うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

バザーの招待と『防衛的な振舞いを通してのコミュニケーション』


 いつもお世話になっている、名古屋YWCAさんから、バザーの招待状を頂きましたが、金曜日でしたので、行けません......。
 楽しそうな催事が沢山あるので残念です。
その日に名古屋に行かれる方はご一報下さい。このハガキを持って行くと、3名まで入場できるそうです。

 秋が近くなると、色々な催事・行事がありますね。
最初にいた施設から、11月の文化祭にバンドで出てくれないか?と夕方オファーがありました!
 皆さんには事後報告でしたが、皆さん喜んでいたので良かったです!
12月は、全国障害者文化祭が名古屋であるので、二ヵ月続けてお客さんがいる場所で演奏が出来ます。
 練習にも熱が入りますね!

『患者から学ぶ』を今日も少しだけ読ませて頂きましたが、本当に前頁アップしたいくらいの本です。
 転移・逆転移ー投影同一化など、精神分析では重要なものを取り扱っている箇所のアップです。
 自己否定が人間の基礎かも知れませんね。


防衛的な振舞いを通してのコミュニケーション
 ひどく扱われていることでの苦痛から逃避するひとつのやり方は、その攻撃者に同一化してしまい、別の人を同じように取り扱うことです。それによって誰かほかの人にこの体験にある望まれない苦しみを引き起こします(A,Freud 1937)。当面の問題となっている体験に属している感情で、患者がこのやり方で「取り除い」てしまおうとしている感情を、治療者のなかに無意識に再創造するときがあります。それゆえ、インパクトを与える行動によって治療者のなかにかき立てられるようになるのは、取り扱えない感情―状態だけではありません。それは患者の耐えられない体験という側面を含んでいるようです(クライン派分析家たちはこれも投影同一化のひとつの型とみなすだろうと思います)。
 もし、治療者が、患者からこの種の相互交流的な圧迫にさらされているときを認識するなら、患者の振舞いへの彼自身の情緒的反応のなかにそのような無意識のコミュニケーションのヒントを見出すことがよくあります(King 1987を参照)。

例4・4
 ある分析の初期段階で、ある患者は、(私のコンサルティング・ルームの一部である)書斎を私が使っていることに気づきました。そのころおこなっていたある仕事についての文献を私は捜していたのですが、本棚から本や雑誌を引っぱり出して、片づけずにいました。
 その患者は、彼の本がそんなに乱雑にされたままの状態だったら、自分は耐えられないと言いました。彼は本をすべてきちんと片づけてもらいたいと望んでいましたし、毎日、そんな状態の本棚に私がよく我慢できるものだとも思っていました。
 その夕方、私は、わたしが置かれているように思えるジレンマについて考えました。私は本棚を片づけたいと思いました。けれども、もし、私がこのことをただちにやってしまったら、患者は彼が私を片づけさせたと感じるでしょうし、それに、私はそれがあたかも私が言われたことを従順にやったかのように見えることについて居心地悪く感じました。もちろん、すべてをそのままにしておくことでその不快さを避けることもできるわけです。けれども、私はそれでも本棚を片づけたいと思いました。
 しばらくの間、この一見したところささいなことがらによって麻痺させられてしまったように私は感じました。この唯一の解決は、私にとってもっともすじが通っていることをすることでした。私は本棚を片づけました。しかし、まだ使い終わっていない雑誌類にきたときには、同じジレンマの要素が続いていました。再び、私は私に都合のよいことをしました。私は利用し終わっていない雑誌類は棚の上の本類の上に重ね置いたままにしておきました。
 その患者が次のセッションに来たとき、彼はその本棚の変化に目をやりました。しばらく考えたのち、私はこれまでまったく彼から聞いたこともないような声の調子で彼は言い放ちました。「あわれな!」沈黙のあと、彼はさらに語っていきました。私がこのずっとこっけいな妥協をしたなんてありえないと彼は考えました。もし、私が彼に振り回されていると感じたくないなら、本棚をそのままにしておく方がよかっただろうに、と彼は言いました。おそらく、私はそうしたかったのでしょう。しかし一方、もし私が実際のところ、それらを片づけなかったなら、一体全体なぜやり終えなかったのでしょう? しかし、実情は、私は「独立しているという名ばかりのジェスチャー」として、2,3の雑誌を片づけずに残してしまったと彼は結論づけました。どうして私はしたいようにやらなかったのでしょう?
心の中のスーパービジョン:私の妥協と見た彼の知覚について考えてみたところ、前回のセッションの後、私が二重拘束のなかにいたことに気がつきました。私を自由なままにしてくれるその唯一のやり方でそれを解決しようとするまで、このことは解決できないことのようでした。私がまだ使っている雑誌を残しておくという私に適切なことを私はおこないました。その患者は私がその二重拘束のなかに留まったままで、解消できないことを望んでいました。私がやりたいことを私はやってしまえないとも彼は考えていました。
 私はこの相互交流の重大さに気がつき始めました。これまでの彼の分析の短い期間にすでに明らかになってきていたのですが、この患者は母親によって二重拘束のなかに繰り返し置かれていました。そして、その振舞いが彼のなかに引き起こす麻痺から抜け出す道を見出せなかったのでした。〜
 
検討:この無意識の相互交流のなかで、患者は、母親がよく彼にやってきた種類のことを私に行ってきました(ここでの防衛的振舞いは攻撃との同一化というそれです)。彼の圧迫への私の対応を通して、私は、彼が母親からよく感じてきていたものを感じました。このことは私に、母親との間で、子どもとしての彼にとってはどのようなものだったかを認識するよう促しました。その後、彼は、彼の喜ばない母親を喜ばせようとすることでたえず麻痺してしまっているより、むしろ、彼も彼自身にすじの通ったことができることを発見できたのでした。こうして、彼は母親との分離を築き始めましたが、それが彼がそれまで決して試みようとしていなかったことでした。