うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

カイガラムシと、水色のカタツムリと、今日のKEXPと、『フロイトの後の著作における転移』

 
 夏場から、ミモザカイガラムシが着き始め、手で取っていましたが、少しさぼるとえらいことになっていました。農薬を使います.....。

 会議後、うたたねを出たら、玄関に水色のカタツムリがいました!
塗料が着いたのでしょうか?道端で水色になっている場所があるので、苔か水垢みたいなものでしょうか? どうでもいいことが気になります(笑)


今日のKEXP(笑)
Sóley - I'll Drown (Live on KEXP)が良かったです!
動画はこちら⇒https://youtu.be/SnYBSAN42Hc?list=RD_gMq3hRLDD0




 今日は、早番で現場に入り、郵便物など出したり用事が一段落したら、会議まで時間があったので、マックでMサイズのコーヒーを飲み、『フロイトを読む』を携帯に打ち込んでいました。長いので二回に分けてアップさせて頂きます。
精神分析者として経験が浅いときに理解が困難てなるのは、転移/逆転移関係の次元である。』は福祉職でも言えることですね!


「あるヒステリー症例分析の断片(ドーラ)」より


〜結論として、ドーラの分析において1905年のフロイトは、K氏やドーラの父親の代替である男性としてのみ自分を含めていたと指摘することは興味深い。しかし、1923年の脚注でドーラのK夫人への愛着を明らかにする時、彼はK夫人やドーラの母親の代替である転移の女性像として、自分を含めていない。このように、フロイトはまだ、実際の性別がどうであれ分析者は転移の中で男性でも女性でも表すことができるのを、十分に見定めていなかったように見える。例えば、転移のさまざまな瞬間において、男性分析者は転移上男性あるいは女性の役を演じることができるし、逆に女性分析者も男性あるいは女性を表すことができる。精神分析者として経験が浅いときに理解が困難てなるのは、転移/逆転移関係の次元である。

フロイトの概念の継時的発展
フロイトの後の著作における転移
エディプス・コンプレックスと同じように、転移の概念は、数十年にわたるフロイトの著作の中で段階を経て現れている。だから、それは既に1895年の『ヒステリー研究』の中に存在するが、フロイトから見て本当に意味を帯びるのは、1905年のドーラの観察記録からである。その後彼はない転移の観察側面を扱ったいくつかの短い論文で、自分の見解を仕上げることになる。私は時系列に沿って、その主要な段階の概要を示したい。

症例アナ・Oとブロイアーがしたとされる逃走
転移はおそらくです1881年以来ブロイアーがアナ・Oの治療を終えた際の庶状況について、後年フロイトが語った仕方の中に、その起源の神話がある。事実、フロイトの報告を典拠にして、ブロイアーはアナ・Oが彼に恋をしたので治療を突然中断したと、そしてフロイトによればブロイアーは彼女の転移の性愛的性質に直面して逃げ出したのであろうと、長らく信じられていた。「似た場合に精神分析者ではない医師ならば誰もがなるであろうように、驚きに駆られて彼は逃げ出し、患者を同僚に委ねたのでした」(1932年6月2日、フロイトシュテファン・ツヴァイク宛手紙。1987c[1908-1938])。しかし近年の歴史的研究によれば、フロイトが語るようなブロイアーがしたとされる逃走は、実際の出来事とはあまり関係がなく、ヒステリーにおける性欲の役割という主題について、初期からの共同研究者と持ち続けた。葛藤のある関係に関して、後から書き変えられたフロイトの記憶と関係しているだろうと思われる。
1895年に『ヒステリー研究』で初めて「転移」と言葉を用いた時、フロイトはなによりも抵抗の一形式と見なして、彼が後にそれに付与する重要性をまだ認めていない。そのときの彼には、治療の好ましい展開に必要な信頼関係を築くことを妨げる、限られた現象が問題である。例としてフロイトは、患者が医師に思わず感じる可能性がある不満や、過度の愛着に言及している。彼は、患者がこうした抵抗を克服するように、あらゆる症状の扱いと同じ仕方でその無意識的動機を明らかにすることを助言している。

