うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お祭りと、分析者の分析の必要性と、頑張れ!黒田!


 夜勤明けで、帰宅後寝ていたら、爆竹の強烈な音で一回目が覚めました(笑)香港の年末年始もうるさいですが(笑)ホテルの窓越しだったので今日ほど強烈に感じませんでした(笑)
 香港は何度も行きましたが、大阪ににているので、親近感が持てる街です。返還後は(だいぶ経っていますが......)行っていません。
 料理とアンティーク目的で、年末年始によく行っていました。近場というのが一番の理由でしたが(笑)
 アメリカやヨーロッパにも行きましたが、自分はアジアの文化が大好きです。

 自分が生まれた町は、盆踊りが有名で、その期間だけ最寄りの駅に快速が止まっていました。
 だんじりも盛んで、死者が出ても中止にならず、急な坂を威勢よく登っていました。
 涼しくなると心に余裕ができるのか(笑)ふと、昔の事が思い出されます。


 頭が使い物になるまで、本を読んでいました。
福祉職も使い物にならない研修など減らして(偉そう(笑))こういう事が年に一回でも勉強出来たらいいですね!
 

フロイトを読む』ジャン・ミシェルキノドス著・福本修 監訳
第Ⅲ部 新たな展望(1920−1939)
「終わりのある分析と終わりのない分析」(1937c)
●分析者の分析の必要性
 フロイトは、フェレンツイ(1928)の仕事を拠りどころとして精神分析者の方を向く。フェレンツイは、「分析者が自分自身の『間違いや失敗』から十分に学び[…]『自らの人格の弱点』を自分の支配下においたかどうか」(同247、岩波286)が分析の成功のために決定的に大切なことだと指摘した。続いてフロイトが言うには、もちろん分析者たちは他の人と同じ人間であり、「分析者たちが自分たち自身の人格という点で、彼らが患者たちにもたらそうとしている心的正常性の尺度に達していた、などということが全くありえないのは明らかである」(同248、岩波21:287)を持つことを分析者に要求するのは、患者の利益において正当である。精神分析者の個人分析が、分析者の将来の活動に備える必要条件とフロイトに思われるのは、このためである。さらに、実践で分析者自身を待ち受けるさまざまな危険を出来る限り回避するために、フロイトはどの分析者にも周期的に、3年経過するごとに、「こういった措置を恥じることなく」再び分析を受けるよう勧めている(同249、岩波21:289)。




頭がシャキッとしないので、お薄を頂こうと、お湯を沸かしている間ニュースを見ようとテレビをつけたら、野球をNHKでやっていました!
今日、広島が勝つと優勝ですね!しかも相手は巨人!アンチとしては願ってもない試合ですが、点の取り合いですね。セリーグには興味が子供のころからないので、どこが勝とうが関係ないのですが、大阪出身の黒田投手は応援しているので、是非勝って優勝して頂きたいとの思いで、赤楽でお薄を頂きます(笑)
 頑張れ、黒田!