うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

さわらび会さんの文化祭と、主体のなさの支援に使えるか?フロイトの『相起・反復・反芻処理』


 今日は、さわらび会さんの文化祭に、我がB-Sproutを招待して頂き、演奏させて頂きました。
 演奏前の打合せをしていたら。


 貴ちゃんが、ご自身の気持ちを語り始めたので、静かに夜空のムコウを弾かせて頂きました。
 『ずっと歌い続けたい!』という最後の言葉しか聞こえませんでしたが、会場がシーンとしていたので、心に響くことを話してくれたのでしょうか?ご存じの方は、教えて下さい!

 皆さん元気で、声もドラムも良く聞こえ、聞き惚れていたら、おっちゃんが沢山間違えてしまい、皆さんにご迷惑をおかけしました.....。
 12月までには、しっかり練習しておきますので、お許しを!
言い訳がましいですが(笑)ドラムとボーカルが入って、音合わせしないと、やっぱり音のバランスが壊れてしまいます。
 自分なりにいじくりましたが、時間内には修正できず、こちらも申し訳ありませんでした。12月の全国障害者文化祭を親御さんたちは心配されていましたが、今日で心配がなくなったと仰っていたお母さんもいました。おっちゃん以外、みなさんは本番に強いので!全然心配いりません!11月6日に今年最後の練習がありますので、頑張りましょう!
 頑張らなあかんのは、おっちゃんでした(笑)

さわらび会さん、ありがとうございました!



 今朝、早く起き過ぎたので、マックでホットコーヒーを飲みながら、『フロイトを読む』を打ち込んでいました(笑)もうジジイなので早起き!

 主体のない方の支援法を色々考えている最中なので、そちらに目が行ってしまい、今朝打ち込んだ箇所も、参考になるのでは?と思いながら読ませて頂きました。

 フロイトは、自分の過去を思い出してそれらの経験を言葉で伝える能力がない患者たちがいることを示す。しかし、その外見上忘れられた思い出は、行動の形で再び現れて、精神分析者との関係の中で行為として再現される。

 こちらは、主体のなさを感じる方と考えても良いのでしょうか?
自分はそう見ました。


 「転移は、それ自体が反復の一部にすぎない」(同151,岩波13:300)もう一方では、この反復は抵抗と結びついており、「抵抗が大きければ大きいほど、相起は、それだけいっそう大掛かりに、身をもって演ずること(反復すること)に取って置き代わられる」(同151,岩波13:300)ほどである。だから精神分析者は、病気を過去と意識的に結びつけられるようになるまでは、その病気を患者が思い出さない過去の出来事としてではなく、「現勢的な力として」(岩波13:301)扱うべきだろう。

 この辺にヒントが隠されているのでしょうか?

反復の強度は転移の情緒的な質に比例すると指摘している。つまり転移が陽性のとき、患者は相起する傾向にあるが、転移が陰性で強化されるとき、行為による反復の傾向は増大する。


 同じことを繰り返してしまう。同一態の保持が強い方には、どの様な支援が有効なのでしょうか?


 その病気を患者が思い出さない過去の出来事としてではなく、「現勢的な力として」扱うべきだろう

 『現勢的な力』
 現勢=現在の勢力・情勢.......。取り敢えず、過去の事ではなく、今の事として扱う......。

 自分の過去を思い出してそれらの経験を言葉で伝える能力がない患者たちがいることを示す。 


 この辺の解釈が上手にできればいいのでしょうか?もっと勉強が必要ですね.....。
 取り敢えず、興味のある方は下記の文章を読んで、一緒に考えて下さい!




「相起・反復・反芻処理」(1914g)
標準版第12巻145-156頁(岩波版フロイト全集第13巻295-306頁)所収。

 この論文は、転移の分析を理解するために極めて重要である。フロイトは、自分の過去を思い出してそれらの経験を言葉で伝える能力がない患者たちがいることを示す。しかし、その外見上忘れられた思い出は、行動の形で再び現れて、精神分析者との関係の中で行為として再現される。以下は、フロイトが「相起する」代わりに「反復する」によって意味していることを理解させるための、短い例である。
 幼児期に捨てられた患者が、それについて思い出しも語りもしないが、成人としての生活の中でガールフレンドとであれ雇い主とであれ、自分が関わりハジメタ人たちといつも別れてしまうのが見られることがありうる。患者はその関係の中で、自分が理由を知らずにもう一度捨てられることに通じる何かをしているという自覚がない。捨てられる状況は同じモデルに基づいて反復されており、患者は過去に既に経験した状況の反復が問題であることを意識的には実感せず、彼がこの状況を反復するのを妨げるものはない。ではでは患者は何を「反復」しているのだろうか。フロイトはこう言っている。「彼が反復するのは、抑圧されたものから発して、すでに彼の明白な人となりのなかで達成された[durchgesetzt]すべてのことがら、すなわち制止を受けて無用とされた諸々の心的態度、病原としての性格特徴である」(1914g:151,岩波13:301
)。
 この「反復強迫」は、転移および抵抗に結びついている。すなわち一方では、行為による過去の反復が分析者という人と行われる限りで、それは転移と結びついている。従って、「転移は、それ自体が反復の一部にすぎない」(同151,岩波13:300)もう一方では、この反復は抵抗と結びついており、「抵抗が大きければ大きいほど、相起は、それだけいっそう大掛かりに、身をもって演ずること(反復すること)に取って置き代わられる」(同151,岩波13:300)ほどである。だから精神分析者は、病気を過去と意識的に結びつけられるようになるまでは、その病気を患者が思い出さない過去の出来事としてではなく、「現勢的な力として」(岩波13:301)扱うべきだろう。
 フロイトはまた、反復の強度は転移の情緒的な質に比例すると指摘している。つまり転移が陽性のとき、患者は相起する傾向にあるが、転移が陰性で強化されるとき、行為による反復の傾向は増大する。極端な症例では、転移関係が反復に引き込まれるようになる。「患者が、何らかの反復行為をなすなかで、自らを治療につなぎとめている絆を自ら立ち切ってしまう」(同154,岩波305)。しかしながら、転移の取りあつかいのおかげで、分析者は「患者の反復強迫を制御しつつ、これを相起のための動因へと仕立て変える」(同154,岩波13:304)ようになる。そのためには、分析者が抵抗を「名指す」(岩波13:305)たけでは十分ではない。それが「抵抗の終息を直ちにもたらすわけでない[…]われわるは、患者が自分で知ることになった抵抗に深く沈潛して、この抵抗を反芻処理durcharbeitenし、そして、抵抗に逆らいつつ分析の基本原則に則って作業を続行することによって、抵抗を克服できるよう、患者に十分な時間を与えなければならない」(同155,岩波305)。患者が自分で反芻処理を成し遂げるために必要とする終息を分析者が尊重することは、精神分析過程の決定的な要素を持っている。