うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

彼岸花と、100年を経たヒステリー


 今日はお彼岸の中日ですね。
彼岸花を頂いてきて、仕事場の神さんに供えました。
大雨の後だったので、花もビシャビシャでした。
 本当に一年が早く過ぎて行きますね.......。

 久しぶりに(インフルエンザや疥癬、骨折のため外出できませんでした)義母と浜松にうなぎを食べに(ご馳走してもらいに)行きました。

 嚥下が大分悪くなっていて、離乳食のお粥を持ち込みさせて頂き、蒲焼だけ注文させていただきました。
顔色は良かったので安心ですが、いつまでこのような外出が出来るのか?と涼しくなってきたので、少しだけ感傷的になりました。
 肺にがんが見つかってどれくらい経つでしょうか?若い人は進行が早いようですが、年齢のせいか?進行がゆっくりです。

 そんな中でも、本は読ませていただいていて、『患者から学ぶ』を読ませていただいていますが、『フロイトを読む』も時々読ませていただき、息抜きをしています。
 一番の息抜きは、ギターを弾くことですが(笑)

『ルビーは赤を嫌悪する』は(一番下にあります)感心して読ませていただきました。
フロイトを読み出したのは、先に読ませていただいた『クライン派の発展』を読んでいたら、課題図書として沢山あがっていたので、もう一度フロイトを読み返し、もう一度『クライン派の発展』を読み返そうと思ったからでした。700ページありましたが.....。



フロイトを読む』
「ヒステリー研究」
アナ・Oはどのように治療を終えたのか?
 ブロイアーはどちらかと言えば楽観的な調子で彼の報告を締めくくり、患者は心の均衡を完全に取り戻すまでかなりの時間を必要としたが、以後「彼女は完全なる健康を享受している」(同41、岩波2:48)と明言した。最近の研究によれば、これは完全に正解ではないことが明らかである。フロイト自身は、アナ・Oの分析の結末について、いくつか異なる説明をした。かなり後になって彼は、その治療はブロイアーが患者の転移性恋愛に耐えることができないと気づいて逃げ出したために中断された、と断言した。もっと後にフロイトツヴァイクZweigへの手紙の中で書いたように、「〔彼の偉大な知的才能にもかかわらず、彼はファウスト的なものは何も持っていませんでした。〕似た場合に精神分析者でない医師がみなそうしたであろうように、恐怖に駆られては彼は逃げ去り、患者を同僚に託しました」(シュテファン・ツヴァイク宛ての手紙、1932年6月2日)。フロイトの伝記のなかでアーネスト・ジョーンズ(1953−1957)は、こうした説明の一つを繰り返している。曰く、アナ・Oの治療の最後の日、ブロイアーは彼女の枕元に呼ばれ、彼女がヒステリー発作の最中で、ブロイアーとの間にできたと宣言する子供の出産を真似ているもを目の当たりにした。ブロイアーは逃げ去り、その翌日、彼は妻を伴ってヴェニスへと旅立ち、彼らはそこで娘をもうけることになる、と。
 実際には、近年の歴史的研究によって、ジョーンズが広めたこの説明は、フロイトによる後からの後世であることが明らかになり、現実と合致しないことが立証されている。例えばヒルシュミラーHirschmiller(1978)は、ブロイアーがカタルシス治療の終わった後もアナ・Oを治療し続けたことを明らかにした。事実は彼女の病気のいくつかの現れは持続し、加えて彼女は三叉神経の神経痛を患い、ブロイアーによってモルヒネで治療されたが、それは中毒を引き起こした。1882年7月、彼は患者をクロイツリンゲン・サナトリウムの管理者であるルートヴィッヒ・ビンスワンガーLudwing Binswangerのもとに送り、治療の継続を依頼した。彼女は改善して、その年の10月にサナトリウムを退院した。その後彼女は作家としてウィーンに住み、そこで何度か再発して治療を受け、それからフランクフルトに発った。ドイツでは彼女は作家として非常に魅力的に仕事をし、慈善事業を熱心に行った。ここ最近の研究に照らし合わせてブリトンR.Britron(2003)は、ヒステリーの葛藤の性質について、この最初の症例の再検討に基づいて、説得力のある仮説を提出している。
 精神分析に対する中傷者の中には、『ヒステリー研究』に記述された患者たちが症状を完全に除去されなかったという事実を利用して、精神分析の妥当性に異議を唱えたり、フロイトとブロイアーはまやかしでアナ・Oは詐病だったとひなんしたりする者もいる。確かに、ブロイアーとフロイトは熱狂の中で臨床症例の報告をいくらか美化していた。なぜなら彼らの出版は、自分たちの研究がピエール・ジャネPierre Janetの研究に先行していたことを証明する狙いが部分的にはあったからである。しかしながら、木を見て森を見ずに陥るべきではない。なぜなら、たとえこの治療が限られた成功だとしても、アナ・Oの治療は、カタルシスと名付けられた方法による最初の成功治療として、そしてフロイト精神分析を発見する推進力を供給した症例として、歴史記録に残るだろうからである。



