うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

酷暑にネコさんも........。と『分析的音楽療法とは何か』メアリー・プリーストリー著より




今日も朝から暑いですね!
エアコンをつけずに、事務仕事や読書を頑張っていたら、横でネコさんがのたうちまわって?いたので、暑さではなく、ネコさんに負け朝からエアコンをつけました。
 ネコさんの左右は開いている窓でお腹側に扇風機が回っていましたが、おばあさんなので、きついのでしょうね.....。
 ひーひー王子の方が大変だと思いますが......。



つけたら直ぐに自分の寝床に戻り、寝てました。
本当に暑いですね!熱中症にならないように皆さんもお気をつけ下さい!
 

 今日は夜勤なので適当に仕事にキリをつけました(笑)暑くて頭が回らないのは自分だけでないと思います(笑)


 先日、ななめ読みさせて頂いた本、『分析的音楽療法とは何か』も沢山の学びを頂きましたが、一番自分の中に残った箇所のアップです。
 基本過ぎますが、それを忘れてしまうことが多いので、改めて心に刻みました。
 それにしてもフロイトが良く出て来ますね。分析関係なので当たり前と言えばそれまでですが、フロイトを認めない風潮が高くなっている時代でも、大事な理論(学問)ですね。その風潮は、ポップスやロックをやっている方々が、ブルースやR&Bの批判をしているのと同じように思えます。あるものに対する批判は誰でもできますが、ゼロから生み出すのは大変なエネルギーが必要ですものね。それにそのものに真剣に向き合わなければ、新しいことは生まれません。人まねだけをしている人を凄い人だと勘違いしている人がどれだけ多いか.....。考えると嫌になってきます(笑)

『分析的音楽療法とは何か』
メアリー・プリーストリー著(岩尾裕・多治見陽子・古平孝子・沼田里衣:訳)
7、セラピストー患者の関係
〜もしセラピストが、難しい患者に率直に好意が持てず、嫌いである場合、セラピストはこういった感情を包容しなくてはならない。
そして、患者に献身的に仕事を続けながら、努力しそれらを理解するようにしなければならない。ときたま、患者はセラピストに、1人では負いきれないほどの多くの否定的感情を課してくることがある。そういう場合、こういった感情のあるものを、同僚や心理療法家とともに分け合った方がいいかもしれない。
 個人的には、私は嫌悪や憎しみさえも私に引き起こさせた患者とも仕事をしてきたが、まったく愛すべきところがない見つからない患者と仕事をすることができるとは思わない。この仕事では、私は先ず第一に何らかの宝を探そうとしているのだ。私は、この患者の真の自己が発展するように、何かの手がかりを探すのだその手がかりとは、ある音楽のフレーズかもしれないし、顔の表情かもしれないし、意味深長な言葉かもしれない。こういった手がかりを得るまでの間は、二次元の平面で働いているようである。何らかの患者の兆しが現われたなら、突如として絵は変わり、三次元で仕事しているがごとく感じるようになる。そういった手がかりは未来にも過去にも属し、その2つを結ぶものであったりもする。
 暖かくあり、人間的であることの必要性が考えられる一方で、もう片方で重要なことがある。それは、セラピストが探究するのは患者の内面であるということだ。セラピストは、もちろん自分の感情や精神生活に気付きをを持たなくてはならないが、これは両者で探究する患者の問題とは別である。
『全集』の第12巻の中でフロイトは、次のように書く。「医者は、患者に対して不透明であるべきだ。鏡のように、自分に見えるもの以外は患者に見せてはならない。」(英語版P,118)この不透明さの考えは、患者がセラピストに感情を投影しやすいということであり、それらの感情が表している過去から続いている患者の未完の仕事を二人で解決してゆきやすいということである。
 患者は探求の道をそれて、セラピストの内面生活や境遇に興味を持ったりすることがあるが、そのうちまた道を変え、自身の内的、外的生活の探求に、しっかりと帰っていくだろう。もし、患者がセラピストの生活のプライヴェートな領域に立ち入ることができないことを悟れば、患者も他者が自分の内的、外的生活に立ち入ることを許すか否かを選ぶ自由があることに気づくだろう。これは患者に強さと独立心を与える。
 このように、セラピストは患者に気さくで親切である一方で、友達でも、先生でも、結婚相手でも、裁判官でも、恋人でも、トイレでもない。セラピストは、忠告したり、批評したり、ほめたりするためにいるわけではない。だが、場合によってはそのつど役割も少しずつ、考慮の上、果す。セラピストは、より一層の理解と明確化や、セラピストの言葉や態度が持つ受容力や、音楽の相互作用を通して、患者の内的生活を二人で探究し、患者を健全にするために働くのだ。〜