解できる(フロイトからフリースへの手紙1897年10月15日)。この主題は、『夢解釈』の中でも再び取り上げている。「父ライオスを打ち殺し、母イオカステをめとったエディプス王は、われわれの幼年期の欲望成就の姿である」(1900a:262,岩波4:341)。その後の年月の間にフロイトは、1905年の症例「ドーラ」や1909年の「少年ハンス」のような臨床研究の中で、絶えずエディプス・コンプレックスの着想に言及した。だが、「エディプス・コンプレックス」の着想がそのものとして初めて登場するのは、1910年の「男性における対象選択のある特殊な類型について」(1910h)においてである。「コンプレックス」という用語は、ユングJungに由来している。
 初めフロイトは、単純な形式のエディプス・コンプレックス(陽性あるいは表エディプス・コンプレックスともいわれる)を発見し、男の子の精神・性的発達の過程で起こるものであるその展開を叙述する。男児の最初の愛着対象は母親であり、独占的に所有したいと欲する。しかし3歳から5歳までに母親に対して感じる愛情は、父親とのライバル関係の中に男児を引き込み、男児は父親に憎しみを抱きはじめる。男児は母親に対して感じている近親姦的欲望と父親への憎しみのゆえに、父親が自分を去勢つまり自分のペニスを奪うのではないかと恐れる。この去勢の脅威によって引き起こされる不安の効果のもと、男児は母親への近親姦的な性的欲望の実現を放棄することになり、潜伏期に入る。
 フロイトははじめ、男児の精神・性的発達と女児の性的発達の間には、完全な対称性があり、男児は母親に対して愛情を抱き父親を憎むのと同様に、女児も父親に対して愛情を抱き母親を憎むと考えていた。しかしその後、彼は女児が通る道と男児のそれは違うと実感した。
 1913年、『トテームとタブー』でフロイトは、エディプス・コンプレックスの普遍的性格と、そして特に、それが各人のパーソナリティー形成で果たす構造化の役割を説明しようとしている。彼は、息子たちが原始部族の父を、その独り占めになっていた女たちを勝ち取ろうと欲して殺害したという仮説を進めて、それに応えようとする。フロイトによれば、この原犯罪は系統発生という道を通って世代から世代へと引き継がれ、この最初の殺害に結びついた罪責意識はどの人にも、エディプス・コンプレックスという形で再び現れるであろう。

完全な形のエディプス・コンプレックス
 何年にも前に、フロイトは『自我とエス』(1923b)で、要請(あるいは表)エディプス・コンプレックスの着想に、陰性(あるいは裏)エディプス・コンプレックスのそれを加えた。それは、あらゆる個人に幼児期以来、身体的・心的な両性的体質が存在していることに基づく着想である。要請エディプス・コンプレックスでは、男児は母親と結婚して父親を殺すことを望むのに、陰性あるいはうらコンプレックスでは、男児は父親と結婚することを望み母親をライバルに感じて排除しようとする。男児がライバルと同一化して父親「のように」なることを欲するエディプス・コンプレックスの陽性形とは逆に、コンプレックスの陰性あるいは裏の形では、同一化への退行という方法で、母親「である」ことを欲する。フロイトによれば、そうした同一化は対象への愛の最早期の形を構成する。男児が父親に向けて経験する受動的な女性的欲望は、母親への異性愛の欲望もライバルの親への男性的同一化の欲望も、男児に放棄させる。それはフロイトが、1911年に「シュレーバー控訴院長」の、そして1918年に「狼男」の症例研究で示していることである。フロイトの眼には、どちらの形のエディプス・コンプレックスも各個人の心的組織に共存しているので、完全なエディプス・コンプレックスには、4人の人間が含まれる。すなわち、一方には父親と母親、もう一方には、どの人間存在も固有の「心的両性性」に基づいた、子供(男児でも女児でも)の男性的でも女性的でもある素質である。これら2つの性向の比率は変化するものであり、個人の性的同一性は、2つの性向に一方が他方より勝っているかで決まる。いわゆる正常な精神・心的発達は、陰性エディプス・コンプレックスに対して要請エディプス・コンプレックスが優位であることの帰結なのである。
 1923年、「幼児期の性器的編成」(1923e)でフロイトは、1915年の『三篇』の改訂版で導入していた口唇期・肛門期そして性器期に、第4の前性器期の段階「男根期」を加える。以後彼は、子供の精神・性的発達は本質的に、決定的な性源域としてのペニスの優位性と、対象関係の領域でのエディプス・コンプレックスとを中心としていると考えていく。又彼はこの試論の中で、エディプス・コンプレックスが3歳から5歳の間つまり男根期に頂点を迎えると明確化する。それは異性の親に対する性的欲望が最も激しく、去勢不安が最も強い時期である。
 1924年、「エディプス・コンプレックスの没落」(1924d)でフロイトは、エディプス・コンプレックスが「没落」、あるいは「消失」するさまを記述する。しかしながら、論文の題名から考えられるのとは逆に、消失するのは3歳から5歳の子供に実にはっきりと観察される、エディプス葛藤である。だが厳密な意味でのエディプス状況は、いわゆる「コンプレックス」という着想に結ぶついた病因的特徴を失って、個人の心的生活を組織化する中心として無意識の中に残している。
 1925年、フロイトは「解剖学的な性差の若干の心的帰結」(1925j)と題された論文で、女児の性的発達についての記述を見直す。その時までに彼は、男児と女児が人生の出発点では母親という同じ対象を持っていても、その後の女児の発達は男児のものと異なることを理解するようになっていた。事実、女児は対象を変えて、母親に対する愛を父親への愛に移らざるをえない。にもかかわらず、私たちが後でフロイロノ女性性についての考えに関して検討するように、彼は、女児の精神・性的発達がペニス羨望の支配下に行われ、父親から子供を欲することがペニスの代わりとなると考え続ける。フロイト派、「男根一元論」の名で知られる彼の理論に対して忠実であり続けるであろう。これは幼児による一つの性理論に対する愛着の残りと考えることができる。最後に、「女性の性について」(1931b)と題された論文の中で彼は、女児の母親に対する早期の結びつきと、女児にとって対象の変更つまり精神・性的な発達の過程で母親から父親へと移ることに由来する困難とに彼が与える重要性を、確認することになる。