ドーラが去ってから発見された転移
 転移の観念は、語の十全な意味では1905年にドーラの治療とともに現れた。フロイトはそのとき、ドーラが無意識に彼の上に転移した情愛的で性愛的感情のために治療を中断したと理解する。それによってフロイトは転移を定義して、患者の過去とりわけ幼児期の重要人物として既に経験したことの再現であると明らかになる。諸感情・欲望・空想やシナリオ全体さえを、分析者という人物の上に移すことであるとする。しかしながら、フロイトは後から転移がドーラとの決裂において決定的な役を演じていたことを理解したにせよ、まだそれを精神分析過程の力動の、真の原動力としては考えてはいなかった。当時のフロイトは、次のように定義している。「転移とは何か。それは、分析が進みゆきなかで呼び覚まされ意識化されることになる、(情動の)動きと空想の新版であり複製である。それは、以前の人物の医師という人物による、この領域に特徴的な代用を伴っている。別の言い方をすれば、一連の過去の心的体験全体が、過ぎ去った体験としてではなく、医師という人物との現在進行中の関係として息を吹き返す」(1905e[1901]:116,岩波6:152)。フロイトは転移の性質に関する詳しい説明として、「転移を回避することはいかなる方法をもってしても不可能なこと」、またそれは「ほとんど自分の力でそれを探し当てなければならない」と付け加えている(同116,岩波6:152-153)。
フロイトに向かって彼は「大尉殿!」と話しかけた
 「強迫神経症の一症例に関する考察(「鼠男」)」(1909d)の中でフロイトは、転移性の遷移および転移の型にはまった性格の素晴らしい例を紹介している。「鼠男」の名で知られるこの患者の強迫は、軍隊にいた時に彼の上官の大尉が、中国の拷問について嬉々として話すのを聞いたときに始まった。それは、肛門から挿入された鼠が脱出路を求めて受刑者の体内を食い破る、というものだった。患者の説明を聞いた後、フロイトは早くも治療2回目の面接で、彼の症状には性的な源があることを詳しく説明しようとした。そのとき彼は、「鼠男」が彼に向かって何度も、「大尉様!」と叫ぶのを聞いた。

幼児期の人物像の、精神分析者への投影
 転移ばかりを論じた最初の論文「転移の力動性について・(1912h)の中でフロイトは、分析者という人物上への置き換えの対象となる過去からの内的人物像を指すために、ユングが提唱した観念である「イマーゴ」という用語を採用している。フロイトはまた、フレンツィFerencziが1909年に明らかにした転移性の愛情と憎しみの情緒の役割も考慮に入れる。フレンツィはそこで、患者たちが医師に、愛されかつ恐れられる親的人物の役割を取らせがちであると指摘していた。だから、単に、「転移」について語るだけでは不十分であり、分析者は転移に内在する情緒の質も考慮しなければならない、とフロイトは明確化する。そのために以後彼は、情愛の感情が優勢な「陽性」転移と、敵意の感情が優勢な「陰性」転移を区別する。彼によれば、陽性転移と結びついた情愛の感情は、一部は意識され一部は無意識的だが、つねに性愛的基礎を持っている。なぜなら乳幼児期の最初の対象関係は、つねに性的対象とよもに確立されるからである。結果として分析者への転移は、つねに陽性および陰性の二重の構成成分を持ち、転移が敵意の感情や抑圧された性愛的要素を伴うとき、それは抵抗hwと変形される。情緒のこの二重の潮流からフロイトは、ブロイラーBleulerによって1911年に導入された両価性の概念を採用するように導かれる。確かに両価性は正常な性質を持ちうるが、それが過剰なとき、とりわけ精神病においては、治療の成功を阻害しうる分析者への陰性転移を患者の中に引き起こす可能性がある、と彼は明確にする。

転移と反復
 「想起、反復、反芻処理」(1914g)の中でフロイトは、さらに議論を進めている。彼は転移の反復の次元を強調し、患者は抵抗が大きくなるほど、思い出すよりも行為によって自分の問題状況を反復する傾向が大きくなることを認める。「例を挙げよう。被分析者は、たとえば、『想い出されるのは、むかし私が、両親の権威に対して反抗と不信を抱いていたことです』などと語るのではなく、代わりに、それに類した振舞いを医者に対して見せる。[……]あるいは、むかし、何かの性行動をしていたのをいたく恥ずかしく思っていて、それが発覚するのではないかとびくびくしていたことを想い出すのではなく、今受けるこの治療を恥ずかしく思っていることを態度にあらわし、この治療のことを皆に隠してしまおうとする、等々といった具合である」(1914g:150,岩波13:299)。この論文でフロイトは、日常生活の諸関係とりわけ愛情生活の中で遭遇する「さまざまな転移」と、分析者という人物との関係で精神分析治療において現われる狭義の「転移」を区別するものを、以前よりうまく説明するようになっている。彼は後者の転移を「転移神経症」と呼び、分析状況の中で展開する「人工的な病」として記述する。フロイトが推奨する精神分析の設定は、彼によれば、患者に転移空想が流れるに任せることができる安全な環境を提供する。治療作業は、彼をそうした空想から癒すことができるだろう。「患者の反復強迫を制御しつつ、これを想起のための動因へと作り変える〔schaffen〕ための主たる方策は、[……]転移の扱い方にある」(同154,岩波13:304)。