うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

きたやま おさむ先生の講演会と、世界お茶まつり(秋の祭典)と、ダージリン・ファースト・フラッシュと、「今日の臨床における『夢解釈』


 受診後、親分の所用で浜松に行ったら、こんなチラシがありました。
写りがめちゃくちゃ悪い(笑)

お茶まつりの方は、静岡市に行った時にポスターを見かけましたが、きたやま先生の方は初めて見たので、行きたいなと思いましたが、カーグの日でした(笑)まあ、土日は色んな催事がありますが、中々行けません......。
 田原市のお茶会に今年こそ行くぞ!と思っていましたが、しっかりと予定が入ってました......。


帰宅後、ネットのニュースを見ていたら、お茶関係のニュースが出ていましたが、自分が毎朝飲んでいる、100パック500円の紅茶でも効果があるのでしょうか?
今日、浜松でいただいた、ダージリン・ファースト・フラッシュなら効果がありそうですね!美味しかったです!でも今が旬なのでしょうか?
フレッシュな味がしていましたが。

紅茶成分でノロ消毒=作用発見、商品化目指す―静岡県時事通信 10月6日(木)19時7分配信  静岡県は6日、紅茶に含まれるポリフェノールの一種「テアフラビン類」に、ノロウイルスを消毒する作用があることを世界で初めて発見したと発表した。県内の企業と連携し、植物由来で体に優しい消毒剤の商品化を目指す。

 テアフラビン類は、紅茶の赤色のもとになる色素で、茶葉の発酵過程で生成される。

 県環境衛生科学研究所はマウスとネコ、ブタの細胞に、人のノロウイルスに近いウイルスとテアフラビン類を混ぜた液を与える実験を行い、ウイルスが細胞に入り込むのを防ぐ作用を発見した。実験に使った3種のウイルスの感染力を約1000分の1に低減できたという。 

 ノロウイルスは感染力が強く、次亜塩素酸ナトリウムや加熱が有効な消毒方法とされるが、金属が腐食したり、手指に使用できなかったりするといった問題点があった。県は、より安全な予防法の開発が新たな産業につながるとして研究を進めていた。

 同研究所の小和田和宏医薬食品部長は「静岡県名産の茶葉を使い、人に優しい消毒剤を作りたい」と話した。



 


 受診の待ち時間に『フロイトを読む』を少しだけ読ませて頂きましたが、難しいですね....。

 断片的に、断層のように頭に入っていくのが分かります。



●夢は無意識的な欲望の成就である フロイトの2つ目の中心命題は、『夢解釈』で既に提起されていた「夢はある(抑え込まれたり、抑圧されたりした)欲望の(偽装された)成就である」(1900a:160、岩波4:214)という主張に含まれている。この見地からすると、欲望の成就が既に実現したものとしてはっきりと現れている平明な夢がある。これは子供の夢に典型的で、大人の夢ではより珍しい。フロイトは、もはや古典的な、前日に食べることを許されなかったいちごの夢を見た小さな女の子や、籠一杯分のさくらんぼをもらって小さな男の子の夢の例をあげている。「この子は、夢の前日、小さな籠入りのさくらんぼを、叔父さんにプレゼントとして差し出さねばならず、むろん自分はほんのちょっと味見するしか許されなかった。夢から目覚めたあと、この子はさも嬉しそうにこう言った。『ヘ(ル)マン、さくらんぼはぜんぶ食べちゃった!』と」(1901a:644,岩波6:327)。しかし、多くの場合、夢内容は一貫せず意味がないように見える。結果として、欲望成就は偽装されている。その場合、夢の仕事は夢の思考の意味を再び見出すために逆の操作を行うのは、分析の仕事となる。
フロイトを読む』より
精神分析の発見 (1895-1910)
『夢解釈』
フロイト以後》
今日の臨床における『夢解釈』
『夢解釈』はフロイト以後、膨大な量の精神分析的・非精神分析的な出版物を生み出し、今なお生んでいる。それは多すぎて、私がここで報告できないほどである。しかしながら、それらの豊富さと多様さにもかかわらず、夢についてのフロイト以後の寄与は決してフロイトの根本的な著作を二級品へと格下げしなかった。A,グリーンは「フロイトのあらゆる発見の中で、夢はおそらく『夢解釈』以降この分野を探究した精神分析者の仕事がごく僅かでしかないものであろう」(1972:179)と指摘している。精神分析者に将来なる者たちに解釈の方法を教えるときに、最初に頼るのがこの本であることは本当である。そしてそれは歴史的な理由からよりも、この本がその問いについての概観を提出する、今日なお唯一の比類ない著作だからである。しかしながら、著作物全般の中で、私はここでEシャープSharpeの『夢分析』に触れておきたい。それは1937年に出版されたにもかかわらず、現代性を失っていない精神分析的治療における夢の解釈への入門書となっている。全般的な射程を持った著作は数少なく、夢の解釈についてのフロイト以後の寄与は、大部分が理論と技法の部分的側面に関わり、雑誌の論文という形で見られる。とはいえ、いくつかの非常に重要な論文は、Essential Papers on Dreams(Lansky 1992).The Dream Discourse Today(Flanders 1993),Dreaming and Thmkng(Perelburg2000)といった論文集に再録されている。こうしたアソロジーは、現代精神分析のさまざまな学派に由来する精神分析者たちの観点を反映している。
 それでも、フロイト以後の夢についての仕事総体を振り返って見ると、最近の3,4年間に出版された夢の分析に関係のある精神分析的著作は、相対的に乏しいことが認められる。フランダースFlanders(1993)によれば、この変遷は、「技法が徐々に変化したためである。1920年代や1930年代には、初期の精神分析者たちは患者の夢の分析を特別視する傾向があったが、1950年代以降、転移の分析をますます重視するようになった。フランダースはこの変遷を、「転移は患者の情動的・心的生活を理解するための王道となった」(1993:13)、と手際よく要約している。夢に捧げられた理論的な出版物の数が減っているにもかかわらず、夢の解釈が精神分析的実践において全く同じ価値を保持しているのを確認するのは楽しいことである。それは、今日発表されている臨床例のほとんどが、患者が報告する1つかそれ以上の夢の分析によって例証されていることに表れている。