うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ペースト食と、工芸とデザインの境目と、今も生きているスマイルズ


 義母が嚥下の状態が悪くなり、食事をペースト食にしたと聞いたので施設に行って来ました。お昼の忙しい時間に寄せて頂いたので、食介を申し出てさせていただきました。
 少し前から、口に入れるタイミングが難しくなっていたので、施設の職員さん達も大変だと思います。でも、よく見ていると、微かですが、呑み込んだ瞬間が分かってきたので、タイミングよく食介出来る(時間はかかりますが.....)ようになりました。
 ご飯だけはミキサー食でした。

(ミキサー食とは、水分が多く噛む必要がありません。ポタージュをイメージしていただくと分かるかと。ペースト食とは幾分粘りがあります。舌で潰せると考えてください。飲みやすいのはミキサー食ですが呼吸器に入ってしまわないかなど注意が必要です。ペースト食より一段上が歯茎で潰せるレベルとなります。)

 インフルエンザや疥癬で中々外出の許可が出ませんでしたが、ようやく治まったみたいなので、時間をみつけて外出させて頂こうと思いました。

 




 ジャパン・デザイン・ネットを見ていたら、金沢21世紀美術館で来月から、見たい展覧会がありましたが、きっといけないでしょうね(笑)
 京都時代、自分が目指していたのは、『絵と工芸の間』だったので、『工芸とデザインの境目』というのは、非常に興味があります。

工芸とデザインの境目
期間:2016年10月8日(土) 〜2017年3月20日(月)
   10:00〜18:00(金・土曜日は20:00まで)※1/2・3は17:00まで
会場:金沢21世紀美術館 展示室1-6
休場日:月曜日(ただし、10/10、10/24、1/2、1/3、1/9、3/20は開場)、 10/11、12/29〜1/1、1/10
概要
「工芸」か「デザイン」かー。
工芸とデザインはものづくりという点では同じであるが、両者は異なるジャンルとして区別される。しかしながら、それらをつぶさに観察するまでもなく、両者の間には「デザイン的工芸」また「工芸的デザイン」とも呼べる作品あるいは製品があるように思われる。
本展覧会では、「プロセスと素材」「手と機械」「かたち」「さび(経年変化)」といった観点から工芸とデザインを見つめ直すことによって、それらの曖昧模糊とした境目を浮き彫りにする。それと同時に、最先端技術の発達などによって多様化が進む両者の新たな地平を考察する。


展覧会内容(文・深澤直人
工芸とデザインの境目を浮き彫りにするのが本展覧会の趣旨でありますが、その境目というのは非常に曖昧であります。これは工芸でこれはデザイン、といったように一本の線を引くことは困難です。これは、工芸20% デザイン80%であるというのが説明しやすいかもしれません。この曖昧さを持って、観覧者を揺さぶることに意義があると思います。展示のスタイルとして、「工芸」VS「デザイン」とあえて対立させるという見せ方が基本になると思います。

〈テーマ1 プロセスと素材〉
素材は、その土地に根ざしており、工芸の作家は、その素材の持つ特性・力(マテリアリティ)から創作に及び、カタチを創出しました。素材特性は工芸から工業に至る過程によって、緻密に洗練され、ものづくりに反映されている。プロセスの中で、工芸と工業に共通するものとして、治具がある。しかしながら、昨今では、デジタル工作機械の台頭(3D プリンタ、レーザーカッター、CNCフライスetc)よって、治具なしでものが製作されるようになった。

〈テーマ2 手と機械〉
工業(デザイン)は、工芸を真似ることから始まった。つまり機械は、手を模倣したかった。そして、その試みは大きく成功しました。果たして万人が違いを見分けることができるか疑わしいほどに。そして、ものの作られ方を忘れさせるのを十分なほどに。

〈テーマ3 かたち〉
「工芸」と「デザイン」の間には、「工芸的デザイン」と「デザイン的工芸」があると思います。応量器は、モジュールの概念が見て取れ、それは、そのものと他のものとの調和を目指している「デザイン的工芸」だと思います。一方、型を用い、一度の工程で大量のものを生産するものに、さらに手を加える、後加工を施すものを「工芸的デザイン」と言って良いと思います。柳宗理のデザインも手で作った工芸的なかたちを大量生産しています。人の手が加わることによってかたちが極められるように思えます。

