うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アトリエ・カーグとバンドクラブと、調律されたギターと、全国障害者アートの準備と、『精神分析的な倫理の問い』


昨日は、アトリエ・カーグとバンドクラブの日でしたが、おっちゃんがちょっと、ばててしまって、写真が写せませんでした(笑)申し訳ありません.....が、親分はなぜ?写さないのかな(笑)まあ、気が付きませんからね(笑)



 バンドクラブは、さわらび会さんの文化祭の余韻と、12月の全国障害者文化祭に向けて、皆さんきちんとまとまって、凄く良かったです!欽ちゃんは相変わらずカッコイイし、ちかちゃんの口笛も本当にかっこよくなってきました!あとは、おっちゃんのギターですね.....。


 335は、自分の弾き方が変わったのか?5フレットから上で、ピッチが上がってしまうようになり、きちんとした方に調整して頂けることになりましたが、お会いする場所が、浜松のアクトタワーの大ホールのホワイエでした。ちょうど世界の音楽祭の会場になっていて、その方がギターとウクレレの販売をされるので、そこで会うことに!

 主催者の方も寛容で、スッタッフパスを貸してくれ、堂々と会場に入れてくれました。
産業振興に力を入れておられるのでしょうね!素晴らしいことです。

 話をさせて頂き、直ぐに理解して頂けたようで、直ぐにメールで回答と見積もりをしてくれました。 『現在のサドルの状態は特に問題なくピッチも合っている状態ですが強い弾き方でも音が#しないようにサドルの調整をさせていただきます。フレットはかなり減っていて弦の摩擦が大きい状態ですのですり合わせをしたほうがいいです。またすり合わせするフレットのレベルに合わせてナットの溝を微調整をおすすめします。』 しかも高額でなかったので、自分の弾き方でもピッチが合う様に、何回でも調整して頂こうと思っています。
 そこまでする必要のないレベルのギターかも知れませんが、人からいただいたギターのなで、大事にしたいと思っています。


 その方が作られたギター(400,000円!)は、きちんと調律されているので、弾かせて頂きました。本当にいい音で、弾きやすく、値段も納得ですが、今の自分には購入は無理ですね.....。帰って親分に話したら、無視されました(笑)
 昭和楽器さんではありません(笑)

 竹下さんです。

 ウクレレも弾かせて頂きましたが、ガットギターのようなきれいな音がしていました。Gコードしか知りませんが(笑)、かしまし娘のテーマ曲を弾かせて頂いたら、笑いがとれました(笑)
 ウクレレは178,000円!エレキウクレレで、ジェイク島袋になりきれそうですね!。本当にいい音でした!


 福祉の現場では、自分にとって小羊学園さんは、きちんと調律されたギターの様な存在だったのでしょうね。きちんとした音を(支援をする)出すことが出来るようになれたのだと思われます。
 音楽会をみても、きちんとした音を出されている方はほんの一握り.....。福祉職を見てもきちんとした支援をできているのはほんの一握り.....。
 自分は努力して絶対音感になれた人間で、生まれつきではありませんし、福祉の現場での支援も、沢山勉強しないと、全然分からないし、本当にアホで、不器用です。なので本を意地になって(笑)読ませて頂いています。

 今、課題にしていることにヒントになりそうな本が来ました。
少しずつ読ませて頂きます。


 夜勤明けで寝ていたら、親分が帰って来て、明日、名古屋に全国障害者文化祭に出させて頂く、額装の準備をするぞ!とたたき起こされました(笑)
 ぼーっとした頭で、親分にやーやー言われながら今しています(笑)
素敵な作品を観させて頂いていると、段々頭が冴えて来ました!
頑張ります!

