うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ねこさんが.......。と、【「則天去私」と漱石は言う。彼のいう天とは何だったのだろうか。】


外出先から戻ったら、ねこさんが大変なことに(笑)
建具に4本の脚をつけて、ぐったりしていました。直ぐにエアコンを入れましたが、冷たいのも嫌のようで、体勢を変えて縁側にいたままでした。
 自転車で移動するだけでTシャツがビシャビシャになりますので、何回着替えたでしょうか?


 近所の田んぼでは、稲刈りが始まりました!
考えれば、もう8月も後半に入っています。
 来年度に向けて、役員さんが色々と考え、動いて下さっていますので、自分達もその以降に合う様に頑張りたいと思います。


 今日は、昼食時に本を読みました。
アルバレズの息抜きに呼んでいた『精神分析たとえ話』タヴィストック・メモワール 飛谷 渉著です。
 先日も少しだけ紹介させていただきましたが、面白い本です。
夏目漱石の逸話も興味深く読ませて頂き、勿論、フロイトにしても漱石にしても、本当に辛い人生を送った者にしかわからない、その何かが何かに真剣に向き合うという行為をさせるのでしょうか?中上健治の個所を読んでもそう感じました。


第13話 夢見ぬ文学――夏目漱石のテンポ
精神分析は、そもそもフロイトがヒステリーの治療法(セラピー)として発見したものだ。一つの医療技術のはずだった。神経痛学者としての出世をあきらめた彼は神経科臨床医として開業したわけだが、患者たちはフロイトに神経学的治療以上の作業を求めた。それは患者たちが語りを聞くことであった。患者が過去の切実な体験に脅かされており、語りがその体験をなぞるときに治療らしき変化が起こることを彼は話してした。これだけならカタルシス、つまり過去の体験を実感とともに再体験できて、そのときの感情が発散できたら病気は治る、そんなモデルしかありえなかった。無意識という領域にそれらの切実な体験は感情もろとも抑圧されている、そのとき彼はそう考えていた。
 抑圧されたものは様々なかたちで患者の生活を脅かす。症状である。それは身体症状であったり、悪夢であったり、対人関係における悲劇の不思議な反復だったりする。そうならば治療の方向性は自ずと明らかで、抑圧によってゆがめられた過去の体験をよく吟味できるよう意識の器官を広げることを手伝えばいいということになる。だがことはそう簡単ではなかった。
 フロイト自身。父の死というクライシスをきっかけにブレイクダウンを起こし、神経症状態に陥ったのだ。これは切実である。彼は藁をもつかむ思いからか、自分の夢を探究し始めた。いやおそらく彼は夢に脅かされ始めたのだ。彼は友人のフリースに依存し始める。何百通もの手紙を定期的に送りつけた。文通とはいえ、それはかなり一方的なものだった。フリースが返事待ってます期待するよりも、彼は手紙で告白する自らの夢解釈に頼っていた。ご迷惑な執着を伴った一方的な告白だが、それでもここが天才たる所以、彼はどんどん自己探求を進めていく。そもそも窮地でこそ「夢」をつかもうとする、それは創造的なる人物のすべてが行うことに違いないが、それを方法論として意識的にフォーミュレイトしたフロイトはただ者ではない。そこから彼は本来的な意味での精神分析の方法を発見したわけである。



フロイトが発見した精神分析の方法の構成要素には、内部からのメッセージとしての夢の筋書きを書き起こし、そこに隠された無意識的思考の暗号を探求する恒常的作業があった。自己探求のリズミカルな恒常性である。別の言葉でいえば作業の周波数である。相手(対象、パートナー、援助者、受け手)が一人であるという恒常的対象の必要性が二つ目だ。それがフロイトの場合にはフリースという転移を可能とする人物であった。三つ目としては一つ目と重なるが、夢という無意識に開かれた無意識に開かれた空想生活の探求である。
 今ふうに言い換えるならば、一つ目が「設定」、二つ目が分析家という「転移対象」、三つ目が「無意識的空想の展開」となる。さてこうなると精神分析はもはや治療には見えない。設定、対象、空想、これはやはり芸術の領域へと自然に進むべき組み合わせである。



 〜彼は生後三カ月で夏目家から八百屋さんだか道具屋さんだかに里子に出された。彼自身実母は高齢出産だったのだろうか望まれぬ妊娠だった。しかも一歳になったとたん、さらに別の家の里子に出される。猫のように捨てられ拾われる。彼がミッドライフ・クライシスにあたり、猫になって一度死んだのは当然のことのようだ。


 〜「則天去私」と漱石は言う。彼のいう天とは何だったのだろうか。世間というものだったというのが定説のようだ。メラニー・クラインであれば迷わずそれは天/世間ではなく「良い対象への愛」なのだと言うだろう。それがエゴ・自我と核だと。小説の暗部の極が始まろうとするところで漱石が肉体的に死んでしまうのはなんとも残念だ。そう思うのは私だけでないだろう。自己探求の作業がリズムと読者の目がいう対象によって守られるだけでは不十分だったのだろうか。
 私はタヴィストックに留学していた頃、ジル・ヴァイツという分析家のスーバービジョンを受けていた。彼女の、私の患者があるトラウマティックな過去を話したときの素材から連想して、思い出を話してくれたことがある。それはワカクシテ亡くなった将来を嘱望された同僚のTの話だったので彼はラテンアメリカ出身の有能な分析家だった。ビオンとメルツァーを消化して分析臨床ができたのは、今思うに当時彼だけだった、とジルは私に言った。Tが四十五歳のときに、急速にワーカホリックになっていった。タヴィストックのスタッフは皆が彼が仕事をしすぎることを分かっていて、有能な彼に患者を回し続けた。ジルは彼を心配していた。彼は、毎日十二セッションを休まず思春期患者との分析を行った。 “He suddenly died between the patients .”ジルは後に彼の最後の患者を引き継いでうけもった。十七歳のラテンアメリカ系の思春期女性だった。その女性がTに語ったのは、生々しい置き去りの体験だった。その女性は乳児院で育ったにもかかわらず、母に置き去りにされた日のことを覚えていると言い張り、その情景をT に描写して聞かせたのだった。そのセッションのあと、T は脳出血で亡くなった。後を引き継いだジルとのセッションで患者は、それは記憶なのかどうかもよく分かりませんと言った。T も実は生後すぐに乳児院に引き取られた人物だった。死に別れではなく、捨てられたのだと彼はジルに話したことがあった。ジルはT にもう一度分析を受けることをすすめれば良かったと思っているとくやしそうに私に言った。私はそれを聞いたときも漱石の『明暗』を思い出していた。