〈テーマ4 経年変化〉
時間によって風合いや質感が変わり、所有者はその変化を共にすることによって、愛着を持つ。時間は、ものそのものの物理的な変化をもたらすだけではなく、そのものの作者やブランドの価値を漂白する。デザインの代名詞とも言えるブラウンの製品は当時クールだったけれど、今見るとウォームな感じがして愛着が湧く。時間は、デザインを工芸にするのかもしれない。

〈テーマ5 工芸とデザインの境目〉
工芸の職人における熟練とは、手仕事ながら、精緻を極める。しかしながら、精密であるという軸では、冷徹なほど精密な機械には及ばない。印刷の技術も高度になり、本物の木の木目と見分けがつかないようになった。節がない方が上等な材木であったのに、わざと節があるものを最近の人は選んだりすることも少なくない。見た目は本物以上なのに吸湿放湿など機能性も付加された壁紙も捨てがたい。

〈テーマ6 工芸の新たな地平〉
テクノロジーの発展よって、工芸の地平は改めて拓かれようとしています。





事務仕事の合間に『患者から学ぶ』を大分読ませて頂きましたが、『心の育ちと文化』もななめ読みさせて頂きました。ネットのニュースを掘り下げるために借りて来ましたが、国木田独歩の『非凡なる凡人』の箇所にひかかってしまいました(笑)

「天が与えた才能からいうと桂は中位の人たるにすぎない。学校における成績も中等で、同級生のうち、彼よりも優れた少年はいくらもいた。」 

「それで学校においても郷党にあっても、とくに人から注目せられる少年ではなかった。」
 「桂正作のごときは平凡なる社会がつねに産出しうる人物である、また平凡なる社会がつねに要求する人物である。であるから桂のような人物が一人殖ふえればそれだけ社会が幸福なのである。」

 お金持ちばかりが、有名人ばかりが成功者ではないと(笑)社会的底辺のアンチ人間には勇気を与えてくれる言葉でした!


『心の育ちと文化』 (小嶋秀夫著)
9章 人間形成と社会の倫理
1 今も生きているスマイルズ
国木田独歩の『非凡なる凡人』(1903年)では、サミュエル・スマイルズ著・中村正直訳の『西国立志編 スマイルズ 自助論』が中心的な位置を占めている。小説の語り手の友人として登場する桂正作は、天才ではなくごく普通の人間であったが、向上心と合理的精神をもち、長期的な計画を立ててそれを実行し目標を成就させてしまうという、まさに「活きた西国立志編君」であった。正作がその本に接したのは、数え年の14歳であった。彼とほぼ同じ年齢の筆者は、そのときに初めてスマイルズ(1812〜1904)や本の名前を知ったのである。戦後4年ほどたったときの国語の教科書に、1859年に著され、1871年に邦訳の初版が現れたスマイルズのセルフ・ヘルプ(Self-help) を軸とした独歩の作品がなぜ収録されていたのかが興味をひく。
 藤原(1986)は、敗戦後の最初の正月(1946年)の昭和天皇詔勅の中に、戦後における日本国民の自立論の方向づけを認めている。すなわち、当面の困難を克服するとともに、産業と文運の振興のために、そして人類の福祉と向上のために、自ら奮い自ら励まして自立することが願われた。そして、同じ年に西国立志編が復刊されるとともに、1954年には永井潜の訳による『自助論』が現れたことも、藤原は述べている。
 『非凡なる凡人』を載せた教科書が、戦後のどの期間出ていたのかを筆者はまだ調べていない。しかし、上記の時代的背景の中で、桂正作が合理性を基礎にした努力による向上のモデルとして、われわれの心に訴えるものをもっていたのは事実である。それはたんなるケチの勧めではなかった。スマイルズの精神は正作の行動にも顕現していた。すなわち、上京した彼は労働・商売をしつつ夜学に通うという生活の中で。2年間にわたって計画的に貯金し、その3分の2を平気でなげうって初めての帰省の旅費と家族・親戚への土産もの(きょうだいのための「錦絵」もあった)に充てたのであった。「身を立て、名を上げ」るのを目指すのではなく、「凡人」の正作の生活の姿勢は、はるかに堅実で着実なものであった。〜