 
 
 下記は、福祉職にも当てはまると思われますので、アップさせて頂きました。


精神分析的な倫理の問い』 フロイトを読むより)
 精神分析的な設定の侵犯という問題は、数多くの因子と結びついているので、グレン・O・ギャバードGlen .O.Gabbardとエヴァ・レスターEva Lesterが彼らの著書『精神分析における境界侵犯ー臨床家が守るべき一線』(1995)で示したように、極めて複雑であることが明らかとなる。事実、精神分析的な過程の間には、フロイトが『転移性恋愛について』の中で述べている性的次元の侵犯ばかりではなく、彼らによれば過小評価すべきではない非性的な侵犯に突き当たる危険がある。後者には多数の形態があり、逆転移の行動化と結びついた設定の逸脱を形成する。例えば、分析者が低すぎる料金または逆に高過ぎる料金や、過度の時間的融通を要求するとき、患者の呼び掛けに昼も夜も応じられるようにするとき、などである。精神分析者の側には、患者と取り決めた設定を尊重しないことが起きる、多種多様の理由では存在する。著者たちは、精神分析者が行動に移すのは、個人的なトラブルを抱えている折が多いことを確認した。ギャバードとレスターは、さまざまな水準で予防手段を講じる必要性を力説している。分析者になる見込みの者の訓練に関しては、その者の個人分析の終え方に注意し、自分の逆転移反応を分析する能力を査定することが重要である。臨床面では、スーパーヴィジョンは、精神分析過程の良い展開の保証する。厳正な設定の維持に結びついた技法的な問題を吟味するのに最適な場となる。「私たちが患者に提供できる最も効果的で影響力のある贈り物は、分析的な設定である」(Gabbard and Lester 1995:147)。それに加えて著者たちは、精神分析者が自分のオフィスで孤立して働いていることが一つの危険因子だと考えており、どれほど経験豊かな分析者であっても、自分の逆転移に関わる問題を邉ての同僚と話し合う時間を取ることを強く勧める。最後にギャバードとレスターは、各精神分析インスティチュートと協会が、その機関から独立した倫理委員会を整備するべきであると考えている。そのような委員会は、聞い入れてほしい患者や第三者ばかりでなくトラブルを抱えた精神分析者のことも、完全に秘密を保持して受け付ける態勢を整えているべきであろう。彼らの経験では、精神分析的な設定の侵犯の問題は、道徳的な角度から見られるか、無視されることが
しばしばだか、そのことで悩んでいる人たちに治療的な助けを提供するために措置を講じることが不可欠である。


精神分析療法の道」 (1919a)標準版17巻157-168頁(岩波版フロイト全集第16巻93-104頁)所収。
 フロイトはこの論文で、「分析治療を、可能な限り欠乏状態ーー禁欲状態ーーにおいて逐行する」(1919a:162,岩波16:97)ことが何を言わんとしているのかを詳しく述べる。それは、患者から満足を奪うことや、あらゆる性的関係を禁止することではなく、治療の流れを脅かす恐れがある2種の危険を避けることを意味している。第1の危険は、患者が代替の満足を求めたくなる気持ちに関わる。例えば、分析者に期待することを周囲の者と現実化することである。それが危険なのは、そうした満足が症状に取って代わる恐れがあるからである。第2の危険は、患者が分析者という人物とのテーマ関係自体の中に代替満足を見出すことにある。分析者がある程度の欲求不満?課しているのを知りながら、患者を「満たされないままの欲望を相当に」(同164,岩波16:100)持ち続けるように気を配るのは、このためである。たとえ時には「教育者と助言者として振る舞わなければならない」(同165,岩波16:100)としても、とフロイトは付け加えている。
結びとしてフロイトは、この治療を神経症にも精神病にも適用するのを可能にするような技法の進歩を想像しながら、精神分析の未来を予想する。彼はまた、世間の恵まれない社会層も修正された形の精神分析的な治療を、しかも無料で、受けることができる可能性を予測する。「また、私たちの治療法を大衆を相手に適用するにあたって、分析という純金に直接暗示という銅を十分混ぜて合金を作る必要が生じる公算は大きいでしょう。また、そのときには、戦争神経症の治療の場合のように、催眠による影響が再び用いられもしましょう。しかしながら、たとえこの精神療法が大衆のために形作られ、どのような要素によって組み立てられようとも、その最も効果的で重要な構成部分は確実に、厳密で不偏不党である精神分析から借りてこられたものであり続けるでしょう」(同167-168,岩波16:104)。