100年を経たヒステリー
 精神分析家たちは今日、ヒステリーをどう見ているだろうか。それは消えたのであろうか。私たちは今でも、それをどう診断するか知っているだろうか。これらは、1995年にサンフランシスコで開かれた、国際精神分析学会の『100年を経たヒステリー』という公開討論に参加したエドワード・ナーセシアンEdward Nersessian(ニューヨーク)が提起した疑問である。ジョアナ・M・トゥJoana M,Tousの報告(1996)によれば、討論は現代の主要な立場を概観したものとなっている。以下は、その簡単な要約である。
 今日ほとんどの精神分析家たちは、ヒステリーが神経症から精神病まで幅広い範囲の病理の上に立ち、重症の境界例や自己愛病理を含むと考えることに同意する。しかしながら、治療的アプローチという観点からすると、主に2つの考え方がある。一方はフランスの分析者たちが、他方はイギリス学派がその代表である。

 ジャニーヌ・シャスゲ・スミルゲルJanine Chasseguet-Smigel(パリ)にとって、精神分析者はヒステリーの性的次元を見失わず、原始的で前性器的な病理にのみ基づくと考えて満足しないことが重要である。もちろん彼女は、非常に多様な原始的病理を呈するこの種の患者の臨床的現象の夥しさによって、分析者がしばしば当惑することを認める。しかし彼女によれば、母親に対する破壊的な攻撃に関するエディプス葛藤と罪悪感の解釈が果たす役割を軽視しないようにしなければならない。もしも私たちが注意をもっぱら原始的側面に向けるならば、性的アイデンティティとエディプス水準に密接に関係した臨床単位としてのヒステリーを希釈する危険が大きい。それから彼女は、このような線で考えているのは彼女だけではないと付け加える。フランス学派の分析者、例えばアンドレー・グリーンAndre Greenやジャン・ラブランシュJean Laplancheも、同じ懸念を声にしている。更には、シャスゲ・スミルゲルはヒステリーが、子宮と妊娠が空想においても現実にも大いに関係している限り、「母たちの王国」に属して考える。
彼女がヒステリーにおける生物的因子を強調するのは、この理由からである。ヒステリーは身体を劇場とする心の病理なので、生物学的因子は過小評価されるべきではない。身体的次元の果たす役割を強調することによって、J.シャスゲ・スミルゲルは、理論的にも臨床的にも非常に異なる立場を取っており、イギリス学派の見方を代表している。彼の考えでは、乳児は最早期の対象関係において不安に対する防衛を早く身につけており、それが成人期に不安を処理する仕方を決定することになる。ブレンマンはもちろん、ヒステリーにおいて性的なものが大きな役割を演じることを認めているが、彼にとってヒステリー患者で支配的なのは、患者が乗り越えようと絶えず苦悶する原始的不安である。彼は、患者が転移の中でいかに分析者の心的現実に働きかけるか、そして破局不安と依存否定の危機として感じられる原始的不安にどのように対処しているかを述べている。そのような患者には、その心的生活をさまざまな層へと分離する心的状態を引き起こす分裂が、しばしば見出される。例えば、ヒステリー患者は理想化された対象との関係を欲するが、それらと接触すると直ちに失望する。それが、在る極端から極端へと彼らが絶えず移る理由である。E,ブレンマンにとってヒステリーの基盤には、重篤精神病性障害がある。それでも、精神分析はこの100年以上の間に、精神病性不安を包容してそれを反芻処理する能力に関して進化してきた。その結果今日ではこうした患者は、彼らの不安を乗り越え人生の浮き沈みに立ち向かう手段を見出している。



「ルビーは赤を嫌悪する」
 これは、ジャクリーヌ・シェーファーJacqueline Schacffer(1986)がヒステリー者の性的なものとの関係を述べるために自分の論文に選んだ題である。彼女の隠喩は、鉱物学者による以下のルビーの定義に触発されたものである。「ルビーは赤を嫌悪する石である。それは、プリズムの他のあらゆる色を吸収して手放さない。それは赤を拒絶するが、その色が私たちの目に届けられるのである」。まさにルビーのように、ヒステリーは「燦めく」とJ,シェーファーは言う(1986:925)「ヒステリー患者が私たちに見せるものを、すなわち赤いもの・性的なもの・外傷を曝すものへの彼女の恐れを、どのようにもっとうまく喩えられるだろうか。……自我は狡猾に、最も脅威を与え最も脅威に曝されているものを、異質で嫌われていて傷つけるものを、前面に押し出し、攻撃するもので攻撃する。だから、ルビーがそうなように、かくも巧みに隠された、守るべき貴重な何かがあるのだろうか。